第2話:二年前

「浜須さんは何を飲むのぉ?」


 来客用のコップを戸棚から取り出した柊子は、「そうそう」と底の浅い紙箱を後輩の前に置いた。


「緑茶、煎茶、ほうじ茶、番茶に玉露……はおトセちゃんのだから駄目ねぇ、紅茶はアールグレイにアッサム、ダージリンにニルギリ、キームンにルクリリ。コーヒーは普通のインスタント、と何故かがあるわねぇ。ココアは……飲みたければ姐さんに訊いて頂戴」


「こっ、こんなに揃っているんですね……どうしようかな……」


 浜須が所狭しと並ぶ瓶、茶筒、パックを眺める間、目代はボンヤリと彼女を見つめつつ、「私にはココアを」と柊子に目配せした。


「はいはい、姐さんはいつものブレンドねぇ。えーっと、『粉は濃い目牛乳ドバドバ砂糖マシマシ』でしたっけ?」


 ガリガリとペンが走った。メモには乱暴な字で「違う!」と書かれていた。無言の内の掛け合いに目を向ける事も無く、浜須は「どの飲み物が一番無難か」と思案に耽っていた。




 宇良川先輩が抜いた玉露、目代先輩に断りを入れなくてはいけないココアは除いて……どれが一番安くて、求めた私への評価が下がりにくいんだろう?


 確か……このコーヒーはお父さんが飲んでいたはず。そこまで高くはないはずだから……いやいや、ちょっと待って。《カクサレ》を教えてくれる目代先輩がココア好きだとしたら、コーヒーの匂いを嫌がるかも……。


 何か、匂いが出なくて安くて飲み干しやすいものを……!




「……」


 脂汗すら滲みそうな目で紙箱を見つめる浜須。自らココアの調整に入っていた目代は、ある程度の目処を付けてから柊子にメモを渡した。


「はぁい? …………浜須さぁん、もし良かったら、私と美味しい林檎ジュースでも洒落込まない?」


 ピョン、とカチューシャが揺れた。持ち上がった顔は、しかしながら「快諾」には若干遠く……。


「あら、林檎はNGって感じぃ?」


「あぁいや、大好きなん……ですけど! その、今日は違うかなぁーって! すいませんが、煎茶を頂けますか! 身体を温めたくって!」


 その実、浜須は林檎ジュースが大好きであった。が、冷蔵庫からチラリと見えたそれは瓶詰めであり、即座に「あれはテレビで宣伝されていた、一本五〇〇〇円の高級品である」と脳が警告した。


 どうして高校生が五〇〇〇円の林檎ジュースを常飲(もしくは懸賞で当たったのか、それは不明であった)しているのかは分からないが、今までの取材経験に照らし合わせると――。


「そんなに緊張しなくて良いのにぃ……はい、粗茶ですがどぉーぞ」


「頂きます! ズズーッ、うぅーんポカポカするぅ!」


 パックの日本茶が一番


 出されたものは全て平らげ、選べと言われればを選ぶべし――浜須が広報部で取材を積み重ねた結果、成功と失敗と先輩からのアドバイスを混ぜ込んで創り上げた「記者の心構え」だった。


「それにしても、この部室は何と言いますか、賀留多の聖地たる花ヶ岡を凝縮した、そんな気がしますね! おっ、これは……地方札のコレクションですか!?」


 ピョインと目代の癖毛が動いた。頬は赤らみ、照れた様子で「バレちゃったかぁ」とメモを見せ付けた。


「いやいや、これは誰でも驚きますよ! 一応は購買部に並んでいる札全てを購入しましたが、ここには校外でしか手に入らないものもありますよね!? 流石は目代先輩です、あっ、《小獅子》や《大連花》もある!」


 矢継ぎ早に繰り出される褒詞は目代の頬を一層柔らかくし、「デヘヘ」と声が聞こえてきそうな程に身体を捩り、癖毛が左右にブンブンと振れた。


「あぁーあ……長いわねぇこれは……」


 フゥ、と溜息を吐く柊子。ボンヤリと「これは凄い!」「こっちも凄い!」「貴女は凄い!」と褒め殺しにするミフ江の横顔を見やった後――。


 自分だけに注いだ林檎ジュースへ、やや憂うような視線を落とした。




 一つだけ、《カクサレ》を知っている――秘匿技法について目代が語り出したのは、「好い加減に始めましょうよ」と柊子が彼女に耳打ちをしてから間も無くであった。


《むじな》。この技法を目代が知ったのは、二年前の一一月頃だったという。


 手に入れたばかりの《花ヶ岡賀留多技法網羅集》が読みたくて堪らず、バスの待機と宿を兼ね、購買部近くの談話室のベンチに腰掛け、技法の深山へ繰り出した。


 これは知っている、これは知らない、この採点方法は知らなかった……。


 読めば読む程に知識が増え、脳内で賀留多が四方八方に吹き荒れるようだった。この頃、目代は《代打ち》としての地力向上の為、「師匠」と彼女が呼んでいる三年生との特訓に明け暮れていた。


 小百合、よく聴きなさい。私達代打ちにとって、必要なものは応援でも花石でもありません。勝利、この二文字に尽きます――。


 師匠は言葉通りに目代を扱き、悪手を一度でも打てば闘技中であっても手札を捨て、「今日はこれまで」と冷たく言い残して帰る事も多々あった。


 苛烈な特訓の毎日は目代が自ら望んだものだが……しかし、時にはだって欲しかった。師匠に用事があったその日は、格好の「休息日」として、大いに羽を伸ばしていたのである。


 三〇ページ程読み進めた辺りで、目代のスマートフォンがリンリンと鳴り出した。師匠からであった。「用事が終わったので、いつものファミレスに来なさい」という内容だった。


 折角読んでいたのに……渋々腰を上げた目代は、二〇分後に師匠と暖かい店内で落ち合った。師匠は既にドリンクバーで「オリジナルブレンド」と言い張る甘いだけのココアを作っており、「遅かったですね」と不満げに口を尖らせた。


 いきなり呼ぶ方が悪いんだ――心で文句を垂れながら、目代は師匠と反対の椅子に腰を下ろそうとした瞬間、飲み掛けのコップが、師匠の隣に置かれているのを認めた。


「師匠以外に、誰かいるんですか?」


 戸惑い訊ねる弟子に、師匠は悪戯っぽく笑い掛けた。


「答えは、後ろからやって来ますよ」


 後ろから? 振り返ろうとした瞬間、幼稚園児の頃に野山で嗅いだ事のあるような、甘く……やや切なげな香りを目代は嗅いだ。芳香の主は事も無げに師匠の横に座り、目代に奇妙な笑みを向けた。


 二人と同じ制服を纏うその女は、確かに笑ってはいるものの、決して心を許していないような、しかし明確な敵愾心は感じられない――不可思議な微笑を湛えていたのである。


 確か、同学年だったはずだけど……名前が出て来ないなぁ。


 名前を憶えていないのも失礼と思った目代が、必死に脳内の記憶領域を捜索していた矢先に、師匠は「小百合」と声を掛けて来た。


「貴女と彼女は同学年だそうで。友人の伝手で紹介して貰ったのですが、彼女のお話はとても興味深いのです。是非、貴女にも聴いて頂きたくて」


 師匠がそう言うのならば、と目代は自己紹介を済ませ、相手側の返答を待った。だが、同学年らしい彼女は名乗りもせず、「目代さんは」といきなり本題へ入ろうとした。


「ちょ、ちょっと待って? ごめんなさい、私、あんまり顔が広くないものだから……貴女の名前、悪いけど教えてくれるかな?」


 謎の女はニコリと笑み、「名前なんてどうでも良いじゃないか」と前髪を掻き上げた。


「私と目代さん。我々が手を組めば、花ヶ岡の未来は実に明るく、安定したものへと成り代わるんだ。隣の先輩からお伺いしたけれど……目代さんは、大変な実力を持っているとか」


「持つ予定、ですね」師匠がココアを啜りながら補足した。


「残念な事に、私は目代さんのように《代打ち》として活動し、多くの人を助けてやる事が出来ない。ハッキリ言えば、賀留多の才能が乏しいのだろうね。けれど、私も同じように――誰かを助けたいんだ」


 柔らかい声だった。反面、言葉の節々に鉄のような意志、その強さが感じられた。


「……私達が手を組むかどうかは脇に置いて、具体的にはどうするつもりなの? 《札問い》という手段以上に、困っている人を助けられるものは無い気がするけれど……」


 不安げな表情を浮かべる目代。一方、家族と話しているかのような気軽さで、名乗りもしない女は続けた。


「私はね、目代さん。すらも助けたいんだ。正確には……逃げ場、駆け込み寺と言うべきかな」


「……それってつまり――」


 コクリ、と頷いた女は「お察しの通り」と答えを述べた。


「この学校は、余りに《凶徒》を阻害し過ぎている。誰も彼女らを救わない、誰も彼女らと交わらない。誰も……彼女らに更生の余地を与えない。その光景を是とする生徒がいるのなら――」


 その生徒こそ、凶悪の徒に違い無いんだ。


 垂れた髪の向こうで、女の双眼が鈍く輝いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る