鶉野摘祢、謀略す

第1話:開幕、仙花祭

 九月一四日。九時二五分。


 三棟ある体育館の中で最も巨大な「第一体育館」に集合した生徒達は椅子に着席し、ソワソワと落ち着きの無い様子で後ろを向き、或いは左右に身を捩り――もうすぐ始まるへの期待を語り合った。


 教職員はズラリと壁際で待機していたが、生徒達の自治精神を養う格好の場でもある為、余程の事態が無い限り、《仙花祭》の期間はに徹する事となっていた。


「おい、おい龍一郎……!」


 一年四組の生徒が並ぶ列、その後方に龍一郎達はいた。誰よりも色めき立つ楢舘が向き直り、ギラギラとした双眼で彼を見つめた(羽関は龍一郎の後ろで眠っていた。徹夜で長編小説を読み耽ったのである)。


「何だよ気持ち悪いな」


「気持ち悪くて結構……! 見ろよ、この空間を……。一年生から三年生まで、? 言うなればだ、俺達は今、異性の海を泳いでいるんだ!」


 楢舘は息継ぎをするように、幾度も深呼吸をして「異性の香り」を胸一杯に充満させた。肺に魅惑の気体が満たされる度に、「うぅん……あっ……!」と気色悪い声を上げる為、周囲の女子が楢舘を迷惑そうに見やった。


「ちょっと楢舘、キモいんだけど。さっきから鼻息が項に当たっているし」


 物凄く迷惑そうに振り向いたのは、同じく一年四組に所属する古市蘭ふるいちらんという女子だ。楢舘の鼻息を何度も浴びている彼女の肌は、幸いまだ腐敗は始まっていないらしい。


「何だよ古市。お前がポニーテールなんかにしているから悪いんだろ? お前みたいな奴が満員電車で誰彼構わず『痴漢です!』なんて叫んで、濡れ衣着せるんだろうなぁ」


 既に彼は忘れているらしいが、数ヶ月前にバレーボール部の着替えを覗いたという前科がある。全く反省を見せない楢舘少年の顔は、妙な自信に満ち溢れていた。開き直り、というものである。


「はぁ? バレー部の着替え覗く男に言われたくないんですけど?」


 古市は憶えていた。否、楢舘以外の生徒は皆記憶していた。


「覗き…………? さて、そんな事をしたかな龍一郎」


 俺に振るなよ――龍一郎は思い、彼の問い掛けを無視しながらスマートフォンを弄っていた。二年生の恋人、左山梨子から『龍一郎って、ステージ上がるの?』とクラス別ステージ発表について質問が来ていた為、手早く『音響だけなんで上がりません』と返信した。


「お前何を…………あぁはいはいはい、彼女と連絡ですか。良いねぇ若い奴は、お盛んで」


「うるせぇぞ。古市の匂いでも嗅いでろ」


 龍一郎のぶっきら棒な言葉に、楢舘は「そうするわ」と前のめりになって古市の匂いを嗅いだ。


「ちょっ!? 近江余計な事言うなし! 嗅ぐなっての!」


「シャンプー変えた?」


「キモいキモい! ってか何で楢舘が最初に気付くのさ!?」


 フッ……と、楢舘は精一杯の男らしい表情を作り、困惑する古市を見つめて言った。


「いつもお前を気にしているからさ」


 一秒後、彼の右頬に張り手が飛んだ。「変態!」と手厳しい文句を述べた古市の頬は、腫れ上がった楢舘のそれと同じくらい……赤く染まっていた。龍一郎は彼女の変化に気付いていたが、しかし――あえて放って置く事にした。


 強い衝撃によって楢舘が鼻血を垂らし、古市が慌てた様子でティッシュを取り出して間も無く、館内の照明がゆっくりと暗くなっていった。照明の明るさと生徒達のテンションは反比例する。一同は「ワッ」と大きな歓声を上げ、それによって羽関も「うぅん!?」と飛び起きた。


「どうした、始まったのか!?」


 寝惚け眼の羽関が上擦った声で問うた。


「おはよう羽関。そろそろ始まるみたいだ――」


『イッツファイントゥディ、イッツファイントゥディ。本日はピーカン照り、本日はピーカン照り』


 花ヶ岡高生なら当然、聞き慣れた声がスピーカーから流れた。とうとう生徒達は悲鳴のような声を上げ、瀑布の如き拍手を声の主に贈った。


『コホン、コホンコホン。皆さん皆さん、おはよーございまぁす。アナタのお耳の浮気相手……朝村あさむらです。良いんですかぁ、実行委員会の皆さん? 私なんかを総合司会にしちゃって……?』


 生徒会放送部所属の二年生、朝村小瑠理あさむらこるりの登場であった。毎日昼休みに放送される一五分間の校内ラジオ、「はながおかっ子ラジオ」にて金曜日のMCを務める彼女は、非常に艶のある声を出す事で有名だった。


 曰く、「聴く不倫」「催眠音声」「声だけで男を殺す女」「喋るフェロモン」……などと散々な渾名を付けられていたが、その実――激烈な人気を(男女問わず)誇っていた。


「ヤバいよなこの人……声優になった方が良いって」


 楢舘がウットリした表情で耳を傾けていた。


『まぁ、ここにいるって事は良いよって事なんだろうからぁ、早速始めていきましょー。皆さぁん、プログラムを持って来ていますかぁ?』


 持ってまぁーす! 何人かの男子生徒が大声を上げ、釣られて周囲が笑った。


『うんうん、良い子ですね。それじゃあガバッと開いて、一ページ。一日目って書いてありますよね、そこの一番上から……我等が祭宴、ドーンと始めて行きましょー』


 果たして――高校生の青春群像を彩る夢の宴、学校祭の開幕となった。

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