やらかしてしまったのかもしれない②

「では今日はありがとうございました!」

「お姉さま! また明日会社で!」

「はい。ではおやすみなさい」

「おーう。ふたりともまた明日なー」


 夜の九時頃、私と金森くんはお姉さまたちの愛の巣からお暇した。


 パーティーはとても楽しかった。最後の片付けまで楽しいパーティーなんてホントに初めてだった。渡部先輩と一緒に皿洗いをしたとき、お姉さまがなぜ先輩のようなぼんくら男を選んだのか……その謎のヒントも一つ聞き出すことが出来たし……。今回のパーティーはとても満足だった。


 ただ一つ。欲を言えば、お姉さまと同じ空間に、もう少し長くいたかった。明日が平日で仕事があるという理由で、比較的早い時刻に解散となってしまったことだけが不服だ。楽しいパーティーだっただけに、それだけが悔やまれる……。


「うう……寒いね……」

「うん。そだね」


 今、私の隣で身を縮め赤と紺のストライプのマフラーを首に巻いた金森くんも、きっと同じことを思っているはずだ。私がお姉さまのことを好きなように、彼も渡部先輩が好きだ。彼も、願わくばもっとあのぼんくら先輩と一緒にいたかったであろうことが、その、ほんの少しだけさみしげな眼差しを見れば分かる。


「ねー金森くん」

「うん?」

「もうちょっとお姉さま宅にいたかったよね」

「んー……でもまぁ、明日は仕事だしね」


 私の誘導尋問にも引っかからず、金森くんはそつなくそう答えた。そもそも『9時には解散』を言い出したのは渡部先輩だし、そんな渡部先輩の決断に、金森くんはケチをつけたくないんだろうなぁ。健気な男だ。


 バッグからスマホを取り出し、時刻を確認した。時刻はまだ九時過ぎ。確かに時刻だけを見れば夜も遅いけれど、私達からしてみれば、まだまだ遊び足りなくて物足りない時間。帰り道には商店街もある。あそこであれば、まだまだ開いてるお店もあるはずだ。


「ねえ金森くん」

「んー?」


 私の隣で静かに歩く金森くんが、私のことを見下ろした。私に比べ、金森くんは背が高い。以前に聞いたら身長は182センチだったか……いや待て84だったか……どちらにせよ、ずいぶんと背が高い。私の背など、並べば彼の肩の位置より少し高いぐらいだ。


「時間はまだ早いよ」


 私はそんな金森くんの顔を見上げ、ニヤリと笑った。


 金森くんも、自分の腕時計で時刻を確認した。金森くんは私と違い腕時計をつける派だが、そんな彼が愛用している二重巻き革ベルトの腕時計は、メンズというには少々小さい、レディースに近いサイズの時計だ。そんな二重巻の腕時計を、彼は手首の内側につける。いわゆる女性の腕時計の付け方だ。そのせいか、彼が時計を見る仕草は、妙に色っぽく見えることがある。


「……そだね。帰り道で、どこか店に寄ろうか」

「うん。そうしよ」


 そうして私達は、帰り道の途中の商店街で開いてる居酒屋に入り、そして、私の運命も決まってしまった……


………………


…………


……


「そ、そのあとは……?」

「んー……」


 そこは私も今なんとか思い出せた。お姉さま夫婦と別れ、そして金森くんと二人で商店街の居酒屋に入ったところは。


 問題なのは、そのあとだ。お店で金森くんが止めるのも聞かず、お姉さまのマネをして黒霧島をロックで煽ったところまではなんとか思い出せたが、そこから先がさっぱりだ。


 私の目の前の金森くんは苦笑いを浮かべ、先を言うか言うまいかを迷っているようだ。冷や汗を垂らしながら苦笑いを浮かべ、口をわずかに開いたかと思えば、また閉じる。その様子が、逆に私を不安にさせる。やっぱり私達は、酔いに任せて、一線を越えてしまったのか……あの、妙に生々しくリアルな夢は、夢ではなく……


「……えっとね」


 煮え切らない態度に私が頭を抱えていたら、金森くんは恥ずかしそうに鼻の頭を人差し指でぽりぽりとかきつつ、ポツリポツリと真相を語ってくれた。その間、私からは目をそらし続けていたが……


……


…………


………………


「なーんーでー!!」

「うーん……」

「ねぇなーんーでー!? なんでお姉さまは、あんな社内ニートと結婚したのー!?」

「なんでだろうねぇ……タハハ」


 憧れの薫お姉さまに少しでも近づきたくて煽った黒霧島ロックは、たった一杯で私をザ・酔っ払いに突き落としたそうだ。最後の一滴まで煽った私は次の瞬間、滝のような涙を流し、そう叫んでテーブルに突っ伏したそうだ。ごめん金森くん……もう二度と黒霧島飲まないから……


 一方の金森くんは、私が管を巻いてる最中も、王子様のような微笑みを絶やすことなく……でも私の絡みなぞどこ吹く風で、お店のメニューを眺めていた。


「私だって負けないのにッ! 薫お姉さまを思う気持ちは渡部先輩なんかに負けないのにッ!!』

「そだねー。大将。お冷2ついただけますか?」

「ちょっと金森くん聞いてる!?」

「聞いてる聞いてる。……あ、オレンジジュースあるならそっちもいいかも」

「ったく! 金森くんがさっさと渡部先輩を寝取ればいいのにッ!」

「がんばるよー。……あ、お冷ありがとうございまーす。あと、オレンジジュース一つ下さい」

「かーなーもーりーくーんー!?」

「そんなに大声出してたら喉乾くよ。お冷飲んだら?」


 私は声を張り上げて渡部先輩へのいらだちを表現した後、金森くんが頼んでくれたお冷に口をつけた。お冷はとても美味しくて、勢い余って金森くんの分までぐびぐびと煽り、飲み干してしまった。ごめん……つくづくごめん……


 そうして12時前までその店で飲み続けた私たちは、お店の閉店と同時に店を出た。その頃になると私はもう千鳥足でまともに歩くことも出来ず、困り果てた金森くんは私をおぶって帰り道を歩いていったそうだ。


 家に送ろうにも、おんぶされた私からはすでに気持ちよさそうな寝息が聞こえ、声をかけても揺さぶってもまったく起きる気配がなく……


 ならばと近所のホテルに私を押し込め、自分はお金だけ払って帰ろうとしたそうだけど……昨日は腐ってもクリスマス。めぼしい宿泊施設はすべて満室で、途方に暮れた彼は、自分の家に私を連れ帰ることにしたそうだ。


 帰宅後、金森くんは私をベッドに寝かせ、自分はソファで眠ったそうな。寝入りばなは『お姉さまぁ……らめぇ……』という私の寝言に悩まされ眠れなかったそうだが、知らず知らずのうちに自分も寝てたみたいだ、と屈託のない笑顔で金森くんは答えてくれた。


………………

…………

……


 ……なんということだ……。金森くんの説明を聞いていく中で、昨日の記憶が私の頭の中に鮮明に蘇ってきたが……そもそもこんな記憶、思い出したくなかったかもしれない。


「……金森くんっ」

「ん?」

「……ごめん」


 これは心からの謝罪。金森くん……あんた、いい人だよ……確かに残念なイケメンかもしれないけれど、その誠実さはホントだね……『金森くんとやらかしてしまったのか!?』と少しでも疑った自分が恥ずかしい……


「いいって。困った時はお互い様だよ」

「いい人やー……金森くん、あんた、いい人やー……」


 金森くんには本当に頭が下がる。思い出してみれば、私は昨日あれだけ盛大に酔っ払ったのにもかかわらず、二日酔いの症状が皆無だ。思えば、黒霧島ロックをはじめとするアルコールと同じかそれ以上、お冷やオレンジジュースを飲んでいた記憶がある。あれはきっと、気を利かせた金森くんがそそくさと注文していたものだろう。私が酒に呑まれている間、金森くんはずっと頑張っていたということか……。


 金森くんの健気さに感心しつつ、私は壁のアナログ時計に視線を移した。iPhoneの時計アプリのような、シンプルだけどオシャレな時計が指し示す時刻は、午前6時。


 ……思い出した。今日は仕事がある。今の私はシャツこそ白いが、下はゆったり目のデニムパンツ。履いてる靴もコンバースだしコートもグレイで模様の入ったニットコート。どこからどう見ても私服で、これから出勤する服装には見えない……。


 それにシャワーだって浴びたい。髪もボサボサだし化粧もボロボロ……身体だって汗でベタベタ……いやこれは決してやましいことが原因ではないが……やましい……あー、いやいや。


「えっと……金森くん」

「ん?」

「私、一回家に帰ってシャワー浴びたい」

「うちのでいいなら貸すよ?」


――いくよ


「……」

「……?」


 危ない……夢を思い出して顔が真っ赤になるところだった……


「いやいや。着替えたいし、仕事のバッグもないし」

「あそっか。んじゃ帰らなきゃいけないね」


 純真なのかそれとも裏で何かを企んでいるのか……あるいは私が相手ではまったくそんな気にならないのか……とにかく理由は色々とあるだろうが、金森くんは私のヒートアップに反して、とても冷静で落ち着いている。


「帰り道は分かる?」

「……ごめん。わかんない」

「じゃあ分かるところまで送るよ」


 金森くんはそう言うと立ち上がり、部屋のクローゼットから実にあたたかそうなブラウンのダッフルコートを引っ張り出した。同時にクローゼットから金森くんが出してくれたのは、私のグレイのニットコート。べつにそんなに気にしなくてもいいのに、金森くんは私のニットコートも丁寧にハンガーにかけてクローゼットに入れてくれていたようだ。


 立ち上がった私の背後に周り、ニットコートの袖に手を通す手伝いをしてくれた金森くん。


「寒くない?」

「うん。ありがと……」


 こういうところが、金森くんが通称『王子さま』と呼ばれている所以だ。金森くんは本当によく気が利く。人懐っこい笑顔を浮かべ、誰にでも声を掛ける。その優しさで男女問わず社内外にファンが多いとは、お姉さまの弁だ。


 私が袖を通すと、金森くんは肩にニットコートをかけてくれ、そして両肩をぽんと叩いてくれた。その感触が、私の肩に心地いい余韻を残した。


「似合ってるね」

「……」

「んじゃ、行こうか」


 私の前に回り込んだ金森くんは、私を見下ろし、そして人懐っこい笑顔をニヘっと浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る