第72話『戦場で甘いものは食べられない』



 駄菓子屋の亭主は顔を横に振りながら、たじろぎ、後退りしてしまう。




「馬鹿な! そんな事ありえない! こんなのは夢に決まってる!! 夢だ! これは夢なんだ!!」



 動悸が激しくなり、嫌な汗が額からドっと溢れ出す。不規則な鼓動を叩き打つ心臓――目の前の事実を否定すればするほど、それは激しくなり、夢とは思えないほど生々しく、空気や、感じ取る世界すらもより鮮明に、現実感を増していく……



 駄菓子屋の亭主は松明の柄を強く握りしめた――が、感触に違和感があった。妙に冷たく、金属質なのだ。




「……これは、まさか――」




 駄菓子屋の亭主は暗闇にも関わらず、手の中にあったそれに、思わず視線を向けてしまう。




 自分の手すら見えないほどの暗闇――にも関わらず、手の中にある鋳鉄製のそれは、色合いが分かるほど鮮明かつ残酷に、くっきりと見てとれた。



 それは駄菓子屋の亭主にとって、忘れようとも忘れることのできないモノだった。



 皇紀二五九九年。皇軍兵士に支給され、自らの命に終止符を打つことになった忌まわしきモノ。それは彼にとって罪と理不尽さ、そして無力さの象徴でもあった。――その名は 九九式手榴弾。



 しかも手の中にあるそれは、すでに安全ピンが抜かれており、起爆可能状態だった。



 駄菓子屋の亭主がそれに気づき、目を見開いた瞬間――――手にしていた手榴弾が爆発した。眼の前が真っ白に染まり、甲高い耳鳴りが世界を支配する。



 炸裂音は聞こえなかった。


 それどころか痛みすらない。


 甲高き高周波のような耳鳴りが、鼓膜を、そして心を震わす。



 そして その耳鳴りも、徐々に薄れていく…………―――





 耳鳴りと入れ替わるように、脳内で言葉が反復し、反響する。最初は小さかったが、次第にそれは まるで近づいて来るかのように、少しずつ、大きくなっていく。



 痛みどころか感触すら皆無な、白き無の世界。


 その空間に、少女たちの嗚咽する声が響き渡る。



 その声は悲痛そのものであり、抗えぬ理不尽な運命に、ただただ嘆き崩れるしかないものだった。そしてそれに重なるように、かつての自分――生前の自分の声が、駄菓子屋の亭主の耳に届く。郷土くにの……故郷ふるさとの訛りのある声で、




 かつての自分もまた、嗚咽混じりな声で少女たちに謝る。何度も、何度も……。


 守り通すこと叶わず。そして敵に囲まれ、抗う手段はなにもないこの現状で、もはや……残る手段はもはやこれ、、しかない――と。




 少女たちは一人、また一人と泣くのを止め、兵士に最後にすすり泣きながら懇願する。それは叶わぬと知りながらも、死と絶望の中で告げた、最後のわがままだった。






「せめて……せめて死ぬ前に、甘いものを……たらふく食べたかったな」







 その言葉を聞いた瞬間、駄菓子屋の亭主は悪夢から弾き出される。彼の意識は深淵の如き過去戦場から、第二の人生の地――現実オルガン島へと舞い戻ったのだ。


 オルガン島フェイタウン、病室の一角。彼は悲鳴とも雄叫びとも分からぬ声を上げながら、目を覚ます。


 その声に何事かと駆けつけた、ジャスミンとジーニアス。


 そんな二人をよそに、駄菓子屋の亭主はガバッと起き上がり、近くにあったエプロンを掴むと、足早に病室を立ち去っていく。



 無言で立ち去っていく駄菓子屋の亭主を無視できず、ジャスミンとジーニアスの二人は、彼の後を追った。



 駄菓子屋の亭主の耳に、静止の声は届かない。戦争に備え、医師や看護師が慌ただしく行き交う病院内――その光景は、前世の “ あの地 ” を思い出させるのに、充分だった。


 駄菓子屋の亭主は、険しい顔で病院から出ると、急いであるものを探す。




「さすがに都合よく、あれ、、をここに持って来てはくれないよな。じゃけぇ、あの場所まで取りに行くしか――ん? あれは?!」



 彼が目にし、驚いた物――それは商売道具である移動式の屋台だった。地下へ降りる前に置きっぱなしで放置されていたものを、親切にも、誰かが病院前まで持ってきてくれたのだ。


 しかも邪魔にならないような場所を選び、出入りの激しい正門の近くではなく、裏門 近くの四隅にポツンと屋台は置かれていた。



「こいつは ありがてぇ! 誰かは分からんが、わざわざ病院まで屋台を移動させてくれたんだ。この忙しい時期で しわいなのに……ありがとう」



 フェイタウン市民の民度の高さと優しさに感謝しつつ、屋台へと駆け寄り、移動の準備を始めようとする。引き出しの中に隠れていた妖精たちが現れ、亭主の帰りを祝福する。



 そんな彼に、ジャスミンとジーニアスが追いつく。



 二人は療養明けの身である。地下での酷使が祟り、小走りしただけで体の節々が悲鳴を上げていた。


 そんな彼女たちに、駄菓子屋の亭主は「おっ? そんなに急いでどうしたんだい?」と、ケロッとした表情で尋ねる。



 どうもこうもない。


 病室で悲鳴を上げながら飛び起き、そのまま何事もなかったかのように、病院を後にしようとしているのだ。同じフェイタウン市民として、ぜったいに見過ごすことはできない――ましてや、巻き込まれたにせよ、共に戦場を駆け抜けた仲なのだ。



 ジャスミンが ことさら心配そうに尋ねる。



「どうしたもなにも、さっきの悲鳴は? それに急いでどこへ行くの? あなたもゼノ・オルディオスと戦ったのだから、体を休ませないと……」



「休む? お嬢ちゃん、馬鹿言っちゃいけねぇや。あんなブチ強ぇやつが暴れまわろうとしとるんじゃ、じゃけぇ、兵糧の準備をせにゃならん。もちろんパンとかの飯や食いもんは、他の連中らがやっとるから、俺がする必要はない」



 駄菓子屋の言葉は、明らかにいつもと違う。独特の訛り、そして言葉のイントネーションが変化しており、少し聞き取り辛かった。



 ジャスミンはそれには言及はせず、『これからなにをしようとしているのか?』と訪ねた。




「じゃあなにを?」



「なにって? これさね! ちょっと待っててな」




 駄菓子屋の亭主は、アルコール濃度の高い酒で手を洗って消毒し、屋台の冷蔵庫から洋梨を取り出す。



 そして慣れた手付きで火炎魔法を展開させ、表面を炙りつつ解凍。そしてオルガン島独自の固有種、妖精の加護が施された串を梨に突き刺し、シナモンフレーバーを配合した秘伝の水飴――それが入った瓶に、それを優しくポチョンッ! と漬け込む。


 数秒の間を置き、それをヌロ~と引き出す。するとジャスミンの前に、摩訶不思議な光景が広がった。



 串に刺さった洋梨を包み込むかのように、水飴が重力を無視してプカプカと浮いているではないか。いくら魔法の存在する世界とはいえ、水に揚力を持たせる技法は、未だ机上の空論であり、確立はしていない。



 だからこそジャスミンは驚く。


 散々この世界で摩訶不思議なものを見てきた。魔法、グリフォン、そしてコボルトやエルフに妖精。だからこそ、これから何を見ても驚くものかと覚悟は決めていた。しかしここに来て、彼女はまたしても驚かされたのだ。雲のように漂い浮かぶ、水飴の優しい姿に……




「え?! ええぇ! え? ええええ!! 浮いてる! ジーニアスあれ見てよ! み、水飴が! 水飴が浮いているわ!?」




 身分や階級、置かれた立場を忘れ、ジャスミンはただの少女として喫驚の声を上げる。そしてジーニアスの服を摘んでグイグイ引きつつ、水飴を指差して驚く。まるで生まれて初めて風船を見た、子供のように。



 その姿を見た駄菓子屋の亭主は、「はいよ!」と洋梨の刺さった串を、ジャスミンに手渡した。



「こいつは地下で助けてもらった、せめてもの礼だ。ああ……礼を言うのを忘れちまってたな……あん時は助けてくれて、ありがとう」



 ジャスミンは食べるのも忘れて、洋梨を包む水飴の姿に魅入る。食べ物で遊んではいけないと分かっているが、くすぐる童心がそれを忘れさせてしまう。彼女は串を左右に振り、その不思議さと美しさに見惚れる。


 重力に逆らう水飴の姿。


 それを堪能しつつ、ジャスミンは非現実さに圧倒される。




「おぉおぉ…… う、浮いている。ほんとうに浮いているわ……」




 駄菓子屋の亭主にとって、ジャスミンの反応は100点満点のリアクションだった。彼はまさにこの笑顔と輝く瞳のため、そして子供たちが腹を満たす満足感のために屋台を出しているのだ。


 駄菓子屋の亭主はもう一人の恩人であるジーニアスに、梨菓子をプレゼントする。




「はいよ! 味はまだ一種類しかないから、この前食ったのと同じだ。悪ぃな」




「いいえ、ありがたく頂戴します。


 にしてもこの菓子は本当に素晴らしい。


 菓子や食べ物に美を追求することは、歴史上 多くあります。しかしそれを追求すればするほど、宮廷料理のような贅にものを言わせ、上流階級といった一部の人しか味わえず――また、料理そのものも絢爛さを誇示する厚かましいものと化してしまいがちです。


 しかし、この菓子には……それはない。


 ただひたすらに、手にした客の心と腹を満たしたい――階級も、種族すらも関係ない。そんな底しれぬ、圧倒的な善意を感じるんです。


 事実、私がフェイタウンを想う時、ルーシーの次にこのお菓子のことが思い浮かんでしまう程です。それほどまでに、このお菓子のインパクトは強く、あまりに魅力的なのです。



 見てください。私よりもこの世界の滞在歴の長いジャスミンでさえ、こうも驚くのです。


 きっとフェイタウン市民も、このお菓子を目にすれば童心のように驚き、心から喜んでくれるでしょう」




 その言葉を耳にした瞬間、駄菓子屋の亭主は思考が停止したかのように唖然とし、立ちすくんでいた。


 ジーニアスが「亭主? なにか不適切なことを言ってしまったでしょうか?」と尋ねる。


 その言葉に駄菓子屋の亭主は我に返ると「いいや、違うんだ気にしないでくれ」と笑った。



「ああいや、あんたの言葉が えらい嬉しかったんだ。そんでもってよぉ! 俺のやるべきことが改めて見えてきたってわけだ。あんたの言葉が、それに気付かせてくれたんだ……礼を言うぜ。


 つーかまた礼ができちまったなァ


 俺には菓子を作るしか能がないから、また来てくれた時に一本無料でサービスするぜ!」



 駄菓子屋の亭主はそう言いながら、車止めを外し、屋台を牽引して移動の支度を始める。


 ジーニアスは訪ねた。



「これからどこへ? 教会かシェルターに避難するのですか?」



「いんや。一旦貸し倉庫に戻って菓子の材料を補充する。そんでもって、今、街のために頑張っている人たちへ、コイツを思う存分 振る舞うんだ」



「どうしてそこまで……まだ時間はありますが、敵は約束を厳守するとは限りません。危険では? 敵が約束を反故すれば、たちまち街は戦場になるんですよ」



「だからさ! 戦場? 上等じゃ! 魔獣だかオルディオスだがなんだか知らねぇが、あの地獄と比べれば、まだまだ生温いもんだぜ! 見てみろ、フェイタウンはまだ原型を留めている。奴ら、、の物量攻撃なら、今頃……ここは瓦礫の山だった」



「奴ら? 奴らって――」



「ああいや、すまん。奴らって言うのはここに召喚される前の、前世の話だ。今はもう……関係はない。忘れてくれ。とにかく あんたらは、来たるべき時に備えて体を休めてときぃ」



 駄菓子屋の亭主は妖精たちに合図を送りつつ、屋台を牽引する準備を終えると、再びジーニアスに視線を向ける。



「これから戦いが始まるのに、『馬鹿なことしてるなぁ』って思われてるかもしれない。



 ただよぉ、戦場で甘いもんは食えねぇんだよ。


 おしるこや砂糖、サッカリンでさえも……あん時は、貴重品だった。


 餓え は心を乱し、人々から余裕を奪い、道を踏み外させちまう悪魔だ。



 でも甘いもんを一舐めすれば、不思議となぁ、心が落ち着くんだよ。そんでもって腹を満たせば、心に余裕が生まれて、組織がグッと団結するんだ。するとな、バラバラになっていたみんなの心が 一つになって、自然と道筋が見えてくるんさ。


 だからこそ戦場には、贅沢品である甘味所が重要なんだよ。バカバカしいかもしれねぇが、俺は戦争を経験し、それを見てきたから 断言できるんだ」




 駄菓子屋の亭主はそう言いながら笑顔を見せたが、その瞳は悲しく、それでいて執念にも似た使命感に燃えている、なんとも不思議な視線だった。



 そしてジーニアスの肩に手を置き、去り際に激励する。



「俺は甘味を輸送する兵糧で戦う。だからあんたら二人は、ゼノ・オルディオスとかいうバカ女の尻を、思う存分 ぶっ叩いてくれ。ブチのめしたら、さらにもう一本 無料で菓子をサービスするからよぉ!」


 



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