第87話『その懐中時計は、時空を越える 鍵 となる』



           ◇





 ルーシーは森の中を走る。獣道を下り、石畳で舗装された道路に出た。



 彼女は息を整えながら、ある場所に向かって歩みを進める――彼女が目指したのは街灯だ。ジーニアスと初めて邂逅した、運命の場所……




 しかしルーシーは、街灯まで歩むことができなかった。




 彼女は立ち止まり、思わず息を呑む。




 件の街灯は、不規則に点滅を繰り返している――その不安定な灯りの下で、一人の男が立っていたのだ。




 ジーニアス同様、この世界に似つかわしくないトレンチコートに、深く帽子をかぶった中年男性だった。



 その男はクラウン。



 ジーニアスを離反者インサージェントとして引き入れ、彼を影から支えていた人物だった。




 クラウンは顔を上げ、無機質な視線をルーシーに注ぐ。






 二人の間に不気味な沈黙が流れる。





 その沈黙を破ったのはルーシーだった。




「あ、あの!」




 彼女がクラウンに話しかけると同時に、クラウンも動く。彼は街灯近くのベンチに腰を下ろし、左手で座板をポンポンと叩く。『ここに座りなさい』と仕草で語りかけたのだ。



 ルーシーは話しかけようとしていた言葉を飲みこみ、緊張した面持ちでベンチまで歩み寄る。そしてクラウンからなるべく離れた位置に、スッと腰を下ろした。




 数秒の間を置いて、クラウンが語りかける。




「君と対面した時、なにをどう話そうか、かなり迷ったよ。ここで責任追及や口論を重ねる気はない。そもそも非効率的であり、時間を浪費するだけだ。クレイドルが斃れたのは、我々の誤算だった。まさか彼が生きていたとは…… 」



「ジーニアスさんが刺された場所に、いたんですか?! あなたは……いったい――」



「失礼した。パーソナルネーム、クラウンだ。ローズ救出のため、ジーニアスを離反者インサージェントとして招き入れ、彼を影からサポートしていた支援者だ」



「支援者……。識別コードは?」



「識別コード? ずいぶんと懐かしいことを訊くんだね」



「忘れたのなら、構いません。ビジターは識別コードから名乗るのが普通だったもので」



「こちらとしては、離反者インサージェントとなって久しい。失礼した。765737‐θ‐87480 クラウンだ。ルーシー・フェイ。これで満足して頂けたかな?」



「ありがとうございます。それで、彼――とは?」



「ポポル少年……彼を知っているね?」



「ええ、存じ上げております。ジーニアスさんから話を聞いて――ま、待ってください! まさかジーニアスさんは、ポポルに刺されたと? でも彼は――」



「ああそうだ。彼は時空を喰らう者ディメンション イーターに呑まれ、命を落とした……はずだった。だが、あの少年は半獣種の亜人――ポポルに間違いない。 このフェイタウンに存在し、クレイドルに刃を振るった。これは紛れもない事実である」



 クラウンは立ち上がり、未だベンチに座っているルーシーを見下ろす形で、こう告げる。



「これは憶測だが、ポポルはこのフェイタウン中央に聳えるモニュメント……異界門。あれによって、この世界に転移した可能性が高い。


 我々のテクノロジーの及ばない規格外の技術――不確定要素 故に、我々もポポルという危険要素を見落としていた。だとすると、それを手引きした存在がいるのは明白。つまりもう、君たち現地住人を、信用するわけにはいかない――だろ?」



「そんな! そんはことするわけないじゃないですか!!」



 強い口調で反論するルーシーに、クラウンはさらに強い口調で反論する。口論を良しとしないと言っていたが、計画が想定の範囲内を越え、冷静さを欠いていたのだ。




「なぜそう言い切れる! ならば誰がクレイドルを消そうした! ローズをこの世界で隔離しているのは誰だ! しかもローズに至っては、これだけビジターのテクノロジーを惜しみなく注いで、痕跡すらも掴めないのだ!!」




「そ、それは……」




「ルーシー。この世界で動けるビジターは、もう独りだけなんだよ。君のように安易に人を信用していては、クレイドルのように命を落とす危険がある。だから――」



「ジーニアスさんは死んでいません! まだ生きています!!」



 クラウンは冷静さを取り戻したのだろう。落ち着いた口調で否定する。



「生きている? あれを生きていると言うのか? 静止モードを解除すれば、彼は数分もたたずに死ぬ。あれは生きているのではなく、延命しているに過ぎない」



「そんなこと、分かっています! 私は――いいえ、私達フェイタウンの市民は、彼の勇気ある行動によって救われました。だからフェイ家の末裔であり、なにより彼の友人である私が、責任を持って救います! ビジターの世界へ行って、救う手立てを見つけ、ここに帰って来ます!!」



 とんでもない宣言に、クラウンは『無謀な……』と嘲笑う。彼がそう判断するのも無理はない。その理由が、彼の口から語られる。



「ルーシー、ビジターがどういう存在か分かっているだろ? これから起こりうる数多の未来を、すでに見通している存在なんだぞ? そんな彼等が跋扈する巣に、その身一つで飛び込むというのか? 夢見る少女とはいえ、それは控え目に言って愚か者の所業だ」



「なんとでも言ってください! 誰がなんと言おうと、私の意思に変わりはありません」



「そもそもどうやってビジターの本拠地に向かうつもりだ? 船やドラゴンでひとっ飛びとはいかんぞ。別の時空に存在する、言わば難攻不落の隔絶された異世界――そう、不可能なのだ。例えビジターであっても、一度離反者となれば、帰還することは叶わなくなる」



「不可能なら…… それを可能にするまでです!」



 ルーシーはサイドポーチから懐中時計を取り出す。それはジーニアスを静止モードにする際、彼のジャケット裏から拝借した、時計型高機能端末だ。



 それを見たクラウンは、顔を横に降る。そして哀れみを帯びた瞳で、残酷な現実を口にする。



「それはクレイドルの懐中時計……。ルーシー、それを使えるのはビジターだけだ。現地協力者の君であっても、制限が掛かり、ロックされている状態。それで時空を越えて、ビジターの世界には行けないんだよ……」



「な、なら制限を――この懐中時計の機能を解析して、ロックを解除するだけです!」



「そのロックを解除するというたったそれだけの事―― だがそれが、どれだけの難題かを理解しているのか?


 あらゆる世界の高度知的生命体が、ビジターの存在に気付いた。しかし、侵攻という形であったが、彼等の世界に辿り着けた事例は、たったの……たったの一例のみ。


 しかもその侵攻でさえも、ビジターではない部外者の――それも、たった独りの男によって阻止された。特異点D.E.A‐56の手によって……


 懐中時計を解析する?


 無知とは恐ろしい。そして実に、馬鹿げている…… 


 この端末を解析するだけでも、膨大な時間を必要とする。この世界のテクノロジーが衰退することなく、順調に発展することを考慮した上で、そうだな……おそらく何万年もの時間を有するだろう」



「私には、それができます!」



「できる? ああそうか、 “ ギフト ” という呼称の、不確定要素を使うのか。その手があったか――」



「不確定要素……いいえ。私、魔法はほとんど使えません。でも必ずビジターの世界に行きます! ぜったい! 為し遂げて見せます!!」



 その目は、真剣というにはあまりに確信的であり、絶対の自信があった。まるでもうビジターの世界に行くことか決まっているかのように、不安や臆するものが一切なかった。



 

 それを確認したクラウンは、





「いいだろう。そうか、そこまで言うのなら……――。


 ルーシー・フェイ。


 フェイ家の末裔よ。


 不可能を可能とし、絶望の中で希望を見いだし、 その言葉、、、、を真実にして見せろ!!」



 そう言い終えるとクラウンは、ルーシーに向かって なにかを投げる。



 ルーシーにとって、それは予期せぬ事態だった。放物線を描くそれを、彼女は「おっと?!」と、ぎこちなく受け止めた。渡されたそれは、青いバラの彫刻が施された懐中時計だった。しかし蓋端がひしゃげ、不自然に形状が歪んでいる。




 ルーシーは青いバラのエングレーブを指でなぞりながら、クラウンに訪ねた。




「これは?」




「ローズがこの世界に漂着したという物証。そしてこれを見たクレイドルが、捜索に協力してくれるようになった、すべての始まりとなる きっかけさ。


 本当なら、それをクレイドルの墓に 手向けようと思ったのだが……。気が変わった。ローズの懐中時計も、もしかしたらスペアパーツとして有効活用できるかもしれん。


 クレイドルなら、きっと それを望むはずだ」





「クラウンさん……ありがとう、信じてくれて――」




「ルーシー、一つ忠告させて頂こう。そうやって安易に人を信用しないことだ。そもそも私は、君を信用したのではない。クレイドルが君を信頼したという 事実を信頼した、、、、、、、に過ぎないのだよ。人という存在に過剰な期待を注げば、いつか器から零れ、己が絶望へと堕ちるぞ。いいね?」




「なんだか嬉しい。実はジーニアスさんにも、似たようなことを言われたんです。気をつけますね!」




「まったく……。どうやら、クレイドルの悪い癖が感染ったようだ」




 そうボヤきつつクラウンは、ビジターとは思えないほど優しい笑みを浮かべる。そして、姿を消した。比喩ではない――おそらく別の場所へ転移したのだろう。



 一人、ベンチに残されたルーシーは、ジーニアスとローズの懐中時計を両手で握りしめ、「よしッ!」と力強く頷いた。




「あとは、この2つの懐中時計を解析するだけ……」



 ルーシーは周囲に人の気配がないことを確認する。もっとも この道を使うのは、フェイ家の侍女か、ベールゼンといった関係者くらいだ。有事の最中とはいえ、こんな夜遅くに出歩きはしないだろう。



「誰も……いないわね。 ジーニアスさん、ごめんなさい。大事な懐中時計バラバラにしちゃうけど、あなたを救うためなの。ジーニアスさんも救って、ローズさんも必ず見つけ出すから」



 ルーシーはそう言いながら、ベンチから立ち上がる。そして、 それ、、 は起こった――


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