第11話:Read

 かつて――津々浦々に暮らす日本人を長きに渡って虜にした、《読み》という技法がある。


 時の為政者が幾度も出した「御禁制」をものともせず、元々あった賀留多の図柄を変え、時には呼び名を変え、時には打つ場所を変え……人々は《読み》を楽しんだ。


 江戸の頃には軒を連ねる賀留多屋が、《読み》に使用する賀留多を大量に製造し、下駄を鳴らして町民達が買い求めた――とされ、まさに一〇〇年単位の大ブームとなった。


 ここまで日本人の心を掴んだ賀留多闘技であるならば、どれ程面白味に溢れているのだろうか? 考えるのが人情である。


 その実――《読み》は非常にシンプルだ。


 基準の札の上に、「一、二、三……」と数えながら、順番になるよう札を出していく。それだけだった。


 当然、これだけでは世紀単位の熱狂を保つ事が出来ない。ここに所謂「化け札」を混ぜ、手札の一気打ち払いを可能としたり、大量の手役・出来役を考案し、好きなものを選んで採用したりと、シンプル故のが、大いに受けたのだろう。


 特に手役と出来役については、今で言うカタログのような書籍も登場しており、一層の地方独自性を誘発したのは言うまでも無い。自分好みの技法に拡張し、仲間内で夜な夜な蝋燭を灯し、夜鳴き蕎麦を待ちながら打つ――そんな町民達は大量にいたはずだ。


 そして時は流れ……遊戯故の宿命でもある、「失伝の容易さ」が発動した《読み》の、正式な手順は未だ明らかとなっていない。


 それでもなお、日本人はかつて先祖が遊び継いで来た《読み》の面白さを、決して忘れてはいなかった。例えばトランプの技法大富豪・大貧民として、例えば八八花の技法――《いすり》として……。


 姿形は大きく変われど、「数を読む」という楽しさは、歴史の荒波に揉まれ打たれ殴られて、それでも現代まで生き延びて来たのだ。


 賀留多の聖地にして最大のである花ヶ岡高等学校では、《読み》の忘れ形見である八八花三種の技法が、今でも盛んに打たれている。


 難易度の順から《ぽか》、《ひよこ》、《いすり》という名を頂き、祖先の栄華の残照を現代に伝えていた。


 賀留多闘技に精通する花ヶ岡高生は、これら三つの技法を時と場合によって上手に使い分けていた。他校の生徒、初級者と打つ時は《ぽか》を、クラスメイトと雑談しながら打つ時は《ひよこ》を、そして――。


 真剣な闘争を望み、かつ場がそれを許すならば《いすり》を……生徒達は採用した。


 羽関京香が選択した技法の《いすり》は、彼女の在籍する一年七組で好まれていた。各クラスである技法が(不思議とクラス毎に違っていた)流行するのは、まさに花ヶ岡の名物とも言えよう。付随して、ローカルルールが出来上がるのも必然であった。


 賀留多は常に動き続ける。昨日まで存在していた出来役が、次の日には姿を消しているなどありふれた話だ。


 人気であるという事は、その分――変質を免れない、しかし賀留多は寡黙に、それでいて情熱的に変質を受け入れた。


 賀留多は永劫、進化の途上にあり続ける「生物」に他ならない。故に聖地花ヶ岡は、この生物のと相成った――。




「どうぞ、先手をお渡しするわ」


 鶉野はコーヒー牛乳を啜りつつ、段々と暗くなる外を眺めた。


 先手の委譲。「私はアナタより強い」という意思表示に他ならず、一手上がりも可能な《いすり》においては、一層の強調が施される。しかしながら……京香は「そんな事言わずに」と食って掛からず、唯一言――。


「えっ、良いんですか?」


 私が勝っても知りませんよ、という意を後輩らしい甘えた台詞に添加し、面倒そうに手札を開く鶉野に届けた。


「年長者ですもの、当然よ」


 素知らぬ風に言ってのける鶉野。腹の奥では絶対に「別の意味」が含まれている事を京香は看破していた。


「じゃあ手軽に、五〇点先取でいきましょうか」


「えぇ、構わないわ」


 鶉野は手札を眺め、静かに言った。


「《読み》系は好きなのよ」


 核を持たぬ、虚像のような声だった。

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