想い出と一年後の彼女

moes

想い出と一年後の彼女

「長尾さん?」

 すれ違うのも必死なほどの混雑の中、喧騒の中に自分のことを呼ぶ声がした気がして、きょろきょろと視線をさまよわせる。

 見知った顔が見当たらず、気のせいだったかと首をかしげたところに、すぐそばでもう一度呼ばれる。

「長尾さん、だよね?」

 笑みをたたえてこちらを見ているのは、同世代の女性。

 すごく美人、というわけではないけれど印象的な雰囲気が目をひく。

 アタマのすみに、引っかかるものを覚え、記憶を掘り起こす。

 ――覚えているのは、ぴんと背筋を伸ばして図書室で本を読んでいた姿。

 凛とした様は、群れて行動するのが基本の女子高の中、別世界の住人のようで、ひそかに人気があったのもうなずけた。

 卒業から約一年。

 今、目の前に立つ彼女は、あの頃よりずいぶんやわらかい雰囲気で。

「ごめん。わかる。咲谷さん。一瞬わからなかっただけ。綺麗になってたから」

 慌てて言うと、彼女は小さく吹きだす。

「すごい。ふつうにくどく文句みたい。トキメクなぁ」

 こういう軽口を返してくるとは思わなかった。そういうタイプに見えなかった。

 あのころの彼女は寡黙で無駄口など叩かないイメージがあった。

 見た目もどちらかといえば中性的で少年っぽかったのに、たった一年でこんなにやわらかな女性にかわるというのは、なんだか驚く。

 化粧はうっすらしている程度、にも関わらず。髪を少し伸ばしているせいだろうか。

「まだ、買い物の途中? 良かったらお茶でも飲まない?」

 これも聞きようによっては古臭いナンパの常套句だよなぁ、などと考えながらうなずく。

「行く。買出しはこれで終わりだし」

 自分用を買おうかと思っていたけれど、またにしよう。

 のども渇いているし。なにより、在学中、まともに話したことのない彼女とこうして話せる機会なんて、この先ないかもしれないし。

「半分もつよ」

 両手のふさがっている私の左手から、彼女は自然に荷物を引きぬく。

「咲谷さん、オトコマエ。トキメクわ」

「うわ。仕返し?」

 先ほどの言葉をそのまま返すと彼女はニガワライした。



「それにしても長尾さん、こんな大量のチョコ、どうするの?」

 戦場のようなチョコ売り場を抜け出し、ショッピングセンター内のカフェに落ち着くと、彼女はしげしげと紙袋の山を見つめて尋ねる。

 様々な店の紙袋が大小あわせて八個もあればその疑問も当然だ。

 対して彼女の持つのは有名メーカーの小さな紙袋ひとつ。本命かな?

「職場等々に配るらしいんだよ」

 ため息をつくと、彼女は不思議そうな顔をする。

「あれ? 長尾さんて、進学したんじゃなかった?」

 私の進路なんか良く知ってたなぁ。クラスも違ったし、付き合いなかったのに。

 うちの学校、ほとんどが進学だから当然のように考えただけかもしれない。

 それ以前に、こちらの名前を知っていたことだけでも実は驚いていた。私は目立つ方でもなく、ごく平均的なタイプだったし。

「うん。これは姉に頼まれたやつ。会社で頼まれたらしいんだけど、それをまる投げされた。あと、おねーちゃんの自分用とか友達に頼まれたやつとか」

 ずらずらっと長いメモを押し付けてくださった。あの人、妹イコール下僕だと思ってるからな。些細な報酬につられて結局言うことを聞いちゃう私も悪いんだろうけど。

「そうなんだ。大変だー」

 おもしろがっているような彼女の、カップをもつ左手薬指にはシンプルな銀色の指輪。

 噂はあった。

 進学も就職もせずに結婚するのだと。望んでの物ではなく、政略結婚だという話もあった。

 実のところはどうなのかは知らない。聞いていいものなのかどうかも。

「でも咲谷さんが私のこと知ってるとは思わなかったな」

 だから、全然関係ないことを口にすると、彼女はにっこりと笑った。

「そう? 長尾さん、よく図書室で見かけたし、基本的に人の輪の中にいるんだけど、たまにふわっと浮いてたよね。心ここにあらずというか」

 良く見てたなぁ。

 確かに、人の話を聞いてるようで聞いてない、とか友人には良く怒られていたけど。

「そういうとこ、かわってない感じ。殺気だったチョコ売り場の中で、妙に淡々と買い物してたし」

 それ、単に疲れてただけかも。自分に関係ないチョコばっかり買って、なんの楽しみもなかったし。

「咲谷さんはちょっと感じ変わったよね」

 やはり、結婚したせいなのだろうか。雰囲気、まるくなった感じ。

「私、ひねくれてたからね。悪目立ちしてたでしょ」

「全然っ。咲谷さん、人気あったし。でも騒がれるの嫌いそうだから、みんな自重してたけど」

 女ばっかりの学校で、擬似恋愛の一種なんだろうけれど、「もてる」人たちというのは一定数いて、彼女は確実にその一人だった。

「触れるな危険、みたいな扱いだった気もするけどねー」

 すごく懐かしそうに笑う。たった一年前のことなのに。その懐かしさから声をかけてくれたのだろうか。ほとんど話をしたこともない自分に。

「長尾さん、これ、気になってるでしょ?」

 唐突に彼女は左手を見せる。

 気付くとつい、視線がそちらにむいていた。彼女の手が動くたび、無意識に。

「ごめん」

 気になるなら初めから聞いておくべきだった。聞かないなら、そのことを悟らせないようにするべきだった。

「別にあやまることじゃないよ? 卒業後、結婚した。噂にあったとおり、政略婚っていうか借金のかたに身売り?」

 彼女は静かに微笑う。

 何を言ったらいいんだろう。

 こちらの戸惑いを気にせずに彼女は続ける。

「一年がまんしてきたんだけどね、疲れちゃった。で、長尾さん見かけたから、懺悔しておこうかと思って」

「……ザンゲ?」

 って、あれだよね。罪を告白するってこと?

「正しくは予告かな。チョコに毒を盛ろうかと思って」

 彼女は軽く言うと、隣の椅子においたチョコレートの入った紙袋に視線を落とす。

「え?」

「手作りチョコじゃ却って不審に思われそうだから、既製品で。どうやって盛ろうかな」

 どこかうっとりと想いをはせている彼女の手を掴む。

「ちょっと待ってっ。待って。ダメだって」

「だって、これからずっと一緒にいるかと思うとぞっとするの」

 吐き捨てるかのように彼女は言う。本気だ。

「ダメだって。嫌なら離婚すれば良いだけだし」

「私の実家、相手からの援助をうけたの。だから結婚したの。離婚は無理」

 子どもに言い聞かせるような優しい声音。

 えぇと、でも。なんか他に方法が。

 怖いほどおだやかに微笑む彼女にかける言葉を必死に探す。

 見つからないまま、彼女の手を握り続ける。

「ぃたっ」

 妙に張り詰めていた空気をやぶる、みじかい声。

「ろくでもないウソついて、友だち困らせてどうするの」

 彼女の横に立つ、二十代半ばほどの男性が呆れたように呟く。

 だれ? っていうか、嘘?

「今、チョコに毒盛られそうになってたものです。はじめまして」

 ……つまり、旦那さんということだろうか。

 良くわからないまま小さく頭を下げると、彼は苦笑いを浮かべる。

「ごめんなさい。このヒト、好きな人の困った顔見たいっていう、小学生から成長してない感じなんで」

「大概、失礼な言い種じゃない? だいたい、盗み聞きなんて」

 彼女はむっとして彼を見上げる。

「事実でしょ。そして、友だちとの歓談を邪魔しないようにした僕の気遣いを盗み聞きって、それこそ失礼な」

 ため息混じりに、彼は軽くいなす。

 なんていうか、これは。

「だいたい、言葉の選択がおかしいんじゃないの? いつも」

 彼女はむくれたように彼につっかかる。

「はいはい。そうですねー」

 確かに、こんな風に言われたらハラは立つかもしれない。

 が、はたから見たら痴話げんかというか、単なるじゃれあいというか。

 馬鹿馬鹿しいというか、いい面の皮というか。

「こんな厄介なヒトですけど、仲良くしてやってくださいね」

 彼女に聞こえないようにこちらに近寄り、小声で彼は言う。大事にしてる感じが、伝わる。

 私は頷き、立ち上がる。

 伝票に手をのばすと、彼に先にとられる。

「大荷物ですね。買い物、済んでいるようでしたら家まで送りますよ?」

「だいじょうぶです。ありがとうございます」

 伝票を持っていかれてしまったので、彼女に自分のお茶代を渡す。

「気にしないで。ここで長尾さんから受け取ったら、あとでねちねち言われるし」

 ため息混じりの声。その表情がやわらかい。

「じゃ、ごちそうさまということで。ありがとう」

「さっきはごめんなさい。長尾さん、やさしいから、つい図に乗った」

 まっすぐにこちらを見てあやまる。

 意外な一面だったけど、こういう潔さは思ってたとおりで。

「良いよ。気にしてない。じゃ、またね……明日香さん」

 旧姓で呼びそうになり、下の名前に呼びかえる。今更だけれど。

 支払いを済ませてくれた彼にお礼を言い、別れる。

 しばらくして振り返った先に、仲良く並ぶ二人の背中が見えて笑みがこぼれる。

 どういう経緯で結婚したのかとか、そういうことは結局謎のまま。

 でも、彼女が今、しあわせでいる。それがうれしかった。



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