第5話 第3昼
「久しぶりね」
ある日、その学校で四方マヨと蕪木早都は再会した。
「誰?」
「だ、だれって、イグニシチヤの四方真世よ。忘れんじゃないわよ。一緒に任命(アサイン)されたでしょっ」
「そういうことをべらべら喋る人なら本当に知らないわ」
「むかっ。あんたの優等生ぶりって本当に腹立つわね。そういうやつ大っ嫌いなんだけど」
「あなたにそう言われると少し嬉しいわ」
しかもそっぽを向いてそんなことを言う。
「むかむかっ」
校舎の渡り廊下、昼休み、彼女たちの会話に誰も関心を持っていないことは明らかだ。
「私っ、昨日まで病院にいたのよ。知ってるでしょ」
「無様なまけいくさ」
ふっ、とめずらしく早都が笑う。
「あああああんたっ、人をバカにするときだけ感情を見せるのどうにかしなさいよっ」
「あなたって良く負けるのね。3回に2回は負けてるんじゃないかしら」
思わず歯ぎしりしそう。
しかしマヨが劣勢に立っているのはそれまでだった。
途端にマヨの態度が変わった。もうニヤニヤ笑いを隠さない。
「知ってるわよ。あんた。手もなくひねられたんですってね。人のことを言っていられる立場かしら。無様なまけいくさよね」
「まあ。まるで鬼の首を取ったみたい。自分では何もしてないのに、よくそれで自慢できるのかと思うとうらやましい。そういうタフなところがこれからの時代には重要なのかもしれないわね。私にはとても無理。どうしよう」
唖然とするマヨ。しかし。
「……ま、まあいいわ。とにかくもうあんたはお払い箱よ。あんたのターゲットは私がやるから」にやり。
「負けてばかりいるのに?」
「あんただって負けてるでしょうがっ」
それより、さすがにここまで来ると誰か注目しそうなものである。
蕪木早都は何かを考えてる。
「いいわ。その前にちょっと話があるんだけど、時間いい?」
「話って何よ。ここって例の地下道じゃないの」
旧校舎はコンクリの建物でその地下から、新校舎に向けて地下道が通っている。現在は建て替えのため、進入禁止にしてあるが、看板で警告しているだけなので誰でも入ろうと思えば入れるのだった。保存運動が行われているくらいで、天井が剥がれ落ちてくるような危険はない。そしてこの時間帯にここに来るものなど、いようはずがない。
「まさかあたしに何かするつもり? でも言っとくけど焼きを入れるのが得意なのはあたしなんだけど」
にやり。マヨはむしろ余裕の笑み。
しかし早都もめずらしく優しい微笑みを見せて言うのだった。だけどその笑みは不自然でひきつっているように他人からは見える。
「そのとおりよ」
「何が?」
直前で自ら指摘しているのにもかかわらず、マヨは相手が何を主張しているのか、すぐには悟らない。
「あなたにはしばらく退場してもらうわ。そうすれば引き続きこの任を受けるのは私ということになる」
「あ、そう。へえー。そういうこと。没個性の固まりだと思ってたら、やっぱり思った通りの嫌な奴だったわけね。いいわよ、そういうの」
マヨはようやく理解した。
「でも他人を懲らしめるのに向いてるのはあたしの方なんだけど」
やはり気の合わない相手とは、いずれぶつかるものなのだ。
「あんたの顔を二目と見られない顔にしてやるの、ずっと待ってたんだよ。願ってもないぜ」
有毒人類テラサイドと燃焼人類イグニシチヤの戦い。
お互いに皮層から炭素化合化学物質を放出。
「ぶっつぶしてやるぜっ」
叫ぶのはマヨである。一瞬で服を含めてオレンジ色に燃え上がった。通常とは違う燃焼方法。ガス成分を変えることで炎の性質を変えたのだ。いまや大量の煤をまき散らすガスの組成になっている。
マヨのオレンジ色の炎の理由は簡単だった。酸素供給の過多部分と酸素供給の極小部分を組み合わせた炎を形成しているのだ。そして手を突き出す動作によって酸素供給の少ない部分が外気に直接触れる。そうすると酸素の多い外気に触れた炎は、バックドラフトと呼ばれるような急激な燃焼反応を起こす。それが突き出した手の前方部分に生じるのだ。火炎放射器のような拳の一撃。もちろん空を切るのだが、これではとても近寄れない。もし誰かが必殺技名などを付けるとしたらどのような名前になるだろうか。火炎拳であろうか。少なくともマヨにはそのようなネーミング趣味がないことは明らかだ。
一方で早都は何もない空中に指で模様のようなものを描き始める。指が空間を通り抜けた後に黄色の色濃い油絵の具のようなガスが残される。
ダニエル空中文字式腐食掌。
口には出さないがかつて誰かがそのような技名を付けたことが今は少しだけ懐かしい。早都はその模様によって完全に姿を隠しながら後退していく。両手で模様を描きながら下がっていく様はさながら何かのダンスのようだ。
突進するマヨはその模様に触れはじめた。
途端に火花が散るような燃焼に、マヨの炎が変わった。
「あっはは。なに、花火の材料でもばらまいているつもり? あんたの毒ガスはあたしの炎の前では何の意味もない。高温高熱で分子構造を破壊されない毒性分なんてないんだからね」
高笑いするマヨ。実際には熱で破壊されない元素毒もあるから自信過剰なのだが、それはともかく今回の早都が放ったのはその手の毒物ではなかった。
激しい火花を散らしながら、マヨのまき散らした物質が巨大な煙を構築していく。そしてその煙はいまや巨大な固体と化して、通路をふさぐのだった。固体化煙幕。
「何よ。こんなもので邪魔をしたつもり?」
足止めをした早都は後方に向かって撤退していく。
火炎拳で爆砕していくマヨ。思ったより破壊のペースが速く、あまり足手まといにはならなかった。そのまま地下道の終点まで階段を登り切った。
外の解放空間へ転戦。早都はすでに先に出ている。
「まったく無謀としかいいようがないわ。あれが爆発するようなものだったとしたら、狭い場所では容易に命取りになるでしょうに」
早都のコメント。早都としてはマヨを殺害して排除してもよいのなら、この時点で数種類の殺し方があったのだった。だがそれをせず出口まで来た。それにあの場所で起爆すればこちらも危険というのもある。
「んなもんは、あたしの対抗爆発で相殺してやんよ」
とそのようにマヨは言うのだが。
「救えないバカね」
と早都は結論づける。
早都はマヨが階段を上がってくる前に、空中文字式で巨大な何かを3Dプリントアウトしていた。
それは球だ。ちょうど早都がすっぽり中に入れるくらいの。
そして早都はすぐにそれに飛び込んでしまったのである。どうもゼリー質であるようだ。巨大な白色の球は中が半透明に薄暗くなるようにものを隠しており、そこには人の影しか映らない。
「わやいでか、うりゃあ」
間髪入れず飛び込むマヨ。しかし。
球の中に早都がいた。2人相対す。
「それじゃ、さよなら」
球の中にいたマヨはすぐに外に出た。
「待てやあ!」
追いかけるマヨはしかし、球から出られなかった。
ぼよん。「ぷふぁ」
相手が入った途端、早都は球の性質を変えた。それ以降は阻害物質を身にまとった者でなければ、中と外を出入りすることはできなくなる。そのような物質を生成することができるのはもちろん早都だけだ。
「なんじゃこりゃあっ」
そしてイグニシチヤは酸化剤を大気から取り込んで燃焼するシステムなので、どうなるかと言えば、外気との接触を断たれて速やかに火が消えてしまったのだった。内部は窒息性のガスに速やかに満たされた。もちろんクローズドエアサイクルを持つイグニシチヤがそれで窒息することはないのだが、火が消えてしまった以上、何もできない。一度消えてしまうと再点火するのに数日は置かないとダメなのである。
「出せやこりゃあっ」
内部でわめき散らしてぼよんぼよんするけど、柔軟な球膜を破ることはできなかった。
球体牢獄である。
さらに早都は空中文字式で、また左手から煙のようなものを放射する。それは気体から固体へ速やかに凝結し剣のような構造となった。
「さあ皆さまお立合い。牢獄に閉じ込められた美少女。なんと剣を刺しても死にません」
よくあるマジックショーを演ずるつもりで。
「え、いや、ちょっと待て。いまなんつった?」
ぐさり。
「ギャー」
「あら。刺さらなかったみたい」
剣も早都がふりかけた阻害物質で包まれている。剣先が球膜を自在に通過でき、かつ球を壊すことはない。
「バカ、ヤメロばか、殺す気かっ。というかこれ、マジックでもなんでもないだろっ」
「身の程を思い知りなさい」
ぐさり2撃目。
「いや、ちょっとこれ、しゃれになんないって、ちょっと、止めてよっ」
「その程度の覚悟しかないのに決闘に応ずるなんて、ちょっと考えられないわ。存在の耐えられない甘さね」
今度は斬りつけ。
「いやっ、やめて、やめてよっ」
「謝りなさい。土下座して謝罪して、2度と私に逆らわないと誓いなさい」
「いやだっ、そんなことできるかっ」
「じゃあしょうがないわね」
剣を刺す。
だが、止められた。腕が動かなくなる。
「誰もこの理想郷で罪を犯すことはできない」
「出たわね」
早都はこの制止を予期していた。振り返る。遠くに人の影。
辺りには人影はまったくない。遥か遠方にかすむ人影のみ。気のせいか、ブロッケン現象みたいな後光が見える。
左腕はしびれたように動かない。停止。
この能力を体験するのはこれで2度目だが、これはこれで違う。
ストーリーエンジンによる現実書き換えだ。
「剣を収めたまえ。許してあげなさい」
遠くから響きかけるような声だった。
左腕の剣が昇華して消滅していく。絶対強制の力。早都の意思ではないが、抵抗はしない。むしろ予定通りだ。
からっぽの左腕を見つめ。
「罪への自由がなければ、生きている意味などないわ」
言い切った。
「有機人類は悲しいね」
少年は背後から不意にあらわれた。
遠くの人影は瞬きするほどの時間に、早都の近くの死角に移動したのである。
四国08。
早都たち進化型人類を任命者として送り込んだ首謀者であった。
お前だって肉体は有機物だろうが。機械の神にでもなったつもりか。
しかし、そんなことは言わない。
「彼女を殺すつもりはなかったわ」
「ほう。この目前の事態を前にしてまだそれを言えるのかね」
「中の彼女には傷1つ付けてないの。自分の眼で見ればいい」
軽く手を触れて、球膜を解除する。ぱつん。シャボン玉が消える音でそれは消えた。
たちまち泣きべそかわいいマヨが現れました。
「ふえっ」
もちろんタングステン繊維のタイツがあらわになってます。
しかしモエモエなのはわずかの間、たちまちのうちに状況を察知した彼女は、くるりと駆け出し、四国08の背中側に隠れたのだった。
「こここいつぅー、任務を放棄して私を殺そうとしたんですぅー、たぶん敵と取引してるぅっすー。きっと裏切り者ですぅ」
「人格のバリエーションが豊富なのね」早都コメント。
四国08は年齢にして12歳くらいの少年に見える。ただこれが実年齢を反映しているかどうかは何とも言えない。人口知性を縛る法律とは違い、人間は肉体の改造については何の制約も設けなかったからだ。実態は老人であるのに少年の姿をしている、そんなことはありふれている。人間だけではなく人口知性にもそれは適用される。
微かな緊張が流れる。しかし。
「見事なものだ。僕の見立てが間違っていた」
少年の発言は早都を赦免するものだった。
「こいつの言ってることは信用ならないですぅ。殺意まるだし尻まるだしだし」
早都ギラリ。
「ひっっっ。ほらっ、いま本性がほの見えましたあ」
もはや見ただけで威嚇されるマヨでした。
かつて早都が目前の絶対者に雇われたときにはこのように言われた。
「任命者を派遣するのはログが残らないからだ。この瞬間、君たちのダミーが実際に君たちが行うべき活動を行っている。あとで差分を回収すれば、記憶にも整合性が出るはずだ」
そして彼ら自身がそれを行わない理由も。
「僕たちは常に記録を取られているのだよ。特に僕は直接に彼女と接触するわけにはいかないのだ。もう1人の方はそうでもないみたいだがね」
もう1人の方。その時は早都は気にも止めなかった。
そして現在。
「質問があるわ。この世界は仮想現実なの。答えて」
「なぜそんなことを聞く」
逆に質問される。
早都は少し迷ったが、言った。
「ストーリーエンジンと対決して不思議なことが起きたわ。私は確かに相手を追い詰めたと思ったら、目が覚めたらそれがすべて夢だった、という感じ。これって、こんなことが起こるのは、この世界が作り物だからじゃないの? 私たちがプログラムか何かだから、ストーリーエンジンは私たちの行為をあっさりと無かったことにできるんじゃないの?
まるで釈迦の手のひらにいる猿みたいに。
あなたたちストーリーエンジンだけが実在で、サーバーのようなもので、私たちがその上で稼働しているソフトウェアなら、これは不思議でも何でもない事として説明出来るわ。
そうなの?」
「それは違う。ストーリーエンジンは人間のインプットを支配している。我々が処理した情報でなければ、君たちが認識することはできない。だから仮想的にそのように見えるだけだ。インプットを支配してるから、まるで現実そのものをねじ曲げたがごとく変更したように見える。だがそれは真ではない。この世界の物理的現実は確かなものだよ。そこは安心していい」
四国08はあっさり早都の疑問を否定した。
「そう」
早都はおとなしく引き下がった。
でも、もちろん心の底では疑い続けた。
人間の99%は悪意で出来ている。そう断ずる早都だから、四国08の言うことを完全には信じなかった。何より、ストーリーエンジンが自分たちだけの秘密をそう簡単に教えるだろうか? そんなはずない。当然、相手には隠すべき理由があるのだろうから。
でも今はいくら追求しようにも材料がない。早すぎる疑問だ。ここは見送る。そう決めた。
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種の人類。
男はかねてから金曜樹の種子を探していた。
でも、どうしても見つからなかった。
ついに歳をとり、寿命が切れる日が来る。
「この樹木の種子だけは絶対に見つけられないだろう」
男は死の間際にそう言った。
男は死んで、するとその死体から金曜樹の芽が生えてきた。
この樹木の種子は、人そっくりの形をして歩き回のだ。そして力尽きたところで根付く。
そのようにして生存範囲を拡大する生態。
%%%%%
「いいわ。今はそれで納得する。でも、また訊くわよ」
早都はマヨをそこに捨てて、1人で帰って行った。
「本土さまあ、どうします? あいつ絶対に何かやらかす気まんまんですよ?」
マヨが四国08に忠告のつもり。
「さすが姉妹だな。予測しがたい行動がまったく同じだ」
「姉妹って?」質問マヨ。
「昔、彼女には姉がいた。今はもういないのだがね」
四国08はその後に何か続けようとしたが、それは彼の思考の中でのみ語られので、誰もそれを聞くことはなかった。
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