秋桜【物リン】

倫華

 花の日の前日、桃子は、とある子供と会った。

 桃子は、バッグに、日記帳と財布を入れて、施設の先生に内緒で抜け出した。一人でコスモス畑がある公園へ足を運んでいた。その日は、亡き母親の命日。桃子は、毎年、この日は、この公園に行くことにしている。



「ねぇねぇ、おかあさん。あの花、なぁに?」

 夕日が傾き、あと一時間で沈もうとする頃。

 地元のコスモス畑がある公園に来た親子。子供は、母親の手を繋ぎ、楽しそうに微笑む。母親は、それに答える。

「この花はね、コスモスっていうのよ」

 子供は、母親の手を離し、一つに縛った髪を揺らしながら、その花に近づいた。目に飛び込む、様々な色の花に、子供は興味津々だ。

「ねぇねぇ、この花も? この濃いピンクのお花も?」

「そうよ。これも全部コスモスよ」

「わぁ~! 凄いね!」

 感嘆を漏らすと、子供は、整えられた道を走り始めた。もっと、見たい。コスモスをもっと見たい。この子供は、昔から好奇心旺盛な性分だった。一度気になってしまったら、もう止まらない。それを知っていた母は、子供を見守るように、先に足を運ぶ子供に、ゆっくりと後を追う。

「あまり遠くに行かないでね」

 聞こえるように少し大きな声で、母親は、言う。それを聞いた子供は、振り返り、母親との距離を測る。

「ごめんなさい。先に行ってしまって」

「いいのよ。お母さん、もう走れないから、仕方ないわ」

 子供は、眉を下す。悟っていたのだ、母親の死が近いことを。だから、子供は、もう一度、母親の手を握り、歩幅を合わせて、歩き出した。

 それから、二人は、花言葉について、話し始めた。

「コスモスって、いろんな色があるでしょう? 色によって、花言葉は違うのよ」

「じゃあ、あのピンクの色は?」

 子供は、手ぶらだった左手で、左側に生えていた薄いピンク色の花を指した。

「ピンクはね、乙女の純潔じゅんけつよ」

「じゅんけつ、ってなあに?」

「心も身体も、キレイって意味よ」

「じゃあ、白は?」次に、左手で、向こう側にある白色の花を指を指す。

「白はね、優美や純粋、美麗。美しくて、優しいって意味ね」

「じゃあじゃあ、あのオレンジは? 凄くキレイ!」今度は、右側に植えられていたオレンジ色の花を人差し指で指す。

「オレンジは、自然美、とか、幼い恋心ね」

 子供は、首を傾げた。唸り、顎を左手で持ち、何かを考える。母親は、じっくりと見守る。子供は、顔を母親に向けて、

「なんか、女の人っぽいね!」

 と、笑って言った。ふふ、と母親の口角が上がる。「そうね。恋する女の子とか、女性みたいね」

 このこと、日記に書こう! などと、桃子は、嬉しそうに話す。

 いつか、桃子も恋をして欲しいなと、母親は呟いた。それが聞き取れなかった子供は、どうしたの? と聞いたが、なんでもない、と母親は答えた。


 それから、母親は一カ月も経たずに、あの世へ旅立ってしまった。葬式を挙げた後、桃子は施設に入り、相木と出会うことになる。

 施設から抜け出して、桃子は、カタルシスに浸りながら、コスモス達を眺めている。薄いピンク、濃いピンク、白、オレンジ……。教わった花言葉を思い出しながら、桃子は、塗装された道を歩いた。

 すると、とある子供が、スケッチブックを持って、首を回しながら辺りを見渡している。茶色のパーカーに、紺色のジーンズ、黒髪のショートヘアという恰好だ。顔立ちや姿は中性的で、男の子か女の子すら分からない。性別不明な故に、少し浮世離れした奇妙さがある。しかし、目は泳いでいて、誰かに聞きたそうな表情をしていた。桃子は、『困った人は、助けてね』という母親の教えを思い出し、その子供に話しかけた。

「ねぇねぇ、どうしたの?」

 すると、その子供は、スケッチブックのページを捲り始めた。黒マジックのキャップを外し、白いキャンバスの上に文字を走らせた。

『ベンチをさがしてる』

 その字は、少し雑だったが、見やすく、大きな文字だった。どうして、口があるのに喋らないのだろう、と不思議に思ったが、喋られない人もいるよ、と誰かに教わったので、あえて聞かなかった。

「ベンチね! こっちにあるよ!」

 子供は、桃子の後ろを着いて行った。ベンチに案内すると、子供は座り、桃子も座るように、手を招いて、促した。すると、子供はキャンバスを新しいページに捲り、また黒マジックのキャップを開けた。目を凝らし、コスモスを眺めたら、キャンバスに書き込むことを何度も繰り返した。徐々に形が成すコスモスに、桃子は興味深々だった。すると、マジックをベンチに置き、そのページを破り始めた。

「えっ、どうして!? すごくきれいなのに捨てちゃうの!?」

 子供は、その紙を差し出した。

『お礼』

 声を発していなかったが、目と表情で、言いたいことは、桃子に分かった。それを受け取り、感嘆を漏らす。まるで、白黒写真の様にリアルな一輪のコスモスが描かれていた。

「すごいね! キレイ! 上手!」

 照れる子供を見て、桃子までも嬉しい気持ちが込み上げる。もう一度、白黒のコスモスに目を戻し、凝らしてみてみる。右下に、『ミナト』と、書かれていた。そこに指を指して、

「ねぇ、この、『ミナト』って、きみの名前?」

 と聞いた。子供は、コクリと頷いた。

「ミナトって言うんだ! 私は、ももこ!」

『ももこ』と、ミナトは、口を動かした。桃子は、その紙を畳み、日記帳に挟んで、バッグに入れた。

「ねぇねぇ、ミナト。ミナトの絵、もっと見たい!」

 そうおねだりすると、ミナトは、キャンバスを捲り始めた。全て黒マジックで描かれたコスモス達は、どれもリアルだった。その中に、一枚だけ、人が描かれていた。光沢のある髪に、子供のような顔立ち。銀髪のような、明らかに日本人の髪色ではなかった。

「ねぇねぇ、その人、だあれ?」

 口を動かしているが、長すぎて、意味がわからない。桃子は首を傾げた。

「敵? 危険? きょうはくしゃ……? どういうこと?」

 中々伝わらないもどかしさに、ミナトは、マジックを探し始めた。黒マジックは、転び、地面に落ちた。桃子は、ベンチを降り、黒マジックを取ろうとした時、ミナトが手を握ってきた。勢いよく、強く。

 すると、記憶が、なだれ込み始めた。めまいと共に、脳内が侵食されていく。女の人二人が笑いあっている――そこには、もう一人の男の子がいるが、離ればなれになってしまう――女の人が、悲しみに暮れ、憎しみの顔へと変わる。

「きっ、気持ち、わるい……!」

 記憶が流れ込む度、めまいと吐き気が、桃子を襲う。めまいに対抗できず、地面に倒れる。まだ、記憶は流れ続けるが、パンクしそうになる。

「み、ミナ、ト……、た、すけ、て……!」

 苦しみ、もがく桃子。すると、ミナトが、左手で目を覆った。

『分かった』

 声が聞こえた。ミナト本人の声だろう。しかし、直接発しているのではなく、頭に響く様に、その声は、篭もっていた。

 次第に記憶は流れなくなる。同時に、睡魔が襲われた。しかし、必死に抵抗する。

 ミナトが手を上げ、立ち上がった。まだ、お礼を言っていないことを思い出したからだ。ミナトの服を掴み、わずかな力で引っ張る。

「まだ、行か、な、いで……!」

 まだ、ありがとう、言ってないから、という言葉を遮り、脳内に話しかけた。

『ごめん。これから、きみは、たくさん苦しむだろうけど、僕は、君の味方だから。もし、僕が必要になったら、

 苦しむ? 味方? どういうこと? 裏側って、何? 桃子は、言葉にできない。ミナトは、腰を下ろし、桃子の頭を撫で、また立ち上がった。遠くへ行ってしまうミナト。追いかける気力もなく、桃子は、結局睡魔に負けてしまった。


 これが、全てのトリガーだった。

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