籠倉翔とケラクモノの喧噪

ヒツジ

金魚鉢

金魚鉢 1

 その生徒は制服姿のまま路上に立ち尽くしていた。

 帰宅途中に、弟が交通事故にあったとの連絡を母から受けたのだ。

 いま、弟は緊急手術室に入っているという。


 どうしよう、とにかく病院へ――パニックを起こしてすくむ足をむりやり動かして、その生徒は病院に向かおうとする。


 声をかける人物がいた。


「――ねぇきみ、いいものをあげようか」


 振り返った生徒へ向けて、声は続けられた。


「いい? よくきいて。これはね……」




    *




 事件が起きている。


 困ったなあ、と籠倉翔(かごくらかける)は頬杖をついてため息を吐いた。

 事件というより、病気の流行と言った方が良いのかも知れない。

 眠ったまま、起こしても起きない子供が増えているのだ。


 ぐずって起きるのを嫌がるというレベルの話ではなく、全く意識が戻らない。付近の小学校で四人、中学校で三人、翔の通う高校でも昨日までに七人が発症していて、先ほど朝礼でまた一人――それも、翔と同じクラスの親しい友人が――発症したため欠席との連絡があった。


 自分も明日にでも発症して、起きれなくなるんじゃないか、と翔は不安に思う。

 ゆえに困ったなあ、だった。


「なんか、すごいことになっているね……」


 翔に声をかけてきたのは隣の席の宴小夜(うたげさよ)だった。


「うん、困ったね。都瀬のやつ、大丈夫かな」


 とりあえず返事をしたものの、翔はそれ以上続ける言葉が思いつかなかった。

 そこへ、思いがけない提案をしたのは宴の方だった。。


「――ね、ちょっと調べてみない? これは事件だよ」



     *



 宴の提案は、夜の鶴見公園であるものを探そうというものだった。なんでも昨日と一昨日「その公園で白いものがふよふよしているのを見た」らしい。


 昨日は追いかけようとして見失ってしまったが、今日また現れるかもしれない。ので、一緒に追いかけて欲しいという。


 なんで僕? と翔が訊ねると、宴は「んんー、隣の席になったご縁? それに籠倉くん、都瀬くんと仲良しでしょ。気にならない?」とおっしゃるではないか。


 押し切られて、翔は夜八時前、鶴見公園に来ていた。


 六月。

 夜の風は少し冷たく、湿気をはらんでいた。この地域はもとから雨が少ない気候で、今年も空梅雨と言われる程度には雨が少ない。が、それでも不快な湿気まではなくならなかった。


 白いものかー、と翔はため息をついた。宇宙人や幽霊のしわざだったらイヤだなと思う。思う一方で、これがもしアレのしわざなら、確かに自分が動かなきゃいけないよなと思った。


 ほどなくして宴小夜は現れた。


 宴は高一女子にしては背が高い。翔と同じくらいで、一七〇センチ手前と言ったところだ。グレーのシャツの上に黒いカーディガンを羽織っており、細身の黒いパンツ姿だった。高身長と細身という特徴を生かしていて大人っぽい。髪型は学校と同じでセミロングをおろし、サイドが編み込まれたものだったが、制服とは違う雰囲気に翔はすこしたじろいた。


 翔はというと、何の変哲もないTシャツにジーンズである。


「ごめんね。私が誘ったのに待たせちゃって」


「ううん、まだ八時前だし、気にしてないよ」


 待ち合わせの時刻は午後八時。宴が白いふよふよなるものを見たのは午後八時半から九時の間であるらしい。


 宴が翔の方へ駆け寄りながら言う。


「昨日はさ、あっちの鉄棒の方からふよふよ〜って現れたんだ」


「ふぅん?」


「だから、んんー、どこがいいかな。あそこのぶらんこで待機しよう」


 言われるまま、翔は宴の後を追い、ぶらんこに腰掛けた。

 待機である。


 クラスの女子と並んでぶらんこに腰掛けて、改めて、よくわからない状況だと翔は思った。


 しばらく会話もなくぶらんこを漕いでみたが、他にすることもなく、翔は宴に話し掛けた。


「宴さん、宴さんはこの眠り病みたいなの、白いふよふよのせいだと思ってるの?」


 翔が朝から聞きたいと思っていたことを訊ねると、宴は首をかしげた。


「んんー、わかんないなー」


「あ、そうなの」


「その可能性もあるかなーと思ってる」 


 ぶらんこがキィキィと軋む音をたてた。


「オカルト好きとか?」


「んん―、そうでもないかな」


 少し困ったように笑って、宴は続けた。


「ごめんね、付き合わせちゃって。ビニール袋を見間違えたとか、それだけかも知れないんだけど、どうしても気になって」


「別にいいよ、僕も変だなーと思ってたし。探偵みたいでちょっと楽しい」


 さすがにデートっぽくって嬉しい、とは翔は言わなかった。


「籠倉くんに頼んで正解だったかも。もしかしてオカルト好き?」


「いやー、僕もそんなことはないかな……、そう見えた?」


 宴の目にいたずらっぽい色が宿る。


「んんー、ちょっとだけ? オカルトっていうか、ちょっと不思議なことに強そうな感じがする」


 なにそれ、と翔が首を傾げると宴は笑った。


 それから二人はしばらく会話を続けた。高校入学以来、隣の席になってもう二ヶ月になるが、必要最低限の会話以外ほとんど話したことがなかった。部活動に入っていないとか学食にはもう行ったかとか、同じ中学から進学した友達が数人いること、高校の勉強についていくのが大変そうだと思ったこと、プールの授業がなさそうで安心したこと、そんな、たわいもない会話だった。


「火曜日はさ、ちょっと習い事してて、いつも帰りが遅いの。一昨日もそれで今くらいの時間に帰ってて、この公園を通り抜けると近道になるんだけど……」


「あ、そういうこと」


 なるほどね、と翔はひとりごちた。

 火曜日に偶然この公園で白いものを見て、昨日は確かめようとしたものの見失った、と。


「変なもの見ちゃったら気持ち悪いもんね。来週も近くを通るならなおさら」


「うん。……ありがと」


 翔は思う。もしかしたらこれはラブコメちっくな何かで、高校に入学したばかりの僕にも運が向いてきたのかもしれない。変な病気はただのきっかけで、クラスの女子とお近づきになれる一世一代のチャンスで、病気の方は病院か警察か、誰かに任せておけば解決してくれるのかもしれない。


 そうだったら大変うれしいんですが、と翔が妄想を始めた頃、それは姿を現した。


「あれ」


 宴の声で我に帰った翔が宴の指差した方向へ目を向けると――白いふよふよしたものが、確かに漂っていた。


「お、追いかけよっ!」


 弾かれたように宴がぶらんこから飛び降りて、翔は慌てて後を追った。

 白いふよふよは、どうやら鉄棒の向こうのフェンスを超えてやって来たようだった。


 ふよふよ――と、あくまで漂うように、宙を優雅に泳ぐように、ゆっくりと白い物体は移動していく。


 動きは遅いが、ずいぶんと高いところを飛んで行くのでよく見えなかった。

 公園のケヤキの、てっぺんの辺りをすり抜けて行く程の高さである。


「んんーー! なんなんだろ、あれっ」


 宴がぴょんぴょんと跳ねながら、どうにかその正体を見破ろうとする。

 翔も下から見上げてそれを観察した。


 ——白い、ふわふわ……ひらひら、している、花、みたいな――あるいは、なんだろう、金魚?


 白い物体は、高木から高木へ渡るように、そして木がなくなっても相変わらず高いところを、ふよふよと移動していく。


 このまま公園を出て行きそうだ、と翔が思ったところで、進む方向にあたりをつけた宴が公園の出口へ走った。翔も後を追う。追いながら、その白い物体がやはりアレなのではないか、と思った。


 ―――芥楽けらく、ケラクモノ。


「んもー、どこまで行くんだろっ」


 白い物体はふよふよひらひらしており、一見かわいらしくも見え、翔も宴も恐怖は感じなかった。

 白い物体は公園を出て道路を渡り、家屋と家屋の隙間へ滑り込んで行く。


「宴さん、あっちから回り込んで! 僕はこっちから!」


 頷いた宴が走って行くのを見て、翔も逆方向へ走った。

 ぐるりと住宅街の一ブロックを回り込み、翔と宴が合流して待っていると―—白い物体は現れた。


 「あれ、あそこ!」


 ふたりで白い物体を追い、進む方向を予測して、道がない場合は回り込む。


 それを繰り返し、五度目の合流のとき――ふたりは白い物体を見失った。



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