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2019年2月2日 12:46
虐待のお話を、ニュースとかでも目にすることはあるのですが、どうして「産む」と言う決断に至ったのか、とても不思議に思うんですよね。産むのが責任と言う無責任な自己暗示。ただ腹の中の子を殺す決断が出来ないから、その罪悪感から逃れるために産んだに違いないと思うんです。私は男なので産めませんが、代わりに嫁にも産ませません。立派に育てきる自信と経済力がないから。後自分が陣痛に耐えきる事が出来ないくせに、人にさせると言う行為が精神的に耐えられません。「なんとかなるよ」と人は言います。無責任です。それは何とかなっているように見えるだけで、実際はなんともなっていない現実をあなた方が見ていないだけだ。と、思うんです。この作品に出てくるレイサちゃんの父母は、まさに「なんとかなるよ」と人に言える人だと思います。私は繁殖を拒絶する、一生命としては最低の人間かも知れません。ですが、レイサちゃんと言う可哀想な子を産まないと言う選択も同時にしていると思うんです。この作品が、愚かな私を救うための小説ではないと言う事は、重々承知しております。ですが、私は勝手に救われました。すみません。自分語りが過ぎました。でも、この作品を読んだときに、そう思ったのです。レイサちゃんを抱きしめてあげたい。えほうまきを、食べさせてあげたい。私は子供が好きではありませんが、救いを求める人間に手を差し伸べる人間でありたいと思います。それも、本当の弱者に対しての。
作者からの返信
ありがとうございます! そして、「あなたの道を走れ、廃車寸前のバンで」に素晴らしいレビューをいただいたこともこの場でお礼を言わせてください。ありがとうございます。子供を世に出すということについてわたしはシーチさんの感覚がよくわかります。実はわたし自身がこの世に生まれてくるときに、両親たちの複雑な事情があったものですから。そして子供を持つことはとても繊細な話なので深くは語れませんが、たとえば不妊に悩むご夫婦には体外受精という方法もありますけれども、『養子を迎える』という選択肢もある訳です。実際わたしの親戚にはそうしている家もあります。それに、職場で若い社員さんたちを育成することも、立派な『子育て』だとわたしは思っています。シーチさんのおっしゃるように、血のつながりというものでは測れない愛情、慈しみ、というものにわたしはより感動を受けますし、小説においてもそういう関係を描いてしまう自分がいます。わたしの方こそ長文となり、大変失礼いたしました。
虐待のお話を、ニュースとかでも目にすることはあるのですが、どうして「産む」と言う決断に至ったのか、とても不思議に思うんですよね。
産むのが責任と言う無責任な自己暗示。ただ腹の中の子を殺す決断が出来ないから、その罪悪感から逃れるために産んだに違いないと思うんです。
私は男なので産めませんが、代わりに嫁にも産ませません。
立派に育てきる自信と経済力がないから。後自分が陣痛に耐えきる事が出来ないくせに、人にさせると言う行為が精神的に耐えられません。
「なんとかなるよ」
と人は言います。
無責任です。
それは何とかなっているように見えるだけで、実際はなんともなっていない現実をあなた方が見ていないだけだ。と、思うんです。
この作品に出てくるレイサちゃんの父母は、まさに「なんとかなるよ」と人に言える人だと思います。
私は繁殖を拒絶する、一生命としては最低の人間かも知れません。
ですが、レイサちゃんと言う可哀想な子を産まないと言う選択も同時にしていると思うんです。
この作品が、愚かな私を救うための小説ではないと言う事は、重々承知しております。ですが、私は勝手に救われました。
すみません。自分語りが過ぎました。でも、この作品を読んだときに、そう思ったのです。
レイサちゃんを抱きしめてあげたい。
えほうまきを、食べさせてあげたい。
私は子供が好きではありませんが、救いを求める人間に手を差し伸べる人間でありたいと思います。それも、本当の弱者に対しての。
作者からの返信
ありがとうございます! そして、「あなたの道を走れ、廃車寸前のバンで」に素晴らしいレビューをいただいたこともこの場でお礼を言わせてください。ありがとうございます。
子供を世に出すということについてわたしはシーチさんの感覚がよくわかります。実はわたし自身がこの世に生まれてくるときに、両親たちの複雑な事情があったものですから。
そして子供を持つことはとても繊細な話なので深くは語れませんが、たとえば不妊に悩むご夫婦には体外受精という方法もありますけれども、『養子を迎える』という選択肢もある訳です。実際わたしの親戚にはそうしている家もあります。
それに、職場で若い社員さんたちを育成することも、立派な『子育て』だとわたしは思っています。
シーチさんのおっしゃるように、血のつながりというものでは測れない愛情、慈しみ、というものにわたしはより感動を受けますし、小説においてもそういう関係を描いてしまう自分がいます。
わたしの方こそ長文となり、大変失礼いたしました。