殺人鬼の一生

@yoda1027

第1話

 タイトル

 「更生刑」

 

 「本当に後悔していないのか?」

 「後悔?人を殺したことを?それともお前らみたいな間抜け共に捕まったことを?」

 裁判の最終日。黒川登也のあの澄ました態度は最初の日から全く変わらなかった。水沢和夫はめまいがするほどの怒りをなんとか押し殺し、被告人席に立つ男を見た。

 二千四十八年、六月八日、黒川登也は俺の妹を殺した。

 和夫はとある製紙会社に勤めていた。妹の殺された日も会社でいつも通りの仕事をしていた。そんな日常が会社にかかってきた母からの電話で壊れた。今まで聞いたことのない母のうわずった声は裁判中も和夫の耳に残っていた。

 和夫の妹を殺した犯人はすぐに捕まった。その犯人が有名な連続殺人犯だと知った時、和夫はただ現実を信じられなかった。ごまんといる人の一人である妹がテレビに映らない日がない程世の中を震撼させている殺人鬼に殺される、そんなことが自分の身内に起こったことに現実味を感じることが和夫には出来なかった。

 裁判はあっという間に始まり、あっという間に終わろうとしていた。和夫はここにも実感を得ることが出来なかった。昔は時間をかけて裁判をしていたらしいが、犯罪の多様化、犯罪者の急増の影響でスピード裁判が世の中の常識になっていた。和樹の妹を含めた黒川に殺された十三人の裁判も一か月もかからなかった。

 「最後に遺族からの被告人質問を」裁判長が淡々といった。

 かなり昔から被害者参加制度というものはあったらしいが犯罪が急増をした今の世の中で一般人が犯罪と向き合うためにこの制度は一般化されていた。

 三十人以上いる遺族が皆悲しみに顔を歪ませながら黒川に叫ぶ。だが、黒川は壊れたおもちゃを見るような退屈な眼をしていた。

 最後の質問者は和夫だった。和夫は激しい怒りを抱いていたが、それ以上に目の前にいる男が全く理解できないという一種の恐怖を感じていた。

 「あんたは・・・なんであんなことをした?」和夫は氷の瞳で黒川に尋ねた。

 黒川は軽く頭を掻いて、無表情のまま和夫を見た。

 「なんで?さあ、なぜだろうな?うまくは言えないが殺したいと思ったから殺したとしか言いようがないな」

 「罪悪感は・・・心は痛まないのか?」

 「人はいつか死ぬか分からない。爺さん、婆さんになるまで生きることができるって思っているお前らの方が俺からしたら異常だ。大体、お前ら全員、人が死んだくらいで騒ぎすぎだと思わないのか?」

 「は?」

 「結局、人間というのは殺し合いを求める生き物ということだ。でも、これだけ殺しても心が痛まないのはやはりおかしいのか。だったら、なんで痛まないのかぜひ知りたいな」

 「妹には夢があった。ファッションデザイナーだ。自分の作る服でいろんな人の人生を彩りたいと言っていた」

 「それは気の毒だったな。可哀・・・・そうだな?今なら少し後悔できそうだな。そうか、俺は心が痛みたくて人を殺していたのかも知れないな」

 和夫の横に座っていた彼の母が飛び上がり黒川に襲い掛かろうとした。すぐに取り押さえられた母は黒川に感情のすべてを吐き出していた。和夫はそんな母親を見て、少し冷静になった。母が襲い掛からなければ自分が襲い掛かっていたと和夫を確信していた。


 「君の犯行の残虐性、君のまるで後悔のないその態度、君には死という罰ですら軽いように見える」

 裁判長は路上に転がるゴミを見るような眼で黒川を見下ろした。

 「殺すなら早く殺してくれよ。裁判長。この世にも飽きてしまったからな」

 黒川は薄気味悪い笑みを浮かべながら裁判長を見つめている。

 「死んでも構わないと?」裁判長が聞く。

 「言っただろう。俺はあんたらとは違う。いつでも死と手を取り合って生きてきた。今更。死と一緒になるくらいどうってことない」

 「なるほど」裁判長が独り言をつぶやくように言った。そこから長い沈黙が流れた。裁判官たちは目で互いの意思を確認しているように見える。

 「では、判決を言い渡す」

 裁判所の空気が次の一言を緊張しながら待った。

 「黒川登也に更生刑を申し渡す。これが最終判決だ」

 驚愕の声が裁判所を支配した。放心した遺族の顔は瞬間冷凍でもされたかのように静止した。

 「更生刑?なんだ、それは?」黒川は間の抜けた声で裁判長に聞いた。

 「この世界はあまりに犯罪が増え過ぎた。今、人類史上最悪の犯罪の時代が来ているといっても過言ではない。だが、一番の問題は犯罪の多様化や凶器の発達ではない。お前のような人間を人間とも思わない心を持たない人たちが増え始めていることなのだ」

 裁判長は淡々とした口調だがその目の奥には軽蔑と憐れみの炎が燃え盛っていた。

 「そして君のような人たちは今の世界には掃いて捨てる程いる。もうただ罪を償わせるだけでは足りない。必要なのだ、心を取り戻すことが。それがどれだけ辛いことだとしても」

 裁判長は軽く一呼吸置いた。

 「これは死刑よりも重い刑だ。苦しみのあまり途中で君は死ぬかもしれない。だが君にはこの刑を受けてもらう」

 「更生に苦しみなんてあるのかね?もっとそんなもの俺には必要はない」

 裁判はこうして終わった。黒川は軽い足取りで退室していった。


 「なんだ。結局殺す気満々じゃないか」

 小汚い金属製の壁に囲まれた小さな部屋に入った黒川が最初に目にしたのは大量の機会につながれている椅子だった。

 「電気椅子であの世へ連れて行っていくなんてひどいことするするぜ。苦しみのあまり死ぬというのはこのことか?」

 黒川は同じ部屋にいる数人の白衣を着ている男たちに世間話でもするように話しかけた。

 「勘違いするな。これは電気椅子などではない。これは更生刑のために作られた機械だ。更生刑はこの機械をもって執行される」白衣の男は答えた。

 「へー、なあ、いい加減その更生刑とはどんな刑なのか、ぜひお聞かせ願えないかな」

 黒川は白衣の男の一人の顔を覗き込むようにして聞いた。

 「まあ、こんな機械でちょっと頭の中いじったところで俺の考えは変わらないと思うがね」

 「今から君にはある少女の人生を追体験してもらう。君が殺した少女の一人、水沢瑞樹の人生を。自分の殺した少女がどんな人生を歩んできたのか、君に追体験させることで自分のしたことの罪深さを理解させ、更生させることがこの刑の目的だ」

 「へー、今の技術はそんなこともできるのか、ちょっと面白そうじゃないか」

 嬉々とした黒川の目がまっすぐに白衣の男を見つめている。白衣の男も黒川を見つめ返し、二人の間にかすかな沈黙が訪れた。その沈黙を別の白衣の男が破った。

 「もう時間だ。早速始めよう。機械の設置と確認を頼む」

 白衣の男たちが周りの様々な機械を軽く点検してから、黒川に金属製のヘルメットらしきものを被せた。それから、黒川の体のいたるところにコードを繋いだ。

 「何か・・・言い残すことはあるか?」白衣の男は感情のない声で黒川に聞いた。

 「別にいいよ。何か言い残したい相手もいないからな」



 真っ白い天井、ふかふかの毛布、乳のにおい、覗き込んでくる父親と母親らしき人、それと壁際に立っている小さい子供、その全てが一斉に黒川(瑞樹)の目に飛び込んできた。

 すごい。なんだ、これは?本当に俺は他人の体に入ったのか?黒川は意識の中でなんとか自分の思い通りに体を動かそうとしたが、それは出来なかった。感覚や思考まで共有しているようだが、主導権は瑞樹のほうにあるらしい。その結論に達した黒川だったか、他人に自分が入り込んでいる感覚に最初は戸惑いを隠すことができなかった。

 病院のベッドで寝ている黒川(瑞樹)は憤りを感じていた。自分(瑞樹)の顔を見て幸せそうな顔をする大人、黒川(瑞樹)の世話をしたがり、いつも兄貴面をしようとする子供、病院を散歩するときに見るほのぼのとした景色、人間たち。すべてが黒川にとっては退屈なものであり、体験したことがないものであり、理解できないものだった。自分以外の人間のために何かすることがそんなに幸せなことなのか?病院のベッドの上で、母の腕の中で、乳母車のなかで、黒川は何度も考えていた。それしか出来ることがなかった。

 病院を出て、黒川(瑞樹)は家族と一緒に家に向かった。その家は住宅街に立ち並ぶ、何の変哲もない一軒家だった。だが、黒川にはそれが少し新鮮だった。屋根のついた家に住んだことが黒川にはなかったのだ。

 相変わらず家族は自分(瑞樹)の世話を幸せそうな顔をしてやっている。最初は疎ましいと思っていた黒川もだんだんと悪い気はしなくなっていた。家族の愛情を素直に受け取るようになっていた。そして、黒川はそんな自分をあざ笑った。ちょっと人に優しくされ続けただけでこんな気持ちになるとは、これでは奴らの思うつぼだな。

 だが、まだだ。俺はまだ自分やったことを後悔なんてしていない。どうせこいつは俺じゃない、無関係だ。本来人間という生き物は、いや、すべての生き物は自分のやりたいように生きるのが本来の姿だ。それを嫌う人間は自分を騙しているだけか、弱いだけだ。やりたいように生きる力がないからだ。相手の本来の姿に自分が飲み込まれるのが怖いだけだ。

 黒川(瑞樹)は六歳になった。家族という慣れない存在にやっとなじみ始めた黒川は退屈していた。だが、このころから黒川は自分(瑞樹)がどれだけひ弱な存在か手に取るようにわかるようになった。この年頃はよく動き回り怪我をする。自分では何もしていないのに怪我の痛みだけは共有されるため黒川は困り果てていた。そして、怪我をしたときの痛み、友人と遊んでいるときの疲れが自分(瑞樹)はどれだけか弱い存在か黒川に教えていた。

 自分が殺した少女は生きていたのだ。そんな単純な答えが何度も黒川の頭の中に去来した。それほど、小さい子供のエネルギーは生きているという実感を恐ろしいほど感じさせるものだったのだ。

 そんな頃、自分(瑞樹)の母と兄がけがをした。原因は黒川(瑞樹)だった。黒川(瑞樹)は家族で買い物をした帰り道で川に落ちたのだ。一緒にいた兄と母は血相を変えて、無我夢中で川に飛び込んできた。二人とも泳げないにも関わらず。

 結局、通りかかった学生たちに全員助けてもらった。一応のため、全員病院で軽い検査を受けたが大きな怪我もなく、すぐに帰ることができた。

 夕日に照らされた河川敷近くの帰り道、自分(瑞樹)の母におんぶされながら黒川は自分(黒川)の家族のかすかな記憶を拾い集めていた。

 俺の母親はクズだった。物心ついたばかりの息子に盗みや詐欺の手伝いを平気な顔をしてやらせるような親だった。だが、その時の俺は母親のことをクズだなんて思っていなかった。ただただ家族というものはこういうものかと思っていただけだ。お互いの利害のために協力する関係、実際、俺も母親を利用して警察に売った身だ。それが家族だと思っていた。

 でも、自分の危険を顧みず助けようとする家族もいる。生まれて初めて黒川は胸が締め付けられるような痛みを感じた。このとき、黒川は罪悪感というものを感じようとしていた。

 その日の夜ご飯はさんまの塩焼きだった。黒川はこれが自分(瑞樹)の好物だと知っていた。本来なら料理が苦手な父親が自分(瑞樹)のために作ったらしい。黒川(瑞樹)たちが家に帰ってきたとき、か細い体で力いっぱい黒川(瑞樹)たちを抱きしめてきた。そして泣きながら今日は自分が料理を作ると叫んだ。

 丸い食卓にホカホカの白ご飯と野菜炒め、さんまの塩焼きが並んだ。黒川(瑞樹)は家族の顔を順々に見た。

 これが普通の家族なのか。こんなに温かいものがそこら中にあるのか、なんで俺にはなかった?俺は一度でもいいから、こんな風に家族で食卓を囲いたかった。ただそれだけなのに。ご飯を口に入れた黒川(瑞樹)の目から黒川の流した涙が一筋の川となって流れた。

その日から黒川は家族の日常を見ることが少しずつ楽しくなっていた。この家族を見ることで自分のなくした家族との思い出を埋められるような気がした。そして、何より何年も同じ屋根の下で暮らした身として、彼らのことが嫌いではなくなっていた。しかし、時が流れるにつれ、黒川の中にあった微かな罪悪感がどんどん大きくなっていった。

 もう耐えられない。

 十一年経つころには黒川はそう思い始めていた。

 

 そして、その日がやってきた。

 二千四十八年、六月八日、その日、黒川(瑞樹)はいつも通り学校に向かい、いつも通り学校で勉学に励み、友人と談笑し、部活をして帰ろうとしていた。珍しく部活の練習が長引き一人で走って帰った。その時、ぞっとするような、嘗め回されるような視線を黒川は感じた。

 それが誰の視線なのか、黒川にはすぐに分かった。

 あれは俺だ。そうだ。今日は俺がこの子を殺した日だ。

 怖い。黒川(瑞樹)の体が小刻みに震える。今まで黒川は感じたことのない感情がこみ上げてくるのを感じた。いつ死んでもいいと思っていた。黒川が生きてきた世界は常に死と隣り合わせだった。しかし、水沢瑞樹の世界は死などまるで感じさせない平和な世界だった。そして、その世界には心のどこで欲していた家族がいる。許されるならあの家族ともう少し一緒にいたい。黒川の心の中はその想いでいっぱいだった。

  だがそんなことは許されない。この幸せが理解できるようになった黒川は自身の罪深さも理解し始めていた。俺の殺してきた人たちには見えないけど繋がっている人たちがいた。瑞樹の家族もその中にいた。

 これが更生刑か・・・・・この子が殺されれば俺は元の世界に戻れるのだろうか?何もない世界に・・・・・黒川は自身の中に流れ出す感情に名前を付けられないでいた。俺は死にたくない。でも、あの家族とも離れたくない。でも、もう罪悪感で一緒にいるのは辛い。

 俺はなんてことをした。後悔してもしきれない。心の中で黒川は叫んだ。そして、黒川(瑞樹)も悲嘆の叫びをあげた。このときだけ、黒川は瑞樹となった。その叫び声は断末魔のような恐ろしい叫びだった。とめどなく流れる涙を黒川は制服の袖で拭いた。

 後頭部に激しい痛みを感じた。そうだ、あの日俺はバットで後ろから殴りかかって。

 黒川は前のめりに倒れた。後頭部から流れる血が口に入り、黒川に死への合図を送った。

 最後に黒川の口から、水沢一家の名前が一人ずつ零れていった。


 「以上で、黒川登也の死刑は執行されました。水沢瑞樹さんの記録を提供してくださりありがとうございました。お陰で御覧のように彼は最後の日には自身の罪を悔い苦しみながら死んでいきました。この刑がご家族の心の傷を少しでも癒すことができたのなら光栄です」白衣の男がモニターの電源を消し、パイプに座っている水沢和夫とその母に深くお辞儀をし、その場を去った。そのあと現場責任者と名乗る別の白衣の男が入ってきた。

 先ほどまで和夫と母はモニターを通して電気椅子で死刑執行される黒川の姿を見ていた。そのモニターは黒川の後悔の叫びも二人に届けた。 

 「これで本当によかったのですか?」和夫は俯きながら白衣の男に問いかけた。

 「黒川には罪の意識がまるでなかった。それどころか奴は殺してきた人や自分の命すらなんとも思わない人間だった。今の犯罪社会、そんな人間たちはごまんといる。そいつらにとって死刑とはもはや罰ではない。だから、この更生刑が誕生した。どんな犯罪者にもその罪に見合った罰を与えることができる更生刑がこの時代には必要なのだ」白衣の男はこぶしを握り締め、力強く語った。

 「それにご家族の無念も少しは晴れたでしょう?」

 和夫は青白い顔を白衣の男に向けた。

 「無念?確かに更生刑がなければ、あいつは妹のことなんて欠片も思い出さず笑いながらあの世に行っただろう。そして、俺たち遺族の怒りは永遠に消えることはなかったと思う。だが、更生し始めていた奴は人の痛みがわかる人間になっていた。俺は奴を殺すよりも、もう一度奴と話がしたかった。そして、妹を殺した罪を背負い、生きて償ってほしかった。なのに」

 「何を言っているの?和夫?」壊れた人形のようにパイプ椅子に座っていた母が重々しい口調で言った。

 「母さん?」

 「あいつが更生して立派に人間になって、社会の役に立つ人間になるとしてあなたはそれを許せるの?」

 「母さん、それは」

 「娘を殺した人間がその罪と向き合うことで立派になって幸せになる。そんな理不尽なことがあってもいいの?」

 母さんの目はもう何も見ていなかった。

 白衣の男は扉を開けて出ていこうとした。その時、和夫は最後の黒川の言葉がどうしても気になって白衣の男に尋ねた。

 「最後に黒川は私たち家族の名前を呼んでいました。母や俺の名前を呼ぶのは分かりますが、なぜ奴は父の名前を呼んだのですか?父は瑞樹が生まれてすぐに死んだのに」

 白衣の男は少しニヤリとして答えた。

 「泣ける話にいい父親は必須だろう?」




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