Emeral-D

イルD

1章1節 サヴァイバル・オブ・ワン

 その日は、午後から煮えるような暑さだった。


金色の夕日が、1日の終わりを告げる合図をガラスに覆われた高層ビル群と、その裾に延々と広がる穀倉地帯に投げかけている。


泥にまみれた重い体を引きずって、俺、橄・火鈴(クァン・フォリン)は家路を急いでいた。数年前から大人民農場で働き始めた俺は、元々北京近郊で栽培していたトウモロコシに代わり、ここ南部の上海周辺で盛んな稲作をしている。

今はその仕事が一区切りついたところで、労働農員こぞって宿舎に戻る最中だ。


「なんつーか、こりゃトウモロコシの方が育てやすかった気がしなくもないな…」


そう独りごちると、横を歩いていた隣水田エリアのおっさんが頷いた。

「まあな、トウモロコシと違って、水を入れたりせにゃならんしな。…何と言っても、この泥がよ、一番大変だよ。重たいし、服に張り付くし……」

彼もまた、俺と共に北京から上海にやって来た労働者の1人なので、仕事柄よく話が合う。

「おまけに、そんなに儲からないし?」

俺が合いの手を入れて茶化すと、おっさんは笑って頷いた。

「そう、その通り!」

「はははは。ま、俺はこれでも多少は満足しているけどね。元々インドア趣味じゃなかったからさ」


どちらかと言えば、俺はかなりアウトドアな子供だったと思う。力仕事も得意だったので、今の仕事は割と適切なのかもしれない。



 春。この惑星上から日本という国家、民族が消えた日 《ロストオブジャパン》から、ちょうど10年が過ぎようとしている。思えばこの10年間、本当に様々なことがあった。


 かつて日本と呼ばれていた大地は今、謎の大型植物群に覆われ、人間に代わって支配者となったソレが、周囲の陸地に向けて巨大な綿毛状の種子を飛ばし世界を侵略しようとしている。

フォロス(Follos:Forest like a locust swarmの略)と呼ばれるこの異様な森が覆う列島から人類を防衛するために、各国は環太平洋地域の沿岸部に軍を配備し、一致団結の精神で史上初となる世界規模の同盟を結んだ。


結果として、俺の故郷である北京は避難の為に移民してきた朝鮮民族へ明け渡され、家族は遷都した先の新首都・上海に移り住まなきゃ行けなくなってしまった。

「よそ者に自分の故郷を譲るなんて」と、始めは腸が煮えくり返ってなかなか収まらなかったけれど、元の住む場所が無くなってしまったのは彼等も同じだし、ここでの暮らしは悪い事ばかりではない。


日本語で確か、「住めば都」とか言うんだったかな。日本人の親友がいたという爺さんが、昔亡くなる前に教えてくれたっけ。生活をしばらく続けてみれば、新しい農業のノウハウや天候の違いなんかも段々楽しめるようになってきている。こうして、同郷のおっさんとも仲良くできてるしな。


と、おっさんが急に黙り込み、真剣な表情で辺りを見回し始めた。

「ん?いきなりどうしたんだよ、おっちゃん」

そう訊ねると、彼は声を潜めてささやいた。

「いやな、オレも小耳に挟んだだけだし、お前さんは喧嘩もそこそこ強いから、多分関係ないとは思うんだが…最近どうも、居住街区の方で人さらいが頻繁に起きてるんだとさ」


「人さらい…」

嫌な単語だ。なぜここでそんな連中が?


「人さらいってな、あれだろ?若い女の子とか、誘拐していく奴らだよな?」

「ああ、そういうことをやってる連中が増えているんだと。何を探しているかは知らねえが、どうやら何かを、探してるみてえなんだ。被害に遭った子供の殆どは、攫われた現場から離れた場所で怪我もなく発見されてるらしい。今、警察が捜査をしているところだ」

「よく解らないけど、許されることじゃないだろう、それ。俺、現場を見つけたら取り押さえてやる」


頼もしいこった、だが気をつけろよと言いつつ、おっさんは俺に紙切れを手渡して来る。

「連絡先だ。世界同盟が結ばれてからこっち、今まで以上に警察も政府も信用ならない組織になってやがるからなあ。奴らに助けを求めることはできねえ。もし人攫いを見つけたら、無理せず俺や他の農業者連中を呼べ。」

「“底辺を這いずる者共、傷を舐め合い手を取り合え。支配者が命じても人の心を捨てるな”か……偉人・夕秦は中々良いことを言ったもんだよな」

「ああ、そういうことだぜ。どんな血が入った人間だろうが、やっちゃいけねえことは誰かが止めねえと」


俺はただ頷いた。世界がおかしくなってきたって、全ての人が感化され狂うなんてことにはならない。


俺もこのおっさんも、それからここで出来た仲間達も、まだ腐ってもいなければ意思も思考も止まっちゃいない。せいぜい今の自分達にできることを探し、苦しんでいる誰かを助けることができるならそれを実行してやる。


別の方向の寄宿舎に戻るおっさんに手を振り、俺は渡されたメモを上着のポケットにそっとしまった。

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