【01】記憶の断片


 これは夢だ。

 ぼくの昔の記憶だ……。




 春先はいつも物憂ものうい気分におちいる。

 しかし、その年は違った。天使が舞い降りたからだ。

 しみついたやにと酒精の薫り。

 三十一番街の隅にある“南瓜頭パンプキンベッド

 ぼくらの溜まり場の小さな酒場だった。

 そのいつもの席で、昼間から仲間たちと共に、とりとめもない話をしているとブラウンが彼女を連れて来た。

 金砂のごとき髪。

 青く円らな瞳。

 焼きたての陶器のような艶やかな肌。

 とても綺麗な人だ。

 彼女は、ぼくたちのテーブルの側まで来ると、薔薇の蕾の様な唇を開き自己紹介をした。

「初めまして。ミレア・プランターノと申します。よろしくお願いします」

「ミレアさんは、都の魔術学校に通っていた事もある才媛だよ」

 ブラウンが彼女に関する情報を補足する。

 ぼくは、プランターノという姓に聞き覚えがあった。そして、すぐに思い出す。

 プランターノ家は、この町から南の海沿いに大きな荘園を持つ名家だった。その事について尋ねると、彼女は……。

「ええ。そうです。そのプランターノです」

 と、少し恥ずかしそうに微笑んだ。

 上質な絹の長衣ローブに、精緻な彫刻がなされた長杖。何より靴がまったく汚れていない。

 なるほど、と、ぼくは彼女を見あげながら頷いた。

 すると、隣に座っていたジョンソンが右手でぼくの背中を叩いた。その手首には魚の刺青が入っている。 

「なっ、何だよ?!」

 ぼくが驚いて唇を尖らせる。するとジョンソンは意地の悪い笑みを浮かべて、こう言う。

「お前、顔が赤いぞ」

 さらっとやり過ごそうとしたが、うまくいかなかった。

「ななな何でもないよ」

 言葉を噛んでしまい、仲間たちが一斉に笑う。

 こっそりと、彼女の様子を窺うと、口元に手を当てて目を弓なりにして微笑んでいた。気分を悪くしている様子はない。

 まるで女神のようだった。

「……で、小僧の事はおいといて、このお嬢さんは仕事の依頼主か?」

 ギンベがブラウンに問うた。因みに小僧とは、ぼくの事だ。

 ブラウンは、その問いに首を振る。

「いいや。彼女は、このパーティに入りたいらしい」

「何と……こんな、お嬢さんが、冒険者を?!」

 ギンベが椅子に座ったまま仰け反り、驚いた。

 しかし、そんな彼の様子に気を悪くした様子も見せず、ミレアは言った。

「魔術の研鑽と研究のためです。せっかく、学校を出たのですから、単に教養を身に付けただけで終らせたくなくて」

「ほう。それは感心な事だな」

 ギンベが得心した様子で頷く。

「まあ、都の魔術学校の出ならば、腕は本物だろうしな」

 と、ジョンソン。

「みなさん、まだまだ不慣れなところはあると思いますが、よろしくお願いします」

 ミレアは丁寧なおじぎをした。

「なあに……これから、慣れていけばいい。さあ座って」

 ブラウンが空いてる椅子を引いた。彼女は遠慮がちに座る。

 ぼくの隣だ。どきどきする。

 そしてブラウンが腰を落ち着けたところで、ギンベが店員を呼んだ。人数分のエールを注文する。

「まずは乾杯だ。それが冒険者の流儀ってもんよ!」

 ギンベが人の良さそうな笑みを浮かべる。

「司祭は何時も飲んだくれてるだろ? 流儀もクソもあるか」

 ブラウンが呆れる。ジョンソンが笑う。ぼくも笑った。

 ギンベは仲間から司祭と呼ばれている。彼が炎の神に使える司祭だからである。

「あら……あなた」

 そこで、ふと彼女がぼくの右耳に気がついたらしい。

「あっ、その。これは……」

 ぼくがまごまごして答えそこなっていると、ジョンソンが助け舟を出してくれた。

「こいつは耳がすごく良いんですよ。だから耳栓をしていないと五月蝿くて仕方がないみたいです」

「まあ……」

 と、ミレアが口元に手を当てて驚く。

「そうです。こっ、これでも全然、普通に聞こえるので……」

「でも彼の耳はとても頼りになる。僕たちも何度も助けられた」

 そのブラウンの言葉にくりくりとした両目を見開くミレア。

「そうなんですか! すごい」

 とても可愛い。

 ぼくは「えへへ……」と照れる。

 するとギンベが意地悪な笑みを浮かべる。

「また顔が真っ赤になってるぞ?」

「えっ?! えっ?!」

 ぼくが慌てると、またみんなが大爆笑を始める。

 そんな会話があって、少しして、エールが運ばれて来て、ぼくたちは初めての乾杯をした。

 頼れるリーダーのブラウン。

 元船乗りで器用なジョンソン。

 火の神の司祭ギンベ。

 ぼくと……麗しの君、ミレア。

 この銀鷲騎士団は最高の仲間たちだった。


 それが、まさか、あんな事になるなんて……。


 雨音と共に遠雷のいななきが近づいてくる――。

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