ポンティウスの回想②

「・・・旦那様だんなさま!」


 使用人からの声で、私は我に返った。


「すまない。クラウディアのことか?」


「はい。奥方様はご親友のところにおられるようです」


「だろうな・・・」


 悩みの種は、クラウディアのことだった。世継ぎを産むことは、これから元老院で勢力を伸ばそうとしている新貴族ノビレスとして非常に重要なことなのだが、なかなか授かることができずにいる。クラウディアは徐々に思いつめてしまい、ついには私に、「可愛がっている女奴隷がいるので、彼女に産んでもらうのはどうか」と言い出した。


 確かに不妊で悩む貴族たちの間では、さしてめずらしくない方法だ。しかし、私はどうしても気が進まなかった。私が煮え切らない態度でいると、クラウディアは徐々に怒りを募らせ、家を飛び出してしまった。行き先は分かりきっているが、さてどう対処したものか。


 結婚から何年も経ったというのに、私はいまだに妻が本当に好きなのはアウレリウスだったのではないかという疑念を捨てきれずにいる。ヤツが平民でなければ、私が貴族でなければ、こうはなっていないのでは、と。


 まぁ、そのような些事さじは考えても仕方がない。私は早急に処理しなければならない仕事だけをこなし、屋敷を出て足早にアウレリウスの家に向かおうとした。しかし玄関に差し掛かったところで、父からの呼び出しがかかってしまった。しかたなく向かう。扉をノックする。

 

 「失礼します」かぶせるように響く「入れ」という父の声。私は部屋に入った。


 その立派な書斎じみた部屋には、豪勢な接待用の机と椅子、奥に事務用の華美な木製の机。その部屋に存在する人間は父だけではなく、もう一人の男がいた。

 軍服を着、立派な髭を蓄えた中年の男性だが、その顔には見覚えがない。男はこちらを見て口角をあげた。あまりいい印象を受けなかった。


 私の顔を見て、父はけだるそうに声をかけてきた。


「来たか。まぁ座りなさい」


「ご用件は?」


「この男がお前に伝えるべきことがあると言って押しかけてきた。仕事の邪魔だ。早く要件を聞いておかえりいただきなさい」


「かしこまりました。して、どちらさまでしょう」


「これはこれは!お初にお目にかかる。わたくしは帝国軍所属、第二師団副団長の---です」


 名前は憶えていない。その男は、いくつかの要件を、おのれの自慢と、これからのピラト家の未来と、第二師団を増強するための力添えを頼んできたのちに「そうだったそうだった」とこともなげに、まるで食べ忘れた昨夜のデザートを思い出したかのような気軽さで、「ルキウス・アントニウスを復帰させます」と言った。


「・・・なんですって?」

「彼の能力は、眠らせておくにはあまりに惜しい。皇帝陛下は彼の復帰をお望みになりました。これは元老院も、帝国軍元帥も了承済みです。アントニウスを明後日みょうごにちから、特例で准将へと昇進し、再任官させます」

「・・・ふざけるな」

「なんですって?」

「ふざけるなと言っているッ!」

「おやおや、これはいけませんねえ」


 右の端の口角をつりあげ、副団長は言った。


「これは帝国軍・・・の人事であり、決定事項です。議員のあなたには手が出せない」

「・・・ッ」

「これは決定です。あぁそうそう。彼が拾っていたゲルマニアの奴隷は、陛下がいたく興味を示されましてね。丁重にお迎えするよう、使いを出しました」

「なんの話だ」

「おや、ご存じない?であれば、あなたには関係の無いことだ」


 副団長はそのまま部屋を退出した。


「よくやった」と父は言った。「趨勢すうせいを見るに、第二師団はダメだ。やはり我が家の命運を預ける先は、軍務卿ぐんむきょうの幼なじみである第三師団長でなければならないと私も考えていた。これは都合がいい」


 わが一族の先代当主は、ブツブツとつぶやきながら部屋を出ていった。


 その瞬間わたしは、私もまたアウレリウスと同じで、運命しがらみの前では無力だという事実をさとった。


 それは自省じせいでもあり、悔悟かいごでもあり、決意けついでもあった。


 親友ともを、これ以上傷つけられてたまるものか。


 私は動き出した。

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