第8話:最終形態
読まれていた? 私が《芒のカス》を持っていた事を?
偶然だ――そう考えようとして、しかし羽関京香は「もしかして」と眉をひそめた。
梅に短冊 藤のカス
芒のカス 桐のカス
彼女の残る手札であった。仮に龍一郎が《芒に雁》以外の札を打った瞬間、即座に芒のカス札を打って闘技を終わらせる事が可能であったが、果たして目論見は打ち砕かれ、師走戦は混沌の一途を辿る羽目になった。
回を重ねる毎に強く、そして読み辛くなる相手の打ち筋に、羽関京香は一種の「興奮」を覚えていた。
決して諦めず、常に最善手を選択する近江龍一郎という男の底力を、彼女は誰よりも濃密に感じ取っていた。
座布団の向こう側から放たれる「覇気」「真剣さ」が突風のように渦巻き、果たして彼女は全身全霊の闘技を楽しんでもいた。
私が勝てば賀留多文化は失われる。
彼が負ければ叔父さんのお店は大きな打撃を受ける……なのに、なのにどうして――私は全力で勝とうとしているの?
羽関京香は《桐のカス》を打ち、続いて《菖蒲のカス》を起こした。
種札が四枚となり、加算役の《タネ》の完成が間近となる。
勝利が手に届きそうになるに連れて、その横で息絶えそうな「賀留多文化」が彼女を見つめているようだった。
強い愛を持つが故に、果たして賀留多の喉元に刃を突き付けている自分が恐ろしく、だが止める事が出来なかった。
「この人と本気で打ちたい、絶対に勝ちたい」――そう思ってしまう自分に彼女は怯えていた。
叔父さん、ごめんなさい。
花ヶ岡の皆さん、ごめんなさい。
私、羽関京香は――賀留多において手を抜けない、途方も無い大馬鹿者でした――。
手札と場札を照らし合わせ、相手の手札や山札を推測する行為。
相手は今何を考え、どう動くのかを予想し、邪魔する行為。
欲しい札をいち早く手に入れ、華麗に出来役を完成させて出し抜く行為……。
《こいこい》における全ての行為が、日常では他人から一歩退いた場所を自らの領域とする羽関京香を大いに狂わせ、「相手より何歩も先んじる事」を強制した。
その影響を心から望んでいたのは、他ならぬ彼女自身であった。
賀留多だけが、大人しく控え目な彼女に「闘争の妙」を教えてくれたのだ。
札を打つ楽しさ、捲る楽しさ、駆け引きの楽しさ、策謀の楽しさ、勝利の楽しさ……羽関京香にとって賀留多とは、「快楽」の権化であった。
その快楽の余り、彼女は暗い未来をすっかり忘れ、現状の闘技に酔いしれていた。
勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい――絶対に勝ちたい!
これ程まで誰かに勝ちたいと思ったのは初めて……。
近江さん、貴方は私を何処まで「おかしく」させるのですか!
敬愛する兄には勿論、誰にも見せた事の無い目――「蠱惑的」な眼光を今、羽関京香は対峙する男子生徒に向けていた。
残る三手がもたらす刺激は如何なるものか……彼女の全身は焦がれ、待ち受けていた。
変質した彼女の視線を捉えた近江龍一郎は……何処までも冷徹な双眼で見つめ返した。
凍土の如く冷えた視線を受け、羽関京香は湧き上がる熱情に耐え切れず、「んっ」と一度咳払いをした。
早く次の一手を見せてください……媚びた声が彼女の喉元で鳴ったようだった。
相手の変貌を受け、龍一郎はしかし臆する事無く睨め付けた。
色仕掛けというよりは――徹底的に相手を仕留める為の「最終形態」に彼は感じたからだった。
勝ちたい……シンプルな欲求が極まった時、龍一郎は何処までも冷たい表情になり、また羽関妹は熱を持った双眼を輝かせるのであった。
六手目、龍一郎は《萩のカス》を捨てて場の流れを再度読み始める。
起こした札は《紅葉のカス》、然程の危険性は感じられない。
続いて羽関妹は《芒のカス》を打った為、彼は自身の「読み」が冴えている事を確信した。起こされた札は《牡丹に短冊》だった。
三枚目の牡丹。
ここまで来れば、最早――防御に意味は無く。
七手目である。
龍一郎は《菊に短冊》を場に打ち付けた。
目付役の吉野田が眉をひそめ、恥じたように顔を伏せる。一方の羽関妹は満を持して登場する《青短》の構成札を見やり、嬉しげに目を瞬かせた。
そんな目をしているが、どうせあんたの手には無ぇだろ――龍一郎の眼光が更に鋭くなる。起こした札は《菊のカス》、自給自足にはやや栄養が足りなかった。
彼の黙したままの挑発をハッキリと聞き受けたように、羽関妹は悔しそうに口を結んで《藤のカス》を打った。そして札を一枚引いた次の瞬間――。
「……フフッ」
初めて彼女が声に出して笑った。吉野田は恐れたように羽関妹を見やり、観客も何事かと視線を集中させた。
「……これ、三味線になりますか?」
上気した顔で羽関妹が問うた。龍一郎はかぶりを振って返答する。
「いいや、俺は気にしない。好きに喋りな。何だ? 上がりでもしたか?」
「近からず遠からずです……《梅に鶯》、起こしました」
「それが?」
これを見てください――彼女は恍惚の表情で手札を「開いて」見せたのである。余りの異常行動に吉野田が立ち上がり、「何をなさるのですか」と強い声調で言った。
「《八八》でもないのに手札を開くなど……!」
違います――恍惚とした顔で羽関妹は吉野田を見やり、「ねぇ、近江さん」と笑った。
「この闘技は、この時間だけは私達のものです。……残り一手、近江さんが出来役を完成させなければ、私はこの《梅に短冊》で上がります。粘ろうが考えようが、次に起こる展開は決まっているんです。この局面――似たようなものを憶えていませんか?」
龍一郎は彼女を見つめ、「忘れねぇよ」と素気無く答えた。
「これは《高目》だ。あんたに手痛く負けた時と同じだ。……あぁ、そういう事か。ありがたいよ。あんた、俺に完全決着の場を用意してくれたんだろう。見上げた賀留多馬鹿だな。そうだ、あの勝負は未だに悔しいし腹が立つ……。吉野田さん、流してください」
でも……と、吉野田が気弱な声で言い掛けた時……。
「……良いんじゃないの。別に」
口を開いたのは間瀬だった。
「この闘技は私にとって有り得ない事ばかり起きたわ。今でも理解し難い局面が幾つもある……きっと私には一生分からない事ばかり」
だったら……間瀬は二人の打ち手に向かい言った。
「最後まで有り得ない事をやれば良い。ただし、勝負の結果は絶対よ! それさえ変わらないのなら……好きなように打てば良いのよ。そうよね、斗路?」
筆頭目付役、斗路は一同の視線を一挙に集めた。しばらく押し黙り――困ったように微笑んだ。
「……私ならば、良しとするでしょう」
吉野田は息を吸い込み、迷いを振り払うように「続行を許可します」と言い切った。
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