上条怜祇

 君は夢を見たことがあるかい?

 いや、別に馬鹿にしているわけじゃないんだ。

 夢と言っても色々な意味があるじゃないか。でも夢ってものが一体何なのか、僕はいまいち要領を得ないんだ。


 夜眠っている時に見る夢。現在より先の理想の未来としての夢。

 どちらも夢という言葉で表されながらも、異なるものを表している。

 じゃあ本当の夢って何なんだろうか。

 先の夢が表していたものの共通的な意味はきっと、現実ではないものというものだろう。

 しかしね、君。ここで僕は躓いてしまうんだ。


 そもそも現実とは一体何だい? 何を以て現実を定義するんだい?

 ――自分が見聞きし触れたもの、か。では問うが、君は現実かい? それは誰が保証するんだい? 君を君たらしめている要素は何だい? その要素はどこから出現した? その出現元は現実か? 君の、その思考はどこから生まれた?

 君は、何を以て現実を認識する?


 ……少し詰め込みすぎてしまったかもしれない、すまないね。どうやら僕はこの手の話だと舌が独りでに走ってしまうようだ。

 とにかくだ、僕は現実と夢の区別が付けられないんだよ。

 例えば、今君が示してくれた現実の定義で行くと確かに夢というものは現実ではないのかもしれない。だがね、無意識下によって顕現する夢では見たり聞いたり触ったりすることができるじゃないか。それは現実ではないと断言できるかい? 君が現実だと認識しているものが実は夢で、夢だと思っていたものが所謂いわゆる現実だと言われて否定できるかい?


 将来を指す夢だってそうさ。現実にならないものを夢と呼称するのなら、夢を叶えた者など存在しないだろう。だのに所謂現実には夢を叶えた人間が存在するじゃないか。この矛盾について、どう折り合いをつければいい? 結局夢というものはその現象の本質ではなく、計画という言葉を包むだけの布にすぎないじゃないか。

 ――叶えられない人間だっている、と。そうか、君はそう返してくるのか。では一つ言わせて貰うが、構わないね?

 夢を叶えるか叶えないかというのは元来その本質ならざる表現にすぎないのさ。結局は夢という布を取っ払って見えた計画を実行するか否かの問題に他ならない。だってそうだろう? その計画を実行しない言い訳として夢は叶わないとさえずっているんだよ。


 こうなってくると、僕は夢の本質というものが分からなくなってくるのさ。そこで僕は考えた。人間こそが夢の本質ではないかと。

 人間の存在そのものを夢と定義することによって現実と夢の境界は存在しなくなる。個々の存在が歩む道程は、大なり小なりその個々が計画、判断を行った結果にすぎず、畢竟ひっきょう夢と称するに好適じゃないか。

 こうすれば、いかな用法で夢と表してもその本質が揺らぐことはないだろう。

 なぜなら用いる主体それぞれが夢たる存在なのだから。これで君も異存あるまい?

 逆説的に言えば夢のない人間というのは人間ではないのかもしれないね、人間が人間たるのはその存在が夢たる時であるのだから。


 故に僕は夢というものを見たことはないんだ。

 君は、夢を見たことがあるかい?

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上条怜祇 @kamijo_satoshi

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