第52話「車内清掃と髪の毛」

 秋、研修が終わり遂に櫻井さんの運転手になるための試験当日が訪れる。朝、「パイン」と櫻井さんからメッセージが届いた。


『今日は試験当日だね! 私は行けないけれど応援してるよ修三君! 』


 残念ながら櫻井さんとは今日会えないらしい。試験官の前で仲が良いところを見せると不利ということか単純に忙しいのかもしれない。試験が長引かなかったら15時から彼女といつも通り買い物に行くという約束をしているので前者の可能性の方が高そうだ。


『ありがとう、櫻井さんの応援があれば百人力だよ! 』


 と力強く打ち込み送信するとネクタイをきつく締めて愛車に飛び乗った。


 自転車を漕ぐこと45分程、今では行き慣れた櫻井さんの家に到着する。


 櫻井さんの実家はレンガ造りなばかりかまず家の周囲が鉄の敷居で囲まれておりレンガの壁と鉄製の門がオレの侵入を阻んでいる。最も驚くことは門から家への距離だ。100メートルはあるのではないだろうか? 門と家の間は車が2台通れるくらいのスペースを残し様々な木や花が植えられている。


 初めて来たときは余りの豪華な家に委縮して一時帰宅したなあ……


 遠目に彼女の家を眺めながら懐かしさに浸る。


 試験は11時からで現在時間は10時45分、完璧だ!


 オレは深呼吸をするとインターホンを押した。


「どちら様ですか? 」


 いつもなら櫻井さんの声が聞こえるところに聞きなれない声がする。多分この人も苗字は櫻井さんだけれど……


「本日運転手試験を受けさせていただく坂田修三と申します」


 慣れない敬語でインターホンに語り掛けるフフッと微笑んだ声が聞こえた後「坂田さんですか、お待ちしておりました」という返事の後、門が開いた。



 いつものように車庫へと行くと斎藤さんが車の横に立っていた。


「お待ちしておりました、修三様」


「もしかして待っていてくれたのですか? 」


「まあ、何と言いますか本日はお嬢様が出かける予定もなくお暇ですので」


 珍しく斎藤さんがポリポリと頬をかきながら時計を見る。


「10分前ですか、少し早いですが始めましょうか」


 そう言って白い手袋を手渡すと斎藤さんは車の後部座席のドアを開いた。


「まずは車内清掃からです、11時10分にもう1人の試験官の方がお見えになりますので、失礼のない様にそれまでにこの車を綺麗してください」


 オレは生唾を飲み込み開かれた後部座席を凝視する。


 これが第一試験、車内清掃だ。勿論斎藤さんと対策をにコツを教えてもらったのだけれど問題が1つ存在した…………みるからに塵一つない綺麗なのだ!


 分かりやすく散らかしておいてくれればこちらとしては有難いのだけれど櫻井さんはそんなことはしなさそうだからなあ……といけない!


 試験中だというのに緩んだ頬を元に戻すために頬を両手でパンと叩いた後再び座席を凝視する。


 こうなると探すべきは……髪だ! 黒いシートに黒い髪を見つけるというのは至難の業だがやるしかない!


「失礼します」


 オレは一礼して車の中へと入ると帽子を深く被りなおした。


 この帽子もコツの1つだ! こうやって清掃している最中にうっかり髪を落としてしまっては元も子もない! だからこうして帽子を被り髪を落とすことがないように珍しく帽子を被っているのだ。


 まずはフロアマットを外へ出して掃う、しかし石ころ1つ無い綺麗なものだった。お次はシートだ! くまなく塵一つも見逃さないで探し……って試験とはいえ好きな人の車の中からその人の髪を探すって改めて考えると凄い状況だなあこれ。


 ふと顔が熱くなってきたので再びパンとさっきより強めに叩いた。


 やがて、シートの境目に挟まった1本の黒い髪の毛を発見するとすぐさま手に取る。


あったああああああああああああああああああ! 髪の毛だあああああああああああああ! オレは砂場の中からコンタクトレンズを発見するような神業を成し遂げたぞおおおおおおおおおおおおおおおおお! ! !


 達成感に包まれながら引き続き後部座席を探るも髪の毛以外にゴミらしきものは見つからなかったのですぐさま助手席の確認をする。後部座席と同様に調べるもゴミらしきものはみつからない。


「終了しました」


 斎藤さんに声をかけると「それでは」と帽子を深く被り直し手袋も引っ張り着けなおす仕草をした後に後部座席に入って僅か数秒足らずで出てきて次に助手席を確認する。


「お見事です修三様、見事に私の落としておいた髪を発見し塵一つ落としていません。合格です」


 斎藤さんが笑顔で言う。


 合格……良かった、これで一次試験は突破だ!


 久方ぶりに聞いた「合格」という言葉に胸を弾ませるも突如ヒヤリとした違和感に襲われ固まる。


 待った……私の置いておいた髪? ということは……


「斎藤さんの髪でしたか! 」


 思わず声に出してしまう。これにより【好きな人の車の中から必死にその人の髪を探す】というシチュエーションは【好きな人の車の中から必死にその運転手さんの髪を探す】という状況に早変わり。


「おや、この年になると髪は貴重なのですが、それとも……」


 斎藤さんが帽子を取ると大切そうに髪を撫でる。


「い、いえそういうわけでは……」


 まずい!これじゃ櫻井さんの髪が良かったみたいじゃないか! しかしこの状況どうやって誤魔化そう……何を言ってもアウトな気がする!


 オレが言葉に詰まっていると斎藤さんが笑った。


「恋愛中でしたら、この状況でそんな考えがよぎるのもよくあることです。お若いですね修三様」


「面目ない。つい車内に髪があると推測した時に誰のものなのかと無粋な考えをしてしまいまして」


 どうやら笑い話で済んだようで良かった。そうやって2人で談笑しているとコツコツと靴音が響く。


「おっ、楽しい時間は何とやら。もう時間のようですね」


 車庫から出る斎藤さんに倣うように出ると1人の女性が向かってくるのが見えた。


「こんにちは、坂田さん」


 その顔を見て息を呑む、その女性は大人びているものの櫻井さんにそっくりだったのだ!




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