4.からっぽのいれもの
名取
プロローグ
ペットというのは、いろいろな使い方をされるものらしい。
普通に考えると、ペットは癒やしだったり、家族だったり、生きがいであったりする。でも、ボクの飼い主であるミラの意見は違っていた。彼女曰く、「ペットとは装飾品」なのだそうだ。どれほど豪華で高尚なものを飼っているかで、飼い主の価値も決まる。ペットというのは、そういう道具的な存在でもあるらしい。
しかしそれはまあ、上流階級の話で。
一般家庭出身のボクにとっては、ペットといえば、やっぱりかわいい犬や猫、金魚や小鳥やハムスター……そんなものくらいしか思い付かない。もし自分でなにか飼うとしたら? それはもちろん、ウサギだ。ウサギほど可愛らしい生命体はいない。いつかミラのお許しが出たら、一匹飼ってみたいものだ。
「待たせたね。
移動中のリムジンの中ではずっと目隠しをされていたので、ここがどこだかはわからなかったけれど、とにかくホテルなのか洋館なのか、そんな豪華な屋敷の一室に、ボクとミラは足を踏み入れた。そこには、円卓のような机があり、真ん中にはタブレットのような機械と、スピーカーが設置されていた。椅子は一つを残して全てが埋め尽くされていた。男女の違いはあったものの、皆それぞれモノクロームの正装で、いかにもお金持ちといったような人ばかりだった。まるでいつか読んだ小説に出てきた、貴族たちのパーティーのようだな、とボクは思った。ちなみにボクは白いニットの服を着せられていたので、やはりかなり場違いな感じだった。
そんなことを考えながらぼーっと辺りを見回していると、不意に首輪についた鎖を引っ張られた。首をぐい、と強く引かれ、ボクは慌ててミラの後についていった。
「おー、おー。趣味の良いこって、ミラお嬢様は」
円卓に頬杖をついてだるそうにしていたスーツ姿のおじさんが、ミラを見て下品に笑った。ミラは彼を一瞥すると、彼を見下ろしたままにやりと笑った。
「だろう? キミたちみたいに下等な人間とは違うんだ。私は人間を常に所有していないと気が済まない。その感覚が無いと、生きている心地がしないんだ」
「チッ……クソドSババアが。いちいちキモいんだよ」
「口を慎みたまえよ、プラウドフット君。君の家がこのところ、結社に十分な貢献を果たせていないのは知っているよ。日本の不景気で、君はずいぶん不利益を被ったらしいね。系列の会社もすべて、目に見えて株価が下がっているようじゃないか。まあ誰にでも不調はあるものだ、その件についてはこれ以上とやかく言うまい。しかしここ数年の結社の活動資金がいったい誰の懐から出ているのか、その点を踏まえた発言を心がけてほしいものだね」
ミラが言葉を言い終えたとき、スーツのおじさんの顔はトマトのように真っ赤になっていた。彼はうつむくと小さな声で、
「うるせえんだよ、ババア……」
と毒づいたが、それきり黙った。ミラは満足そうな表情で、その男の真向かいの椅子に座った。ボクは彼女の後ろに立った。首輪につながる鎖は、相変わらず彼女の手の中に握られている。
「コールドウェル嬢がお着きになられました。これより会議を開催致します」
タブレットにつながるスピーカーから、機械的な声のアナウンスが流れた。どうやら、会議というものが始まるらしい。
「解体屋がしくじったのは、予想外でしたわね」
始まってまもなく、物静かそうな金髪の女性が小さく言った。か細い声はまるで少女のようで、顔は黒いベールに覆われている。喪服のような真っ黒な衣装が少し不気味だった。
「これまでも、私たちの依頼を受け、いくつかの秘密結社を潰して来たのは彼ではありませんか。彼を失ったのは、痛いのではなくて」
「確かにな」
ミラは自身の桃色の髪をくるくると指に巻きつけながら言った。
「解体屋を囲っていたのは、確かグレアムとハルフォードだったか? やってくれたものだな。向こうに優秀な暗殺者がいるという情報は、ミレからすでに入手済みだったというのに、ほとほと思慮の浅い行動をしてくれたものだ。二人には、それなりの制裁が必要だろう」
「それを決めるのはミラ、あなたではありません」
仮面をした男が、突然くぐもった声をあげた。全員の目が、彼に集まる。
「誰を粛清し、罰を与えるかは、全て『創始者』様がお決めになることです。この場で話し合うべきは誰を罰するかではなく、起きた事態について問題点を洗い出し、次にどのようなやり方で獲物を仕留めるべきか、についてでしょう」
「……」
ミラはじっと仮面の男を見ていたが、やがて「ふん」と軽く笑った。
「それもそうだな、メイスフィールド。私としたことが、少々出すぎた真似をしてしまった。解体屋がやられたのがショックで、少し動転していたようだ」
「仕方のないことです」
仮面の男は声色を一つも変えず、おおらかに頷いた。
「かく言う私も、無名の殺し屋たちや、多重人格のイかれた小娘には無理でも、解体屋ならきっと、と慢心していたところがございました。今回の獲物は思った以上に大きい。しかも、彼らは逃げるのではなく、こちらの刺客をことごとく返り討ちにしている。こんなに好戦的な標的、この世に生きている間に再び出会えるとは、私も嬉しくて武者震いが止まりませんよ」
「ご老体が嬉しがってるのはいいけどよ」
赤い髪の男が今度は手を挙げた。彼は、革靴を履いた足を円卓の上に乗せて、手元のスマートフォンをいじりながら発言している。
「そもそも、なんで今になってMPDを狙う? スパイを送り込んでたってんなら、もっと前に殲滅できてたはずだろ。殺すまでもない、内部崩壊だってなんだって、秘密裏に誘導できたはずだ。なんで今になって、それも殺しも厭わない、みたいな思い切った状態になってんだ?」
「新しいメンバーが加わる時が、もっとも隙が多いからだ」
メガネの男が発言する。スーツをきっちりと着込んで、髪をワックスで固めている。このメンバーの中では、一番真面目そうな人だった。
「お前はこの席に加わってまもないからわからないだろうが、前々から我々は、なんども秘密結社MPDを潰そうとしてきた。しかし、あそこは他の結社とは違う。メンバー全員が、常に会長の目の届く場所にいて、まるで家畜のように全てを管理されている。そしてそれを誰一人不満に思っていない。要するにあの組織において、会長とメンバーの関係は、主人と絶対服従の下僕なんだよ。横のつながりは一切存在しない。そういう異常な組織なんだ。だからあの会長の隙をつけるとすれば、それは新しいメンバーを引き入れている最中の、今しかないんだ」
「ふうん。なるほどね。そしてその会長には、厄介な懐刀がいるってわけか」
赤髪の男はスマホをテーブルに置いた。
「ユウ・F・ブランシェットについては調べてみたよ。しかし痕跡が見事なまでに消されてるね。目を皿にして探しても、どこにも情報がない。殺し屋をやってるくらいなんだから、もともと目立たない男だったんだろうけど。かろうじて得られたのは、依頼の完遂率が際立って高いことと、Fというミドルネームには意味がないってことくらいかな。ある時はフレデリック、ある時はフィル、ある時はフェリックスと、気まぐれに変えている。ミドルネームのことだけを言ってるんじゃあないが、こんなに自分に無頓着な男、俺は見たことがない。こいつはつくづく殺し屋に向いているよ。もっと俺に時間をくれれば、もう少しましな情報が得られると思うが……」
「わかりました。その件については貴殿に任せます」
メイスフィールドと呼ばれた仮面の男が言うと、赤髪の男は頷いた。
「さて、次の手を考えることにいたしましょう。ブランシェットの弱点がわからない限り、暗殺や直接的な殺しは避けるべきでしょうな。数に任せて鉛玉を浴びせかける、なんてことはするべきではありません。下手にことを大きくすれば、我々の存在も公になるのですから」
「としたら、どうする? やはり、内部分裂を狙うか?」
「それについては俺に考えがある」
赤髪の男がまた発言をした。よく喋る人だなあ、とボクは彼をまじまじと眺める。不真面目そうな態度をとってはいるが、ひょっとしたら彼はこの会議の参加者の中では一番やる気のある人なのかもしれない。人は見かけではわからないものだ。
「ブランシェットは無理にしても、この新参者……市ノ瀬リアって女の子には隙が多い。狙うとしたら、ここだ。まあもちろん、向こうも彼女の身辺を警戒しているからこそブランシェットをそばに置いているんだろうが、その警戒も、暗殺や目に見えた攻撃に対してのみ、のはずだ」
「なぜ言い切れるのです?」
「あちらの会長様の行動方針は知っているだろう? MPDの会長様はお優しい。会員の行動を監視はしても、虐待はしない。逆説的な言い方になるが、あそこの結社は会員に自由を許しているからこそ、絶対の忠誠と服従を獲得しているんだ。うちとは違ってな。だが逆に言うと、そこに付け入る隙があるということだ」
ベールで顔を隠した婦人が、首をかしげた。
「はっきりしない言い方ですわね、
「つまりだ。誰かが市ノ瀬リアちゃんに近づいて、お友達になればいい。それも、うわべの友達ではなく、本物のお友達に。ただの知り合いにすぎなかったミレとは違う、彼女と本当に心の通じる友人になりうる奴を送り込めれば、こちらに勝機がある」
「そんなことをしても、情報収集が可能になる以上のメリットがあるとは思えんが」
ミラは否定的な意見を出した。
「どうして親密にならなければいけないんだ」
「コールドウェルさんは大金持ちだからわかるだろうけど、人は、たいていは金で簡単に動くでしょう? でも、調べた限りじゃこのリアちゃんは、金では動かないタイプだ。リアちゃんは、生まれた家庭でひどい過干渉を受けていてね、行動制限がすごくて恋人も友人もいない。そんな子が金より欲しているものは人との絆……早い話が、友情だ。できることなら恋愛感情を抱かせるのが一番だが、そこまでいかなくても硬い友情を築くことができれば、きっとブランシェットさえ裏切って無防備になってくれるんじゃないかと思ってね。うまくすれば、友人に死んでくれと言われれば本当に死んでくれるかもしれない」
それを聞くと、ミラが肩を震わせて笑った。
「なんだ、それは。君はなかなかエグいことを考えるものだな、彰人。噂には聞いていたが、日本人はみんなそんなに病んでいるのか」
「コールドウェルさんもなかなかですがね……」
彰人と呼ばれた男がぼそりと呟いたが、ミラはそれをさらりと黙殺した。
「となれば、早速人員を派遣するとしよう」
そこで、首に強い衝撃が走る。首輪の鎖が引っ張られたのだ。
「え? な……もしかして、ボクですか?」
「そうだよ。聞くところによればそのリアとかいう無気力な娘は、ブランシェットのペットのようなものなのだろう? しかも日本人ときている。日本生まれのペット同士、シノとは気があうんじゃないかと思うのだがね。体良くこいつは、子供のあやし方がうまい。もともと、弟と妹がいたんだったな?」
弟と妹。
その言葉に、思わず心臓が跳ねた。こちらを振り返ったミラが、ボクの反応を楽しむように、じろじろと視線を投げてくる。ボクは躊躇う間も無く笑顔を作り、本心を押し隠した。
「はい。そうですよ」
「今でも、会いたいと思うか?」
また一つ、心臓がどくんと、跳ねる。ボクはより一層笑顔を深めた。
「いいえ、これっぽっちも思ってませんよ。生意気なガキどもとお別れできて、ボクはミラ様には本当に感謝しているんですから」
「……」
ミラの感情の読み取れないピンク色の瞳が、こちらをじいっと見つめてくる。ボクは笑顔を崩さなかった。背中に冷や汗が伝うのがわかった。やがて、彼女はにいっと笑った。
「そうか。お前は本当に素晴らしいペットだよ、シノ」
ミラが正面に向きなおる。ボクが唾を飲み込んだその音をかき消すように、首元の鎖がじゃらり、と冷たく鳴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます