第5話:ブショウ練りの相貌
《二魂坊》――。
ある意味で、浜須の期待通りに初耳の技法であった。頭巾に隠された彼女の頬がサッと熱くなり、興奮が蒸気のように頭上で渦巻くようだった。
「メモは取らないの? 顔を隠したまま、見づらくないの?」
救華園に住まう生徒――椿が問うた。しっかりと開いた双眼は、しかし眼前の実体を見るというよりは……存在しない虚像などを探しているのか、実と虚の狭間を揺蕩うようだった。
私を警戒している? 友好すべきか敵対すべきかを考えている? 違う、この人は――多分……何も考えていない。
ほんの少しも思考をしていないであろう女、椿珠青。但し、浜須は彼女を馬鹿者呼ばわりするつもりは毛頭無かった。故意かどうかは掴みかねたが、自身とは比較にならない場を踏み、研磨された結果であると考えていた。
「何で喋れないの? アンタ、やっぱり私を――」
俄に、椿の追及が止まった。
どうか、私の喋られない理由を訊かないで下さい。
教えなくともよい秘匿技法を授けるというのに、口を利かないという非礼への詫びを込め――浜須は額がカーペットに着く寸前……最敬礼を行った。
「…………あぁ」
一秒、二秒、三秒と時計の針が進む。一〇秒が経った辺りで椿は赤い八八花を手に取り、顔を上げた浜須に黒を差し出した。
「必要なのは黒色の《芒》、赤色の《松》。アンタは《芒》を抜いて、そっちに置いて」
たったの八枚しか使わないの? 目を細め、指示通りに黒の八八花から《芒》の四枚を抜き、椿の分から少し離して置いた。
「やり方は簡単、誰でも出来る。三つの役を選んで《石紙》を賭けて、出そろったら赤色、黒色の順で一枚起こす。役を的中出来れば配当を受け取り、出来なければ没収。その後はまた四枚の札を切って、同じ事を繰り返す。それだけ」
違法博技を行う上で必要となるアイテム、《石紙》の存在を堂々と打ち出す椿。一方の浜須は「当たり前の事」として気に留めなかった。
役は次の三つ――椿は三本の指を立て、役を説明する毎に器用に折り畳んだ。
「一つ目、《日光坊》。《松に鶴》と《芒に雁》、二倍返し。
二つ目、《月光坊》。《松に短冊》と《芒に月》、二倍返し。
三つ目、《二魂坊》。《松に鶴》と《芒に月》、一倍返し」
但し……全ての指を折り畳み、補足する椿。
「《二魂坊》が出た場合、そこで博技は終了。この役を予測していなかったブショウ練りは、それまでの石紙を全部吐き出して、的中者に渡す」
突然の終幕、無慈悲な徴収制度、一分の時間すら惜しむような博技の速度は、金花会でやはり気付けとして多用される《場丁半》、《高目》、《ぼんさんめくり》に近しいものがあった。
作戦力、看破力というよりは運、その日その時の勘が重要な博技。それが《二魂坊》であった。
「随分アッサリしていると思った? 気付けなんてこんなもの、畢竟、勝っても負けても構わないの。場の様子を探る為、眠っていた勘を叩き起こす為」
だから気付け、だから繋ぎ――立ち上がり、椿は浜須の肩に掛けていたブレザーを取り上げ、自ら羽織った。
「私はね、気付けでは受かりたくないの。勝負事は『取ったか見たか』の繰り返し――どうせ取るなら百万両、アンタも同じじゃないの?」
時間にして五秒もなかったが、浜須は頭巾越しに救華園の打ち手、「ブショウ練り」の相貌を刮目した。凶徒の住まう最後の聖域で生きる椿珠青は――恐らくは他の生徒も――あくまで実益に貪欲な勝負哲学を持っていた。
「私の言っている事、理解出来ているの?」
打つだけで楽しい、勝ち負けなんて二の次、私達は賀留多が好きなんだ……。
花ヶ岡の生徒ならば誰しも持ち合わせている賀留多観、これをとうの昔に通り越し、次の段階へ進もうとする者もいる。
紛争解決手段の《札問い》、その代闘を買って出る《代打ち》。賀留多文化運営、花石管理の一切を引き受ける《金花会》。
どちらにも属さない、否、属する前に「道を踏み外した」のが――中江駒来の庇護を受ける《凶徒》であった。
闘技に勝ちたい、博技に勝ちたい、遊び打ちに勝ちたい、札問いに勝ちたい、何処で誰と何の技法を用いても勝ちたい――何が何でも勝ちたい、勝ちたい、絶対に勝ちたい!
勝利を求め過ぎた結果が、この人なの……?
「……」
浜須は見つめた。賀留多自体を楽しんでいるのか、手段に用いて私腹を肥やしたいのかは判断しかねたが、不純なまでの勝利欲求は――その実、依頼者の為に勝利を掴まねばならない《代打ち》のそれに似ていた。
「私、見つめられると頭に来るんだけど」
椿の言葉に慌てて視線を外した時、浜須は扉が開かれたのを認めた。簪の女が小さく溜息を吐きつつ、野暮用から帰って来た。
「どうだったの? ちゃんと追い払えたの?」
「えぇ、何とか……。それにしても、ああまで堕ちてしまえば、人も獣も変わりませんね」
「人間じゃないから、アレ」椿は言い、思い出したように浜須の方を振り返った。
「アンタ、まだいるの?」
もう少し、せめてあと一つは教えて下さい! とも言えず、浜須は二度三度と頭を下げ、扉の方に駆けて行った。
「は?」
椿はやや驚いたような声を上げ、しかし浜須が振り返らずにスリッパを履いた為、目を瞬かせながら……冷蔵庫を開いた。
「コーラ冷えてないの? 温くするなって言ったよね、憶えていないの?」
刺々しい物言いに、しかしながら簪の女は少しも怯まず、むしろ嬉しそうな声色で返した。
「申し訳ありません、さっき入れたばかりでして……。少し待っていて下さいな、見学の方を送って来ますから」
さぁ、行きましょうか――女に肩をソッと押され、浜須は椿に目礼も出来ずに救華園を後にした。息苦しい頭巾を外せたのは、先程種々の説明を受けた第四準備室の中だった。汗ばんだ頬を扇子代わりに手で扇いでいると、簪の女が所持品の入った箱を持って来た。
「ご確認下さい、一つでも減っていれば遠慮なさらずどうぞ」
確認するまでも無い、そんな気がした。予感は当たり、ブレザーからペンの一本に至るまで、全てが預けたままの状態で返却された。
「浜須さん、気にしないで下さいね。彼女、言い方がぶっきら棒でして」
椿珠青の顔が浮かんだ。男子から絶大な人気を誇りそうな可愛らしい相貌と、光年程も離れていそうな暴力性が強烈だった。
「いえ、大丈夫です。それに……一つ、秘匿技法を教えて頂きましたから」
この言葉に女は小首を傾げ、意外そうに「何を?」と問うた。
「《二魂坊》、という技法です」
静かに女が頷き、「貴女は」と更に続けた。
「まだ、他の技法を知りたいのですか?」
浜須が俄に頷いた。淀みがちだった両目がキラリと……久方振りに輝いた。
「はい……! まだまだ花ヶ岡は、私の知らない技法で満ちていると思うと、もう胸がドキドキして……!」
微かに笑んだ、ような表情を浮かべた女は「それでは」と廊下の方を示した。
「本日はお疲れ様でした、ご縁があれば……また、何れ」
習い憶えた《二魂坊》を忘れぬよう、一階にある談話室でメモを纏めた浜須が部室棟を出たのは、それから一五分後の事である。充足感と一層の渇望感に微笑む彼女を、物陰から見つめる人物がいた。
「……っ」
だらしなく開いた襟元、誰に対しても媚びるような目付き、校則をまるで無視したスカート丈――購買部で浜須が見掛けた、あの女子生徒であった。
「…………貴女は、何が好きなのかしら。ケーキ? お饅頭? パフェ? お煎餅? それとも全部? そうね、どうせなら――」
全部、買ってあげましょう……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます