この人とは楽しいかもしれない①

 新年最初の出勤日から数日経った、ある日のことだった。この日も私は、お昼に金森くんとともに喫茶店ちょもらんまに向かっていた。


 会社から喫茶店までの短い道のりを、金森くんと並んで歩く。私は彼の右側だ。不思議と金森くんと並んで歩くと、金森くんは私の左側にスッと並ぶ。


「うー……寒いねー……」

「1月の上旬だからね……」


 二人並んで、背中を丸くして肩をすくませて歩く。周囲に高いビルがあるわけではないのに、今日は風が強く、そして冷たい。そのせいか、周囲の光景に色があまり付いてないように見える。私の視界全体に、なんとなく色の濃度を薄くするグレーのフィルターがかけられているような、そんな状況だ。何を見ても、薄いグレーのような色に見えてしまう。


 だが、不思議と金森くんが羽織るチェスターコートの赤みがかった黒だけは、とても色濃く、くっきりと見えた。


 

 今朝の話だ。出勤した私と金森くんが薫お姉さまに呼ばれ、私は渡部先輩と共にお姉さまのデスクに足を伸ばしていた。


「……なんで渡部先輩も一緒に来るんですか?」

「俺も薫に呼ばれてるんだよ。お前の指導係だからかなぁ?」

「ご家庭で何か聞いてないんですか?」

「よほどのことが無い限り家で仕事の話はしない」


 そんな会話で互いに牽制し合いながら、私と渡部先輩は愛する薫お姉さまの元に足を運ぶ。


 私と渡部先輩が薫お姉さまのデスクに到着したところで金森くんも合流し、私達三人は、お姉さまのデスクの前で横に一列に並んだ。


「……」

「……?」

「……なんでもない」

「? なに見つめ合っとるんだお前ら? 遅れてきた思春期か?」

「毛根の二割を線香で丹念に焼き塞ぎますよ」


 ちなみに並び方は、左から順に金森くん、私、そして渡部先輩の三人だ。


 デスクの前の薫お姉さまは、私達が揃ったのを確認すると、いつもの冷静で麗しいその御尊顔で、おごそかに話し始めた。


「金森くん」

「はい」

「あと、小塚ちゃん」

「はいお姉さま」

「あなたたちお二人に、明日東京に行ってもらいたいと思っています」

「「ふぇ?」」

「ふぁ〜ぁ……」


 一人で我関せずといった具合であくびをする渡部先輩はさておいて……私と金森くんは、気の抜けた声でリアクションを取ることしか出来なかった。


「……係長」

「はい」

「僕と……小塚さんでですか?」

「はい」


 金森くんがなんとか絞り出した質問に対しても、薫お姉さまは淀みなく返答を返す。その表情はいつものように冷静で美しいが、眼差しはデキる女のお姉さまらしく、とても鋭く、計算高さが感じられる。仕事中の薫お姉さまは、時々怖くなるぐらいに冷静だ。


「おい薫」

「はい」

「金森くんは分かるが、なぜこの小娘もだ?」

「必要だと思ったからです」

「この小娘がか」

「そうです。ダメですか?」

「ダメではないが……」


 続けて渡部先輩も薫お姉さまを問い詰めるが、お姉さまの返答はやはり淀みない。


 私は私で、なぜ私が東京に行かなければならないのか確認したいのだが、金森くんといい渡部先輩といい、私と同じ疑問をぶつけてもしっかりと答えてくれなかったところを考えると、私が聞いても、答えてくれるか疑わしい。


「係長。東京のどこですか?」

「行って欲しいところは色々ありますが、まずは池袋ですね」

「ああ……」

「あとは六本木、品川シーサイド、五反田、恵比寿……」

「ひょっとして、あの案件ですか」

「そうです」


 二人の間では、何か共通認識があったらしい。金森くんは合点がいったようだ。私は渡部先輩と互いに目配せをするが、渡部先輩も心当たりはないらしい。目が完全にそれを否定している。


「だったら、確かに小塚さんは必要ですね」

「はい。ですから彼女にもお願いしようかと」

「……分かりました。では明日、小塚さんと一緒に東京に向かいます」

「お願いします」


 当の本人の私が置いてけぼりで、話が勝手にずんずん進んでいく。私は頭が混乱するばかりで、何も考えられない。


「……小塚ちゃん?」

「は、はい!?」


 そんな私の様子に、薫お姉さまが気付いた。お姉さまは私の顔をいつもの冷静な御尊顔で覗き込んでくるのだが……


「行きたくないですか?」

「い、いや……」

「ではお願いしますね」

「はい……」


 最後はお姉さまの迫力に押されて、つい頷いてしまった。



 午前中にそんなことがあり、なし崩し的に私の明日の東京出張が決定した。結局私が金森くんと共に東京出張に選ばれた理由はまだ分からない。渡部先輩に相談しても……


『俺は知らん。薫か金森くんに聞いてみろ』


 としか言わないし……


 事情を知っているらしい金森くんも、ニコニコ笑顔のまま何も教えてはくれないし……


 二人でトコトコと歩き、喫茶店ちょもらんまに到着。お店の入口ドアを開くと、カランカランとベルが鳴り響いた。


「はーい。いらっしゃーい。いつもの二人だねー」


 いつものようにお店の奥さんに声をかけられた。そして……


「ぁあ!! 金森さん!!」


 なんか聞き覚えのある、耳につく高い声も一緒に店内に響く。私と金森くんは、一緒に声がしたほうを向いた。そこには……


「今日もこちらでランチなんですか?」

「ああ一色さん。偶然ですねー」

「はい! ホント、偶然ですね!!」

「この前の訪問時はお世話になりました」

「こちらこそ! 金森さんにはいつもよくしていただいて!!」


 いやがった……一色玲香さん……今日も来たのか……偶然だなんて嘘だろう……この前のことで味を占めて、きっとここで待ち構えていたんだろう……? けっこう長い時間待ってたんだろうね。お冷も汗をかいてるし、テーブルの上でノートパソコン開いてるしね。


 挨拶のためか、金森くんはまっすぐに一色さんの席へと向かう。私も連れなので、仕方なく金森くんの後ろに付き添っていった。


「あ、えっと……」


 一色さんは私の顔を見るなり顔を曇らせ、そしてどもり始めた。私の名前を忘れたんだろうなぁ……名刺だって拒否したしねぇあなた。私だっていらなかったけれど。


「ご無沙汰してます。小塚です」

「ああ小塚さん。そうでした。失礼しました」

「いえいえ」


 私にはまったく興味が無いのだろう。口だけの謝罪を一色さんは口にした後、目をキラキラと輝かせて金森くんを見つめ、いつかのリベンジを果たそうとしているようだった。


「金森さん、よかったら一緒にランチしませんか?」

「? ランチですか?」

「ええ。……小塚さんも、よければご一緒に」

「はぁ……」


 『よければご一緒に』じゃないだろう……私は邪魔者だという本音が、その眼差しから漏れ出している。そもそも本人は気を使ったつもりかもしれないが、その申し出自体が失礼なものだということに気付かないのか。


 ……まぁいい。私だって本音を言えばこの人から離れた席でランチ食べたいし、金森くんがもしこの人とランチを食べるというのなら、私は離れて一人で食べることにしよう。


 なんて思って、少々沈んだ気持ちを抱えていたらである。我らが残念なイケメン金森くんは、この一色さんに対してものすごく爽やかな笑顔で、またもや予想し得なかった返答を返した。


「いえ。一色さんはお仕事で忙しいようですし、邪魔しては悪いのでまた後日ご一緒します!」

「は!?」


 店内に響き渡る、一色さんの困惑した叫び。口をパクパクしつづける一色さんには目もくれず、金森くんは爽やかなまま上機嫌で、一色さんに背を向けてこの前のさらに奥の方のテーブルへと向かう。


「し、失礼しますっ」

「……ッ!!!」


 私も慌てて一色さんに頭を下げ、てくてく離れていく金森くんについていく。トコトコ歩いていく金森くんが今回狙いを定めたのが、この前の席よりもさらに奥の方。陰になって一色さんの死角になりそうな場所だ。


「……ッ!」

「……ハハ」


 席に着く寸前に一色さんと目が合ったが……彼女はこの前の怖い顔で私の方を睨んでいた……うう……金森くんは金森くんで、鼻歌を歌いそうなほど上機嫌な笑顔でメニューを開き、そしてランチを選び始めた。


 私は金森くんの向かいの席に座り、そして同じくメニューを開いてランチを選ぶんだけれど……


「……ねぇねぇ金森くん」

「ん?」


 針の上のむしろに感じた私は、両手で開くメニューで顔を隠しつつ、金森くんに声をかけた。


「いいの?」

「何が?」

「だって……一色さんて取引先だよ?」

「うん」

「この前も断ったでしょ? ランチしなくていいの?」


 私は社会人として至極当然のことを言っているわけなんだけど……どうして話が通じないのかなぁ……金森くんはこの前のときと同じ様に、きょとんと不思議な顔を浮かべ、事の重大さを理解してないようだった。


「? なんで?」

「だって! 取引先と仲良くするのもキミの仕事でしょ?」

「そうだけど?」

「だったら今日こそ一色さんとランチを……」

「いやぁ、だって一色さん、パソコン開いて仕事して、忙しそうだから」

「はあ?」


 今日も彼の論理展開が理解出来ない……気のせいだろうか、一緒に一晩過ごしたあの朝ように、彼の頭からは、くるくる線と小さな太陽がピロッと飛び出て見えていた。


「……」

「……?」


 金森くん、やめてくれ……そんな純真な瞳で私を見つめないでくれ……邪気のない子犬のような顔で、私の顔を覗き込まないでくれ……


「……」

「……小塚さん?」

「……なんでもないっ。何頼むか決まった?」

「カキフライ定食にしようかな」

「んじゃ私は、ハンバーグランチで」

「はーい」


 そうして10分後、私たちの元に届けられた、カキフライ定食とハンバーグランチ。両方とも出来立ててハンバーグはまだジュージューと美味しそうな音を立ててるし、カキフライも揚げたてでとても美味しそうだ。


「はーい。んじゃごゆっくりー」


 ウェイトレスの奥さんが、ピンクを帯びた長髪をふぁさっとなびかせ、私達の席から離れていく。彼女が歩く度、キラキラと輝く粒がその髪からこぼれ落ちているように見えるほど、とてもキレイだ。


「金森くんのカキフライ、美味しそうだねぇ」

「そお?」

「うん。私もちょっと迷ったんだよね」

「そっか」

「んじゃ……」

「「いただきます」」


 二人で声を合わせて『いただきます』と言った後、私はナイフとフォークでハンバーグを切り分ける。ハンバーグは切り口からキレイな肉汁が溢れ出て、ジューシーでとても美味しそうだ。


「あづッ!? ……でも美味しい」


 一方の金森くんのカキフライも美味しそうだ。金森くんが悲鳴を上げるということは、あのカキフライはきっとアツアツでジューシーのはず。私のハンバーグも美味しいけれど、カキフライも美味しそうだなぁ……と、つい金森くんの口をジッと見つめてしまう。


 そんなふうに、私が金森くんのカキフライをジッと見つめていたら、その金森くんが私のハンバーグの上に、カキフライを一つちょこんと乗せてくれた。


「へ……?」


 突然のことでうろたえ、金森くんの顔を見た。金森くんはいつもの人懐っこい笑顔を浮かべ、そして口をもごもごと動かし、ゴクリと口の中のカキフライを飲み込んでいた。


「気になるんでしょ? お一つどうぞ」

「いや、でもそれ……」

「そのかわり、ハンバーグ一切れちょうだい。それ、気になってたから」


 そう言って、金森くんはニヘラと気の抜けた笑みを浮かべた。目に少し涙を浮かべているから、よほどカキフライが熱かったのか。それとも、やっぱり私の予想通り、金森くんは猫舌なのか……


 金森くんのカキフライのお皿に私のハンバーグを一切れ乗せ、私はカキフライをありがたくいただくことにする。フォークをブスリと刺して、金森くんのお皿のタルタルソースを盛大につけたあと、一口でそのカキフライを食べた。


「タルタルつけ過ぎじゃない?」

「これぐらいつけないと美味しくないっ。ご愁傷さまー」

「タハハ……」


 金森くんが苦笑いを浮かべる。口の中のカキフライはアツアツでジューシー。タルタルソースの酸味と相まって、とても美味しい。


「んー……!」

「小塚さん、美味しい?」

「おいしい!」

「だよねー」


 口の中のカキフライを味わいながら、金森くんのカキフライの横に私のハンバーグを一切れ置いた。その途端、金森くんは、私のハンバーグを口に運び、とても美味しそうにもごもごと食べていた。


「あづぅうッ!?」


 もちろん、口に入れた直後は、熱さで悲鳴を上げたけれど。


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