ケーキの夢
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ケーキの夢
作:角田光代
夢のなかで私はショートケーキだった。
自分がショートケーキだとわかったとたん、うれしくなった。
ずらり並ぶほかのケーキを見まわして私は誇らしかった。
だれよりも真っ白。だれよりも可憐。だれよりも有名。だれよりも人気者。
最初に足が見えて、お客さんだとわかる。顔がぐっと近づく。きれいな女の人。大きな目をせわしなく動かして私たちをチェックしている。私は得意げに彼女を見つめた。
けれど彼女が口にしたのは、
「ミルフィーユとモンブランください」
だった。
それからもたくさんの顔が私をのぞいた。若い女の人たち、母と娘、カップル、グループ連れ。でもだれも私を呼ばない。
タルト・オ・シトロン? ブラマンジェ? オランジェリー? 何それ?
一度だけ、ちいさな女の子を連れたおかあさんが私を指した。これがいいんじゃない? そうしたらその子は言ったのだ。
いやよ、私、このきれいなのがいい、この、宝石みたいなの。
あら、そう? じゃ、タルト・ショコラ・フランボワーズを二つください。
舌を噛みそうな名前のケーキはどれもこれも、誇らしげにぴかぴかと光ってショーケースを出ていった。
何よ何よ、なんなのよ。ごてごてしちゃって。気取った名前つけちゃって。薄っぺらいったら。
あんたたちなんか、あと五年か十年したらいなくなってるに決まってる。
残るのは私みたいな本物よ、本物なのよ! と、最後はわめきながら私は目を覚ました。
ぞっとした。選ばれなかったことにじゃない、選ばれたものたちに、悔し紛れの負け惜しみを言ったことに。
何よ、薄っぺらいわよ。残るのはあんたたちじゃなく私みたいな、――それは現実の私がずっと胸の内でつぶやき続けてきたこと。
うまくいかないとき、ほかのだれかがうらやましいとき、ほしいものが手に入らなかったとき、何かに負けたと思ったとき。
そんなもの、最初から私はほしくなかったんだって顔をし続けてきた。
その日、会社からの帰り道、ケーキ屋さんに足を踏み入れた。
ひとり暮らしをはじめてからケーキ屋さんにきたことはない。ケーキをひとつ買うのは気が引けるから。でも今日は、勇気を出してひとつ、ケーキを買おうと朝決めた。洒落た名前のケーキをひとつ。
ショーケースにはまだ何種類かのケーキが残っていた。フランボワーズ、ピスタチオ、カシスショコラ……本当にいろいろあるんだなあ。
なんになさいますか? と訊かれ、気がつくと、「ショートケーキをひとつ、ください」と言っている。言ったそばから、久しぶりにショートケーキが食べたかったことに気づく。
ほしいものはほしいと言おう。
負けたら負けたと思いきり泣こう。
今度ショートケーキになった夢を見たら、「私を選んで」って叫んでみよう。
手渡されたちいさな箱を、私はだいじに抱えて帰る。
箱のなかでケーキが
「It's a piece of cake――そんなの簡単だよ」
とささやいた気がした。
ケーキの夢 .com™ @Hello_peace__
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