第29話「ハグしちゃおう作戦」
「「ごちそうさまでした」」
「ありがとう、櫻井さん凄い美味しかったよ」
「それは先生が良かったからだよ。ご飯と肉じゃが美味しかったしこちらこそ色々とありがとう! 」
なかなか嬉しいことを言ってくれるじゃないか櫻井さん……しかし、思えば櫻井さんとご飯食べるの今回が初めてだった。初めてが彼女の手料理というのはなかなかいいものだ! !
「そうだ、櫻井さん。コーヒーか紅茶飲む? 」
有頂天気分で尋ねる。
この問いはドラマの1シーンでみたものだ、間違いはないだろう! !
「了解」
そう言って食器をついでにもっていこうとしたら彼女に阻まれた。
「片付けは私がやるから、修三君は飲み物をお願い」
「そういうわけには、いかない」と食い下がろうとしたのだがどういうわけか今の彼女には信念があるようで大人しく引き下がった。
「じゃあ、お願いするよ」
そう伝えて一足先に台所へと向かう。
「あ゛」
コーヒーと紅茶が閉まってあった棚を開けて気が付いた。ドラマでみたあの問自体はおかしくもなんともない、それどころか気の利いている問だった。
しかし、オレの家にはインスタントしかなかったのだ! !
「さ、櫻井さん」
オレは急いで彼女に謝罪するべく茶の間へとUターンした。
結局、オレはいつも通りのインスタントコーヒーを、櫻井さんはインスタントの紅茶を飲むことになった。この時、今後のためにコーヒーメーカーとティードリッパーを買っておこうと決心した。
「そういえばさ、修三君小学校時代のことを思い出していたって言っていたけどどんなことを思い出していたの? 」
紅茶を飲みながら彼女が尋ねる。
「体育の授業のドッジボールのときのことだよ」
「ごめん、どのドッジボールかな? 」
彼女が申し訳なさそうに聞き返す。
考えてみれば当然だ。ドッジボールは授業だけでもかなりやっていたのだ。しかし、よくよく考えてみればオレが櫻井さんにボールを当てられてアウトになったけど嬉しかったなんて話すのは恥ずかしいな……
「櫻井さんがコートの端にいたオレにボールを当ててアウトにした時のやつ」
それを聞いて彼女に心当たりがあったようで「あー」と声をあげる。
「あれは私も驚いたよ、修三君は相手チームのはずなのに外野みたいにボールを持った人が近づいても銅像みたいに動かないし私たちのチームの人ばかりか修三君のチームのコートの中の人も動いている自分たちが当たると終わりだと思っていたみたいだったから」
「どうしてわかったの? 」
オレが尋ねるとどういうわけか櫻井さんが少し悲しそうな顔をした。
「あのときの、修三君。少し悲しそうな顔をしていたから」
「そ、そう? 」
そうだったかとあの時のことを思い出そうとする、しかしあの時の気持ちを完全に思い返すことは不可能だった。
「かくれんぼで誰にも見つからずに放置されたときに悲しくなる……みたいな感じだったのかも」
結局オレはそういう風に結論を出した。彼女も「そうだったのかもね」と同意する。
「でも、どうしてその日の記憶が松風焼きで? 」
し、自然な流れで話の核心に入ってしまった…………とはいえ、今回は回避が容易い!
「それは、その日の給食が松風焼きだったからだよ! 」
それを聞いて彼女がクスリと笑う。
「修三君って昔から松風焼きが好きだったんだね」
彼女の言葉に小さく頷く。
上手く誤魔化せた気はするけれど彼女の中で想像以上に松風焼きが大好きな男となってしまったようだ。しかし、これは必要な痛みというやつだろう。
「これより、『ハグしちゃおう計画』を実行する! ! 」
そう心の中で高らかに宣言した。
「櫻井さん、オレ実は就職のためにTOEICの勉強を始めようと思うんだ」
まずは作戦の第一歩、自然な流れでハグへと持ち込むために話題を振る。
「え、修三君TOEICの勉強始めたんだ,
頑張って! 」
何ということだ、この時点で既に高評価だ !TOEICというのはやはりハードルが高いのだろうか?
「ありがとう、櫻井さんも良かったらどう? 」
オレがそう尋ねると彼女は俯いて少し考え込むようにしてから決心したように顔を上げた。
「私は良いかな」
「そっか……」
まあ、現状家を継ぐことを考えている櫻井さんからすると英語は必要ないかもしれない。万が一オレの就職が上手くいっても彼女が英語を使うことはないだろうし断られたのなら大人しく引き下がろう…………本当の狙いは別にあるのだから!
「あ、もうこんな時間だ! 斎藤さんが迎えに来ているかも! 」
それから数十分後、2人で『中年探偵団』について語り合って一段落した時に櫻井さんが時計を見て慌てて行った。
「そっか、元々料理を教えるって約束だけだったからね」
時刻は13時過ぎ、まだまだ迎えがくる時間というと早すぎる気もするが約束は約束だし彼女も忙しいのだろう。
「じゃあ、車まで一緒に行くよ! 」
そう言って彼女と一緒に立ち上がる。彼女をリードするようにオレは先頭を歩き茶の間を出て玄関へと向う。そして、そこで回れ右をして彼女の方へと向きなおった。
斎藤さんの目の前でハグをするのも気まずいのでチャンスは今しかない! !
「どうしたの修三君? 」
急に立ち止まったばかりかこちらを向いたオレに対して不思議そうに尋ねる。
「櫻井さん! オレ、TOEICを勉強していて知ったんだけどさ」
そう言ってオレは両腕を大きく広げた。
「外国だとお別れをするときに男女関係なくハグをするらしいよ! 恥ずかしいことじゃなくて外国だと普通らしいんだ! 」
そう、『ハグしちゃおう計画』とはこのように海外では普通と言いハグを迫るという……いわばゴリ押し! TOEICで勉強したというのは勿論嘘だ! 本当の情報源は海外ドラマのワンシーンだ!
さあ、櫻井さん! オレの胸に飛び込んでおいで! !
そう考えながら更に両腕を天高くあげる。すると彼女は困惑した表情で言いにくそうに口を開いた。
「修三君、ハグは海外でも親しい人しかやらないらしいよ。例えばドラマとかだと恋人とか夫婦とかがほとんどで……」
なんですとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ? そういえば、あのシーン2人は夫婦だったような……我が家の両親では見たこともないから刺激的に感じて重要な登場人物の関係性を忘れてたあああああああああああああああ! ! ! ! ! !
「そうだったんだ、ごめんね」
最後の力を振り絞り精一杯笑顔を作ってそう返答する。
この作戦、失敗すると凄い空しいなあ。それにしてもまずい、ハグを拒否されてしまった。まだそこまでの段階ではなかったってことか………………とりあえず今日は大人しく送って行こう。
オレが玄関の方に向き直って靴を履こうとしゃがんだその時だった。
「もう、修三君は本当に動揺すると隙だらけだなあ」
櫻井さんの声が耳元で聞こえたと認識するや否や背中に温かくて柔らかい何かが当たった。もしや……と見下ろすとオレの首元に彼女の腕が巻かれている。
「ごめんね、私も修三君が急にあんなことを言い出して心の準備ができていなかったから……今日はこれで我慢して? 」
突然の出来事に動揺している頭を何とか働かせて現状を整理する。
間違いない……これは…………ハグだ! !
ふ、ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! ! ! ! ! !
オレは櫻井さんの温もりを近くで感じられることの幸せを噛み締めながら脳内で雄たけびを上げた。
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