CASE.48「遥か彼方の夢模様(前編)」
生徒は立ち入り禁止の屋上。昼飯時の頃合いに俺は今日もベンチに座って空を見上げている。今日は焼きそばパンの日ではなく、母親の手作り弁当だ。
「……」
考え事。だなんて、久しぶりな気がする。
俺は空を見上げ、“昨日”のことを思い出していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨日の夕方の事だ。
「全く……あのバカ……っ」
そう、ファーストフード店で女子たちの壮絶にくだらない戦争を見届けた後のこと。俺も疲れてしまい早足で自宅に向かっていた。
「ええ、バカですね。あのお方」
今、こうして一緒に帰り道を歩いているミシェーラも同意見であった。
学園の成績は常にトップだったという天才。ちゃんとしたクイズ対決なら間違いなくミシェーラが勝利であったかもしれない。
現に俺もミシェーラからは何個か勉強を教えてもらうことがある。何処か頭のネジが外れているところをのぞけば、頼りがいのある女の子だ。
「はぁ……」
俺は深く溜息を吐いた。
「……貴方には今、好きな人はいますか?」
「ぶふっ!?」
いきなりの質問に俺は喉の変な所に唾液を突っ込んでしまう。咳が止まらない。
「お前、いきなり何っ?」
咳き込みながらも俺は続ける。
「このタイミングでからかうのは卑怯、」
「好きな人はいるのかと聞いているのです」
___それは、いつもの腑抜けた表情とは違う。
真意に迫るような剣幕だったことは覚えている。子供らしくない、無言の圧力。
「……それを知って、どうするのさ。何か理由あるの?」
「理由がなければ、質問はしませんよ」
好きな人がいるのか。こんなダイレクトな質問をされたのは生まれて初めてである。故に戸惑いと驚愕は本当に強かった。
(……)
だが、こういう質問をするときの理由……そこに気付かないほど、“俺は鈍感じゃない”。
彼女は“答え”を求めている。それを分かってるからこそ、俺は___
「……いるよ。一応さ」
正直に答えた。
「それは誰か、教えてはもらえますか」
「ごめん。そこまでは無理」
しかし、その人物が誰かなのまでは言えない。
「ああ、ダメだ。ダメなんだ」
好きな人がある。それは嘘でも何でもない紛れもない事実。
「……ダメなんだ」
だけどそれはまだ叶えてはいけない夢。許されるわけには行かない夢想の世界。
___だから、正直に言うと”答えたくはなかった”。
「ごめん。今日はこの後用事があるから……じゃあね」
その日は質問に答えずに立ち去ったのを覚えている。
「……」
後ろから視線を感じた。
俺からの回答に戸惑っている。それを背中越しでも感じられた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
牛乳パックのストローを口にくわえ、空を見上げる。
いつの間にか上の空になっていたようだ。意識が戻ってきたかのように俺はハッとなって、牛乳を吸い上げる。
「……会って、1か月くらいだろうに」
思わず本音が漏れる。
「何処が気に入ったのさ」
こんな俺の何がいいと思ったのか。カッコよさも何もないというのに、気の迷いと言うモノではないのか。女性の気持ちって本当に分からない。
「アイツも、アイツも……」
心名が言っていた言葉。恋は攻めたもの勝ちだという事。
そんなにズケズケと攻め込んでいいものなのだろうか。向こうの気持ちとか、それが一時の衝動であったりしないか、将来的な事がどうとか考えたりしないのか。
……分からない。本当に分からない。
「おーい、平和氏。そんなにボケーっとしてどうした?」
「今日の晩御飯の事でも考えていたか?」
揃って一緒に昼飯に付き合ってくる三句郎と牧夫も俺の上の空に気づいたのか心配になって声をかけてくる。不幸体質のせいで普段から身構えている俺はそんな間抜けな隙を見せることはほとんどない。意外そうな顔を二人は浮かべていた。
疑問。その表情は疑問だ。俺の上の空が何故かと問いている。
「……お前等ってさ、“将来”の事、考えたことある?」
「おわっ、急に現実的な難題ふっかけてきおった」
ビックリするくらい真剣な悩みが返ってきたことに三句郎は戸惑いを見せる。
俺達はもう高校二年生。来年にでもなれば三年生となり、今のようにやりたい放題はしゃぐことも少なくなる。何処の大学に行くか、それとも仕事を探すかを考え、受験勉強などに備え、将来のビジョンを見出していく。
そんな未来が遠い先の事ではない。すぐそこに迫っている。このタイミングでその質問は、将来の事を深くは考えていないこの二人には強く刺さったのだろう。
「どうなんだよ」
「俺は、実家の豆腐屋を継ぐかな」
牧夫は弁当の中に入っている厚揚げの煮物を食べながら答える。
「俺の名前は知れ渡ってるからな。この辺の企業や大学には行きづらいし、何よりそれに受かるほど頭もよくないからな」
「勉強なんて死に物狂いでやれば出来る。人によって容量や頭の回転は違うけれど、誰だって頑張れば成績の一つは上げられるだろ」
「ぶっちゃけた話、勉強が面倒くさいんだ!」
ハッキリ言いやがった。
確かにこの男が真面目に勉強へ取り組んでいるのはテスト勉強のギリギリ手前くらいだ。心名だけではなく、この男にも泣きつかれた事が何度あっただろうか。
「だからさ、卒業したら豆腐屋でゆったり過ごそうかなって」
「勉強が面倒くさくて進学と就職が嫌なら何も言わないが……そのお店を長続きさせられるかどうかの知識が必要になる。どのみち勉強はする羽目になるよ」
「あ、そうか!?」
軽はずみでお店を継げば、楽が出来ると思ったのか。
しかしガラではあると思う。実際、お店の手伝いを何度かしているようで、コイツの作った豆腐は本当に美味い。気に入っている。
「お前は?」
「拙者はまず専門学校に行こうって考えてる」
「遊びたいからだろ」
「その通り!」
だと思った。
高卒で行ける職業なんて大半が工場とか肉体労働だ。大学や専門学校にいけば、狙える職業の幅が広がるし、何より専門学校在学中は“最低2年か4年”遊ぶ余裕もできるのだ。
彼らしい選択だと思った。行くとしたらパソコンの専門学校とかそのあたりか。
「んで、その学校も卒業したらどうする気だ? どんな仕事につきたいの?」
「そうだな……ひとまず、週休二日と有給は絶対に欲しいな。あとは定時で帰れて、なおかつボーナスもあって……それと、転勤とかそういうのがなければ何でも」
何でもいいと口にする割には注文の多い野郎だ。コイツは。
ちょっと不安になってくる。下手をすれば、遊んで暮らせさえすれば何でもいいと“コンビニで夜勤バイト生活”をしてる姿も目に見えてくる。
別にそれも選択のうちだし、フリーターで食っていくということ自体が悪い事ではない。保険など将来的な事を考えるとなれば、就職を薦めておきたいものであるが。
「今のうちに求人票の見方は覚えておけ。甘い言葉に騙されるなよ」
「大丈夫! 求人票なんて、世の中の現実を見栄えのいいように書いた芸能週刊誌みたいなものだって理解してるもので!」
さすがは三句郎だ。遊んで暮らしたいと口にするだけあって、それなりに勉強はしているようだ。何も考えていないという言葉はひとまず撤回することにするか。
「そういうお前は、将来の事とか考えてるのかよ」
……この二人はひとまずの事は考えている。
将来がどうなるかなんか漠然としているから深くは考えられない。しっかりと設計している奴なんて、この時代において珍しい事なのかもしれない。
「俺、か」
俺も一応考えてはいる。どうしたいか考えてはいる。
「俺は、」
「貴様ら!! また、ここで屯っていたか!!」
タイミングの悪い奴である。いや、これはグッドタイミングでもあるのか。
なんともまあ絶妙なタイミングでやってくるのだろうか。この学園でたった一人の“風紀委員”は。今日も性懲りなく人差し指を突き立てて怒鳴ってくる。
「ふんっ!」
「ぶほぉっ!?」
真名井が俺の射程圏内に入ったと同時に拳を突き入れる。
「貴様……不意打ちとは卑怯な」
「先端恐怖症だから」
「それ言えば何でも許されると思ってない!?」
お前が俺に指さした回数覚えているか。“57回”だぞ。いい加減学んでほしい。過ち多すぎて終身刑並だからな。今のお前。
「それはともかく!こんなところで一体、どのような悪だくみを」
「失礼だな。将来の事について話し合ってるのに悪だくみだなんて」
あっ、三句郎の奴、余計な事を。
「おお! 将来の事について話し合っていたとは……くぅー! お前達もついに善良の道へ歩き出す時が来たという事か! 私の想いが届いたという事か!」
いや、そもそもコイツに説教される前から善良であるつもりだ。普段の行いとか結果の事については目をつむって欲しいことが多いけれど。
「あ、そういや、真名井は将来どうするつもりだ?」
「む、私か?」
そういえば、気になりはする。
「そうだな……ここだけの話だが、実は、とあるスポーツのプロチームからスカウトが来ている。それに応えるつもりだ」
流石はスポーツ能力だけは全員が憧れるスペックの持ち主。高校二年生という立場で新聞に載ったり、インタビューを受けた経験のある男。伊達ではないという事か。
「へぇ、プロチームとかすげぇな」
「そうだろう、そうだろう! 努力の賜物というものだな!」
その言葉、むかつきはするが、彼だからこそ言える言葉である。
小学校の時からスポーツ一筋で頑張り続けてきた男。その結果が実ったのだから。
「だけどさ、プロチームになってさ、負けがこんで、万が一失敗したら……その時はどうするんだ?」
「失敗、か」
真名井は思考したのちに口を開く。
「その時はその時でどうにかするさ! 未来なんて何が起きるか分からないからな! その時になったら実行するとも……いや! それ以前に失敗なんて考える暇はない! そんな時間があるなら、成功させるよう努力するとも!」
腰に両手を掲げ、真名井は高らかに言い切った。
「明日のために目の前の事をやりきる! 少しでもやりたいという気持ちがあるのなら後先なんてそれこそ後にして突き進め! それが我ら生徒会のやり方だからな!」
……実に真っ直ぐな男だ。迷いがない。
こういう奴こそ、今の日本には必要だというのが皮肉な話ではある。
「だが、多少は後先考えてほしいな。俺の事とか」
「ならば少しは大人しくするものだな。罪深き者」
「俺の意思じゃないって……」
しかし、生徒会の暴走だけはどうしても考慮できない俺であった。
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