1-2 不愛想な妹とクマさんパンツ
あっさりと『シュヤララク』の謎が解けたのは、一限目がはじまる少し前。
教室から理科実験室へと向かう途中、クラスメイトであり親友の吉谷と雑談している時のことだった。
「それ、お前の名前じゃねーか」
夢のことを聞くなり、吉谷はからかうように笑った。1+1の答えも分からないのか? とでも言いたげな人を小馬鹿にした表情。
こいつに悪気がないのは分かっているが、俺は少しむっとして眉をひそめる。
「どういう意味だよ」
「いいか? “シュヤララク”の文字を少し入れ替えてみな。倉良柊矢(くらら しゅうや)。お前の名前になるだろ」
「あ……!」
こんな単純なことに、どうしてすぐ気がつかなかったのか。
“シュヤ”は“ウ”を足したら柊矢になるし、“ララク”を逆から読むと“倉良”になるじゃないか!
分かってしまえば何ともつまらないオチだった。
つまり俺は、無意識のうちに自分の名前をアナグラムしていただけで、知りもしない言葉が夢の中に登場するといった不可思議な出来事なんかではなかったのだ。
でも変だな。
謎が解けてすっきりしたと同時に、新たな疑問が生まれる。
ギリギリこの高校を受かった程度のおつむしかない俺はともかく、学年トップで入学した玲菜がこのことに気づかなかったのは少々不自然に思えたのだ。
起きたばかりで頭が働いていなかったのか、はたまた答えが分かっていながら俺の相手をするのが面倒だったのか。
まあ……たぶん後者だろうな。
妹はどうも会話というものが苦手らしい。
めったに自分から話しかけないし、相づちを打つ時も表情をほとんど変えずに最低限の言葉で返すから、学校では『無気力サイボーグ』なんてあだ名までついている。
おかげで友達がひとりもいない玲菜。そんなコミュ障の妹を、俺と吉谷で遊びに連れて行くというのが休日のよくある過ごし方だった。
「なあ倉良。あそこにいるの、玲菜ちゃんじゃねーか?」
「ん?」
吉谷の視線を追うように廊下の窓の外を見ると、ひとりの女子生徒が中庭のベンチに腰掛けているのが見えた。
中学低学年にしか見えないほど華奢で小柄な少女。
間違いない、玲菜だ。
肩のあたりで切りそろえた栗色の髪を耳にかけ、何やらぼうっと遠くを眺めている。
無表情がデフォルトのあいつが、憂いを帯びた表情で虚空を見つめているなんて珍しいな、と思った。
何か嫌なことでもあったのだろうか。
うーん、無性に気になる。
俺は決してシスコンではないが、ふだん面倒を見ているせいでつい過剰に心配してしまうらしい。
ぼんやりとしている玲菜にまっすぐ近づいて行く男を見て、吉谷が怪訝そうな声を漏らした。
「何だ? あの赤毛」
お前知ってるか? と問われて首を横に振る。
見たこともない奴だった。
ヘアワックスで無理やり立ち上がらせたような赤色の髪に、だらしなく着こなした制服。いかにもガラが悪そうな不良生徒は、玲菜の前でぴたりと足を止めた。
仁王立ちになって玲菜を見下ろし、握った両の拳をわななかせている。
今にも殴りかかりそうな男の雰囲気に、ただ事ではないと感じた。
脳内に警報音が鳴り響く。
気がついた時には、持っていた教科書を廊下に放り投げていた。
「おい貴様ァッ! 玲菜に手を出したら許さんぞォォ!」
窓に手をかけて飛び降りようとする俺を、吉谷が後ろからしがみつくようにして止める。
「落ち着けシスコン! ここ三階階だぜ!?」
「四階だろうが五階だろうが関係ねぇ! 離せ! っていうかその呼び方やめろ! 俺のどこがシスコンだってんだ!」
「ふだんおとなしいくせに、玲菜ちゃんが絡むと人が変わっちまうところがだよ! いいからよく見てみろって、何かあの男モジモジしてんぞ」
「はあ? モジモジだぁ!? どこがだ! どう見たって玲菜を威嚇してんじゃねーか!」
吉谷をひと睨みしてから、もう一度男の目をやると…………あれ?
不良はいつの間にか片手でぽりぽりと自分の頭を掻いていた。
玲菜から顔をそらして、また玲菜を見て。
俯いてはまた玲菜を見てといった不審な行動を繰り返している。
たしかにモジモジしているように見えなくもない。
しばらくして、上ずったような男の声がこっちまではっきりと聞こえてきた。
「お、お、お前のことがずっと気になってたのだ。だから、その、俺と付き合ってはもらえないだろうか!?」
ああ。なるほど、そういうことね。
拳を握ってたのは緊張していたからだったのか。
それにしても、中庭に呼び出して告白するとはずいぶんと古風な告白である。
あの手の輩は、気に入った女をその場のノリで誘うものかと思っていたが偏見だったらしい。
外見とのギャップにちょっとだけ好感を抱きつつ、ひとつ心配の種が消えたことに安堵する。
玲菜はこの不良に呼び出されていた。
ーーつまり、憂鬱に見えたのは悩んでいたからじゃなくてただこいつを待つのが面倒だったからのようだ。
「はは、面白いなあいつ。あんな潔い告白、ゲームとか漫画でしか見たことないわ俺」
吉谷の軽口に頷いておく。そのままふたりそろって窓の外を眺めた。
……さて、俺の不愛想な妹は何て答えるのかね。
まぁOKしないってのは分かってるんだけど。
案の定、数秒もしないうちに不良は肩を落としてトボトボ歩き去って行った。
好きな相手に無表情で冷たくあしらわれるとか、俺ならきっとショックで三日は寝込むな。
何か、だんだんあの不良が可哀想に思えてきたぞ。
……ちょっと待て。
もしかしたらあの男は、変人扱いされている玲菜を好いてくれる貴重な奴だったんじゃないか?
あの格好――特に悪目立ちする赤毛はどうにかして欲しいものの、悪い奴ではないらしい。
玲菜のコミュ障を克服するきっかけになってくれればいいと思ったのだが、まぁ無理な話だろうとあきらめた。
あそこまできっぱり拒否されたら、二度と玲菜には近づかないはずだからだ。
「おい倉良、そろそろ行こうぜ」
「あ、ああ」
吉谷に促されて、窓の外を気にしながら理科室に向かって歩き出す。
玲菜はまだベンチにたたずんでいた。
用が済んだならさっさと教室に戻ればいいものを、天気がいいからそのまま居眠りでもする気だろうか。
まったく困ったマイペース娘である。
本当なら声をかけて注意すべきだろうけど、兄貴に告白される現場を見られたなんて知ったら嫌だろうし、何より俺自身気まずいから今はやめておくことにした。
それにしても、あいつが呼び出しに応じるなんてどういう風の吹き回しだろうか?
最初から不良の存在などなかったかのように、またぼんやりと虚空を見つめる玲菜の姿を見ているうちに、もしかしたら大きな勘違いをしていたんじゃないかという気がしてきた。
本当は呼び出されたわけじゃなくて、ひとりでいる玲菜を偶然不良が見つけただけだとしたら……。
やっぱりあいつは、ひとりで悩んでいたということになるんじゃないだろうか。
た、大変だ!
あいつの好きなグラタンでも作って、夕食の時ゆっくり話を聞いてやるとしよう!
妹を心配するのは兄の務めというだけであり、俺は決してシスコンではではない。
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