第91話 三角絞め


「……問題は詠唱破棄の価値が隣国にとってありすぎるところですかねぇ」


 狸小路の路地裏の奥の奥みたいな居酒屋に場所を移し、田辺さんカイザーはそんなことを吐き出した。


「そんなもんですかね」


「最悪、身柄をさらわれて監禁。詠唱破棄のために延々と代理詠唱するはめになってもおかしくありません」


「そんな大袈裟な」


「いや、あの国を甘くみるのはよくないです。それくらい状況は切迫していると思います。佐藤さんエンプレスは立場があるのでそんな行動には出ないと思いますが、情報を得た別働隊がなにをするかは想像がつきません」


「楽器ケースで拉致連行ですか」


 暗めの石の皿に載っていた馬刺しの脂が舌の上でとろけていく。中々にビールを誘う暴力的な動物性脂肪だ。


「詠唱破棄の獲得にはリスクをおかすだけのメリットがあります。一度獲得できれば誰にでも魔法が使えてしまう。そして、恐らく暴走している超上級界はどこも、それなりの魔法使いがいる前提の難易度設定になっていると思います」


 溶けた脂を流し込むようにビールを呷りながら頷き、目で続きを促す。


「それができるのはさいとーさん。現時点であなたが地球上で唯一の存在です」


 思わずビールを噴き出しそうになる。地球上で唯一とはこれまた大きくでたな。


「さすがに大袈裟が過ぎるかと」


「さいとーさん。事の重大さは正確に把握してください。あちらはそのためだけに軍を動かせます。魔法使いを欲しがっているのも軍でしょうしね。平和ボケした我が国とは手段の選択肢が違います」


 せっかくの酒がマズくなりそうな話だ。軍人に缶詰めにされて延々と代理で詠唱する絵が脳裏に浮かんでしまう。


 ナシだ。女の子とならまだしも、むさ苦しい男達とエンドレス缶詰めとかどれだけ俺を虐げれば気が済むのだ。チェンジを要求する。


「公開はしない方がいいですね……」


「できません。少なくとも当面は」


「……後は、佐藤女史がどこまで知っているかですかね」


「心当たりはありますか?」


「いえ、今のところは。ただ今日もステータスを見せて欲しいと言われました。なにか感づいているところがあるのかもしれません。いつも妙に距離も近いですし」


「ガチ勢であることは間違いないのですが……捉えどころがないですね。色んな意味で有能なのですが」


「有能ですねぇ」


「ですよねぇ。あんな才媛は中々いないですよ。なんとかこちら側に転がせませんか?」


「自分に言ってます?」


「そこはさいとーさんの手腕で」


「人間、できる事とできない事と……手段が想像すら及ばない事があります」


「寝技で」


「心技体、どれも欠けています。見ての通り」


「なんとなく、さいとーさんならできちゃいそうな気もするんですがね」



 お、ここの店は蕎麦締めができるようだ。飲んだ後の蕎麦は、カツオ出汁がキュッと締めてくれるのがいい。ついでにこの勘違い野郎の首も絞めたい。

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