宝技篇

序章

胆大妄為、やり放題

 賀留多の聖地、花ヶ岡高校の一教室で……一人の少女が泣いていた。


 ブレザーの胸元は涙に濡れ、周囲には八八花が赤黒、合わせて九六枚が裏表問わず、乱雑に散りばめられている。その内の何枚かを掴んだ少女は、何度か鼻を啜り、力任せに地面へ叩き付けた。


 泣き濡れた顔で天井を見上げ、彼女はポツリと呟いた。


 誰か……助けて……。


 それからは――弱々しい声で再び泣き出し、散らばる札を掴んでは叩き付けた。四季を描いた八八花を呪うかの如く、少女は小さな札を思い切りに睨む。睨み、睨み……遠くへ投げた。


 少女は絶望していた。


 自らを泣かせる八八花を、否――。


 八八花を愛していた、自分自身を……。




「という感じで、シクシク泣いている生徒がいるはずですわ! いいえ、いてくれないと困りますの!」


 ドンと机を叩き、演説家を真似て見せたのは――二年五組、史氷ミフ江である。手元には二冊のノートが積まれ、また横にはキチンと積まれた赤黒の八八花が鎮座している。が、机の衝撃によって札が一枚、ずり落ちた。


 ミフ江は聴衆である友人達を見回した。一番右に座っているのは、微笑を常に湛える斗路看葉奈だ。彼女は実に嬉しげに……まるでミフ江を「娘」のように思っているのか、ウンウンと頷いている。ミフ江の必死の演説は、微笑ましい学習発表会と同等なのか。


「史氷さんのお話は、とても情熱を感じられて……此方まで、身体が火照ってしまいそうです」


「それはどうも。何だったらもっと拍手をしてもよろしくてよ!」


 次に、真ん中で青ざめた顔をしているのは、表情の代わりに顔色で感情を表す芸達者な友人、奴井千咲である。どんなに稚拙なストーリーでもすぐに感情移入してしまい、自身が受けた痛みとして処理する千咲は、最近見たお涙頂戴の映画で泣き過ぎ、呼吸困難を起こしてしまったという。


「……具合が悪くて?」


「…………その子、可哀想。何処にいるの。今も泣いているかも」


「いや、あくまでIFもしもの話ですわよ……」


 そして――千咲の左隣で目を閉じ、ムニャムニャと口元を動かしているのが……「ゆるふわ暴力系」の第一人者、宇良川柊子その人だ。自分の興味が無い話題が始まると、途端に睡魔がやって来るといった体質の持ち主で、大抵ミフ江が熱弁を始めると彼女は眠った。


「こらぁ! 何をグースカしてんですかぁ宇良川さぁん!」


「んぐぅ……」


 柊子の腕を掴んだ千咲が揺らすも、しかし彼女は眉をひそめるばかりだった。


「しーちゃん、昨日は夜更かしをしたらしいですね」


「情け無いですわね! 女子高生は一晩二晩寝なくても大丈夫なように出来ていますわ!」


 ミフ江がカリカリ怒っていると、教室の出入り口に他クラスの女子生徒が現れた。手には古い映画のパッケージが握られていた。


「やっふー、みんなー」


「あら、朝村さん。どうかされまして?」


 生徒会放送部に所属する朝村小瑠理であった。「聞く不倫」とまで評される艶声の持ち主は、去年までミフ江達と同じクラスだったが、運悪く一人だけ……別のクラスへ放逐されたのである。


「うん、そこのに用事があってねぇ」


 ミフ江、看葉奈、千咲の視線が――眠りこけるに向けられた。柊子の前にいたミフ江は横に除けて、身を低くした。


「ちょっと起きてよ、ゆる子ー」


 世界は実に広い。腹が立てば年上でも噛み付くデンジャラスガール柊子に対し、「ゆる子(頭が)」と悪口一〇割の渾名を付ける女がいた。


「何ぃ、まだ寝てんのー?」


 その時、事態は急変した。


 眠っていたはずの柊子の右足が動き、眼前の机を力任せに蹴り飛ばした。机は轟音と共に小瑠理の方へ飛んで行くが、小瑠理は「いやん」と右に避け、直撃を免れた。


「……なぁーんか耳障りな声が聞こえると思ったら、じゃないのよぉ? 好い加減痩せたらぁ?」


 ユラリと立ち上がる柊子。自身より一〇センチメートルは身長が高い小瑠理を、悪魔のような笑みで見上げる。


「貴女の声を聞く度に太りそうよぉ。さん」


 小瑠理はヘラヘラと笑いながら、「そーぉ?」と自らの胸を触り、それから柊子の胸を突いた。「私の勝ちぃ」と毒突きもした。


「ちょーっと私がのは小学校まで、よん。ゆる子も、少しはこの映画を見て、頭のネジを締め直す事をお勧めするね。ネジがあれば良いけどー」


 パッケージをヒラヒラ動かす小瑠理から、柊子は「ふんっ」と力任せに奪い取った。


「何日後に返せば良いのよ」


「三日後かなぁ、あ、でも、ゆる子なら理解に二週間は掛かるかなぁ? それぐらいで良いよー」


「あらぁ、お優しいのねぇ。帰り道にトラックが突っ込んで来るか、或いは頭上からは鉄骨が落ちて来るか、もしくはその両方が起きる事を祈っているわぁ」


「それは愉快だなぁ。ハリウッド映画みたいで。私も、ゆる子が何らかの理由で逝去して、明日机の上に菊の花を飾れる事をお祈りするねー」


 じゃねーばいばーい……と、廊下に消えて行く小瑠理。柊子は「二度と来るんじゃないわよぉ」と中指を立てるアフターフォローを忘れない。


「……さっ、それで、史氷ちゃんは何の話をしていたっけ?」


「いやいやいや! まずは机が開けた穴の心配をしたらどうですの!?」


 壁の方を指差すミフ江。先程誰かが蹴飛ばした机の角が当たり――壁の一部が破壊されていた。しかしながら柊子は狼狽えない。傍にあった本棚をずらし、穴を修理、もとい、隠蔽してしまった。


「問題というのは、このように意外な手段で解決出来る……流石は私ねぇ」


「本当にネジが外れているんではなくて!? それはと言われてもしゃあなしですわ! 折角今後の計画についてお話しようと思っていたのに!」


「柊子と小瑠理が別のクラスになった理由が分かった。やっぱり先生達って生徒をよく見ている」


「お二人の友情は特殊ですからね。幼稚園からの仲らしいですし……。仕方ありません、設備部に頼んで穴は埋めておきましょう」


 スナック菓子を食べる千咲と看葉奈は、寂しげに置かれた二冊のノートをそれぞれ捲った。どのページにも……二人の見知らない八八花の技法が書き込まれ、時々絵を用いて複雑な手順を説明していた。


 二人が見知らないのは当然である。


 これらの技法は全て――ミフ江が創作したものだからだ。


「あーら、言うじゃないおチビちゃん……貴女のネジ、私に分けて貰おうかしらぁ」


「うわぁーん! 痛いですわ、痛い痛い! そのグリグリって止めて下さいましー!」


 九月二五日。秋晴れの放課後であった……。

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