風景
三角海域
1
公園から水門が見えるのが、この町の特徴だった。
真正面に見える水門は左右対称で、主張しないが洒落た装飾がされている。
観光客も多いが、地元の人間にとっても憩いの場だった。観光客は水門に目が行くが、地元の人間には見慣れたものなので、街の住人は水門に興味があまりない。よそから来たか、町の住人なのかは、そうした行動で見分けることができる。何年か前にでかいスーパーが建ったこともあって、人がより増え、行きかう人々の流れはとめどない。
冬の終わりを感じさせた三月を過ぎ、風の中に春の空気を孕みながらも冬の尖った空気が残るころ。俺は相も変わらず、この公園で酒をあおっていた。
酔うにはバーボンがちょうどいい。相性がいいのだ。酔えるが、気分は悪くならない。バーボンの香りとの相性がいいのかもしれない。
「静雄ちゃんまた飲んでんのかい」
「うるせえ」
体が温まってきたあたりで、声を掛けられる。公園を毎日散歩している秀だ。俺よりも年上だが、小柄でやせっぽちで妙に愛嬌のある男で、こうしていろいろな連中に話しかけては長話をしている。
「静雄ちゃんかっこいいよねぇ。俺なんてコンビニのワンカップだよ」
「別にこれくらいならどこでも買える。珍しくはねえよ」
「いやいや。静雄ちゃんが飲むからかっこいいのさぁ」
秀は語尾に特徴がある。それから、癖なのか、よく舌を鳴らす。
「ねえ静雄ちゃん。この公園さ、いいよねぇ」
「なんだいまさら。毎日来てんじゃねえかお前は」
「静雄ちゃんだってそうだろぉう」
「うるせえよ」
「俺はさ、好きなんだこの公園。静かでさ、いいよなぁ」
秀はにこにこしながら公園を見回す。
「静雄ちゃんもいるしなぁ」
「バカ野郎そういうのは女に言うもんだろうが、気色わりぃ」
「そんな歳じゃないさぁ。俺はもうじじいだぜぇ」
舌を鳴らして秀は笑う。
「それじゃ、また明日なぁ静雄ちゃん」
「いるとは限らねえよ」
「それでもいいよぁ。じゃあなぁ」
秀は手を振り、去っていった。調子のいい男だ。酔いもさめちまった。寒さはなくなってきたといっても、まだ春の手前だ。少し間があけば、すぐに酒の熱は引いてしまう。
立ち上がり、水門の方に近づく。こうして見てみると、結構な大きさだ。どうにも、でっかい門というのは俺には不気味に見える。大きく開けた口みたいだなんて、ガキのようなことすら考えてしまう。
「静雄ちゃぁん!」
帰ろうとした時、バカでかい声がした。
「静雄ちゃぁん! よかったぁ! まだいたんだなぁ!」
「聞こえてるよバカ。なんだいきなり」
秀は息を荒げながら何か言っていたが、聞き取れなかった。
「あのう」
そんな秀の後ろから、遠慮がちに声をかけてくる男がいた。ずいぶん若い男だった。少年と言える歳だ。
「突然すいません。元映写技師の方、ですか?」
秀の方を見る。ようやく息が整ったらしく、この男のことを話し始めた。
「たまたまそこで会ってよぉ。話してたんだぁ。そしたら、この人のおじいちゃんが亡くなったらしくてよぉ。じいちゃんは映画が好きで、自分でもフィルムカメラでいろいろ撮ってたらしいんだぁ。そのフィルムが出てきたらしいんだけど、どうすればいいかわからないっていうからよぉ、じゃあ静雄ちゃんに聞けばいいって思ったんだよぉ。静雄ちゃんなら何とかしてくれっから大丈夫だよぉってさぁ」
本人に確認も取らずに助けることになっているのが秀らしい。人を疑うことをしらないのだ。そのせいで、一度騙されたこともあるというのに、懲りずにこうして他人のことに首を突っ込む。
「静雄ちゃん昔映画館やってたんだろぉう?」
「もう忘れちまったよ」
「そう言わずにさぁ。この人かわいそうじゃねえかよぉ」
少年は心配そうにやり取りを見ている。いきなり話を進められたんだから当然だろう。
「業者に頼めばいいだろう」
「僕もそう考えたんですけど、親がそんなことに金使うんなら捨てたほうがいいって。じいちゃん、嫌われてたから」
「じゃあそうすりゃいい」
男は悲しそうにうつむく。
「なんでそこまでしてフィルムの中を観たいんだ」
「僕、映画が好きで、将来映像の世界に行きたいんです。夢見がちなのはわかってるんですけど。そのきっかけになったのはじいちゃんなんです。両親が働きに出てるから、小さい頃はじいちゃんのところに預けられて。すごい厳しいし、ほとんどしゃべらないじいちゃんだったんですけど、一緒に映画を観ているときはいろいろ教えてくれて。それで、僕は映画を好きになったんです」
だから、そんな祖父が残したフィルムがどんなものなのか気になったのだという。
「いきなりですいません。もうほとんど諦めてたんですけど、たまたま話したら、知り合いに専門家がいるっていうからつい。忘れてください。ありがとうございました。そちらの方も」
少年は俺たちに礼を言うと、背を向けて去ろうとした。
「おい」
なぜだか、俺は少年を呼び止めた。面倒なことは勘弁なのに、なぜだろうか。自分でもよくわからない。
「じいちゃん、どんな映画が好きだったんだ」
「いろいろです。チャップリンとかバスター。キートンだとか、シュワルツェネッガーが出てるようなアクションものまで。なんでも観てました。映画っていうジャンルそのものが好きだったんじゃないかって思います」
「そうか。フィルムって、どんなもんなんだ」
「え?」
「見てみる。状態がいいなら、俺の家にある映写機で観られる。ただ、修復が必要なら、あきらめろ。そこまではしない」
少年は顔を輝かせながら礼を言った。明日にでも持ってくるという。ここでまた会うことを約束して、少年は去っていった。
秀がにやにやしながら俺の方を見ているのに気が付く。
「なんだよ」
「なんでもねえよぉ」
「気色悪いなお前は」
「そうでもねえよぉ」
「返答になってねえよバカ」
その日の夜、倉庫にしまいっぱなしだった映写機を引っ張り出す。劇場で使っていたものはもう処分してしまったが、小型のものはまだとっておいたのだ。
ほこりをはらい、状態を確かめながら、映写機を掃除していく。磨いていくと、あの当時のままの艶が残っているように感じた。
映画は今でも愛されている。ただ、映画を上映する環境も、その方式も変化していった。それはしょうがない。時代の流れというものがある。劇場をたたむことになったことも、後悔はなかった。港の近くで映画館をやりたいという夢は叶えたし、最後の最後まで、自分が望む劇場として幕を引くことができたと思っている。
それなりの貯えもあった。劇場の運営とは別に、先のことを考えた貯えを残しておいたからだ。生きていくだけなら、それで困らない。
ただ、心のどこかで埋まらない何かを感じていたのかもしれない。毎日のように酒を飲んでいるのも、それを埋めようとしていたのかもしれない。
俺は、映画が好きだ。それは昔も今も変わらない。だが、おそらくは映画を上映することも好きなのだろう。誰かに映画を届けるという行為が好きだったのだろう。映写室から見る、映画のシーン。それが好きだったんだろう。
映写機を磨き上げ、動作の確認をすませると、そこそこ汗をかいていた。風呂場に行き、服を脱いでいると、ふと鏡に映る自分の顔が見えた。
「おいおい」
気味が悪いことこの上ない。鏡に映る俺の顔は、満面の笑みだった。
翌日、少年と秀と合流し、俺の家に向かう。少年の両親は来なかった。
「誘ってみたんですけどね」
少年は悲しそうにそう言った。
もうスクリーンの準備はすませていた。あとはフィルムをセットし、回すだけだ。
「なんだから俺緊張してきたよぉ静雄ちゃん」
「なんでお前が緊張するんだバカ」
フィルムをセットし、部屋を暗くする。
「いいか?」
少年に訊く。少し緊張した面持ちで、少年はうなずいた。
「回すぞ」
映写機を起動する。からからとフィルムが回る音が懐かしい。口角があがるのを必死に抑える。そんな顔見せたら、秀に何を言われるかわからない。
スクリーンに、映像が映し出される。
「ありゃあ、こりゃ水門だぁ」
映し出されたのは、見慣れた水門だった。公園とは反対側の、空き地から撮影されているようだ。映像は水門を映したまま変化しない。
と、シーンが変わった。だが、映し出されているのは同じアングルからの水門だった。
「同じだなぁ」
秀が言う。俺は黙って映像を見ていた。
水門と公園が見えるアングル。画に変化はない。
またシーンが変わった。
「変わった! 静雄ちゃん変わったよ!」
「うるせえ黙って見てろ」
公園の周りの景色が少しずつ変わっていく。どうやら、一年に一回同じところで撮影したものらしい。記録映画のようなものだ。
少年はじっとスクリーンを見つめている。
「ドイツのベッヒャー夫妻の写真集にタイポロジーってのがある」
少年はちらりと俺を見た。
「同じ構図、同じ環境でいろいろな工業建築物を撮影してひとつの作品に仕上げたものだ。発展していく中で消えていくそうしたものをフラットなイメージでつなぎ合わせた独特な写真集だ。これも、それと同じようなものかもしれない」
同じ構図が続くが、水門の独特な存在感と少しずつ変化していく景観に妙に惹きつけられる。いい映像だと思った。
映像はある時を境に急な変化を見せた。
「あれぇ。急に変わったなぁ」
「そうですね。いきなり栄えた感じがします」
秀と少年はそんな風に言い合う。そうして、しばらくして映像は終わった。
「いやぁ、なんか不思議だったなぁ」
「はい。でも、なんだろうすごかったです」
フィルムを外し、ケースにしまい、少年に渡す。
「映像ってのは、それそものに力がある。切り取り方でその見え方が変わるだけで、根幹にあるのは映像の持つ力を引き出すことができる、表現できるかって部分だ。ジャンル云々より、まずはその映像の力を引き出す術を身に着けるのが近道かもな。まあ、俺はただの元映写マンだから、そんなこと言える立場じゃねえが」
「いえ。参考になります。ありがとうございました」
少年はフィルムを胸に大切そうに抱えながら言った。
「あとな、途中で急に時間が進んだだろう」
「はい」
「急にいつもの風景になったから驚いたよぉ」
「映像が飛ぶ前とその前で大きく変わったことがある。後ろに映ってるスーパーだ」
「あ、確かになぁ」
「映像と映像の間のあいた時間は、たぶんあんたに関係してる」
「僕に?」
「じいさんがあんたを預かるようになったころから、あんたが自分で留守番できるようになるだろう年齢に成長するまでの時間が、ちょうどあの映像と映像の間にあてはまる。ずっと捕ってた映像よりも、孫を優先したってことだろう。悪いじいさんじゃなかったってことなんじゃないか」
少年は驚いた様子だが、すぐにその驚きは笑顔に変わった。
「そうだったんですね。じいちゃん……」
少年はフィルムを強く抱きしめた。
「映像ってのは、撮る人間の個性だとか、その時々の状況なんかがにじんでみえたりするもんだ。それがまた面白いところだ。技術だけじゃねえ。心があるから映像は面白いもんになる」
少年は強く頷いた。秀はそんな俺たちのやり取りを見ながら笑っていた。
「静雄ちゃんはやっぱりかっこいよなぁ」
あれからしばらくした後。いつもの公園、いつもの場所、いつもの酒。そして、いつものへらへらした声と顔。あれから秀はこたるごとにあの時のことを話すようになった。
「うるせえ」
「いやいや。やっぱり静雄ちゃんはかっこいいよぉ。お洒落な酒も似合うし、いろいろ知ってるし。すげぇよなぁ」
こうなったら何を言っても無駄だ、放っておくしかない。
バーボンをあおり、水門を見る。
公園は変わらず、水門を撮る観光客と水門に見向きもしないで昼食をとる地元の人間であふれている。
変わらない風景。だが、少しずつ変化しているのだ、何もかもが。あの映像が映し出したように。
「静雄ちゃんさぁ、今度おすすめの映画教えてくれよぉ」
「無い」
「そんなこと言わねえでさぁ。俺いま、熱がすげえんだぁ。今ならどんなもんでも観られるじしんあるよぉ」
「無い」
「いじわるだなぁ静雄ちゃんはぁ。まあいいやぁ。また明日なぁ」
「明日もいるとは限らねえだろ」
「そん時はそん時だぁ。また会えるって思って別れる方がいいよぉ」
そういって、秀は去っていった。
「洒落たこと言いやがって」
少しずつ酔いがまわってくる。今日は妙にいい酔い方をしている気がした。それが秀のおかげかもしれないと思うと、気に食わない話だ。
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