第71話『 仄暗い洞窟の底から』



「どうなってんだ?! 俺は地上に出て、病院にいたはずなのに! なんで地下に逆戻りしてんだよ! なんの冗談だよこりゃ!!  つーか、どこだここは!?」




 駄菓子屋の亭主は、なぜか 薄暗いジメジメした洞窟を彷徨っていた。


 あまりに突拍子もないこの現実に、ただただ困惑するしかない。


 だが幸いにも、火のついたままの松明が地面に落ちており、そのため照明に困ることはなかった。だが地下洞は迷宮そのもの。何本も枝分かれしており、方向感覚は即座に失われてしまう。進んでいるのか、それとも同じ場所をぐるぐる廻っているだけなのか……。



 定期的に叫んではみたものの、やはり誰からも返答はない。ただ虚しく声が木霊すだけに終わった。



 進めど進めど、出口に向かっているのか、それとも奥に進んでしまっているのか、それさえも不明だった。





 

「まずい……これはまずいぞ」





 思わずそんな独り言を呟いてしまう駄菓子屋の亭主。出口に近づいているのなら、少しでも風の流れを感じ取れるはず。しかし どれだけ進んでも、それを感じることはなかった。



 肌に感じるものといえば、相変わらず湿気と松明の暖かさだけだった。




「いいや、焦るんじゃねぇ! まずは落ち着け、落ち着くんだよ。そうだ、冷静になるんだ。戦争じゃ正気を失った奴から死ぬ! 保て……冷静さを保つんだ!


 いいか思い出せ、思い出すんだよ。


 ここに火の着いた松明が落ちていた。


 だったらよう、それを使った人間がいるってことじゃねぇか! だから出口はあるし、少なくとも人はいる――そいつと合流すれば……」



 駄菓子屋の亭主は自分に言い聞かせるように告げ、再び歩き出す――すると松明がゆらりと揺れたのだ。頬を優しい感触が撫であげる。




「風?! 出口だ!!」




 駄菓子屋の亭主は目を輝かせて風が流れてくる方向に向かって走る。息の詰まるような、暗き閉塞感からの解放を夢見て――――しかしその希望は、眼前で脆くも崩れ去った。松明の火が、突如 なんの前触れもなく フッと消えたのだ。



 目の前が真っ暗になる。彼の視界と共に出口に辿り着く希望もまた、闇の中へ溶け、堕ちて逝く。



 希望だった肌を撫であげた風も、暗闇が覆い隠したかのように消え失せてしまった……



「嘘だろ…どうして――」



 駄菓子屋の亭主はあまりの理不尽さに怒りを抱き、『なんなんだよこんな時に! ふざけんなァ!!』と叫ぼうとした――が、彼はその言葉を寸前で飲み込み、憤る気持ちを無理やり抑え込む。それには理由があった。それは、





「人の……声? 人の声が聞こえた!」


 



 そう。彼の耳に人の声が届いたのだ。


 消えた松明を強く握りしめつつ、地面や壁面に手を置き、その感触と、聴力を頼りに進む。


 そして 洞窟の壁面に亀裂があり、そこから一筋の光が射し込み、話し声が漏れていた。




「おい! そこに誰か居るのか! 居るのなら助けてくれ! ここから出られねぇんだよ!!」




 長く暗闇に居すぎたからだろうか、光が強すぎて亀裂の先にある光景を見ることはできなかった。


 駄菓子屋の亭主は 眩い光に目を押さえ、『痛ぅ~』と俯く。


 そんな彼の耳に、聞き慣れた声が届く。懐かしさすら感じる声なのだが、それが誰で、どこで出会った人物なのか、まったく分からなかった。


 その男は壁の亀裂の先で、独り言(?)を呟いていた。



「嗚呼……今にして思えば、去年の十二月に第二四師団を失ったのが痛かったな。あの頃から、こうなる運命だと決まっていたのか……」



 駄菓子屋の亭主は、壁の亀裂 越しから、その奥にいる男に呼びかける。



「あんた聞こえてるんだろ! ここから出られんのだ! 頼む、助けてくれ!」



 駄菓子屋の亭主は何度も話しかけるが、意図的に無視しているのか、それとも本当に聞こえていないのか、まったく反応がなかった。



「どうなってんだ? もしかして耳が聞こえないのか? いや、それにしては話し方に不自然さはなかった。なんなんだ? どうして呼びかけに答えてくれないんだ?」



 駄菓子屋の亭主は、洞窟から出られない焦りよりも、奇妙にも好奇心が勝ってしまう。彼は壁の亀裂に近寄り、男の独り言に聞き耳を立ててしまう。



 壁の向こうにいる男の声はかすれ、かなり疲れ果てた様子だった。




「二ヶ月前、海軍の虎の子が上陸していれば……五月三日の無謀な総攻撃をしなければ……首里城を失うことなく、司令部も健在で、状況は違っていただろうて……――」




 海軍の虎の子


 五月三日の総攻撃


 そして首里城――


 駄菓子屋の亭主には、それらの単語に聞き覚えがあった。




 忘れたくても忘れようのない、前世で過ごした人生最後の地。そこで起きた凄惨な出来事――。




 そして壁の向こうの男は、話を続ける。苦渋の決断をしなければならない、葛藤かっとうと無力さを噛み締めながら……



「このまま、女の子たちが捕虜として敵の手に渡れば……恐ろしい結末が待ち構えている。南方で彼ら、、のしてきた蛮行が、そのなによりの証だ。この地で再び、あの鬼畜の所業が行われるのだ。奴ら、、にそんなことをさせるくらいなら――」 



 駄菓子屋の亭主は戦慄する――この声の主は、一番身近であり、人生でもっとも聞く機会のある人物の声だった。



「この声は……――まさか俺?! 俺の声かじゃねぇか!!」



 困惑するのも無理はない。


 普段、自分の声をこうして客観的に聞く機会は稀だ。しかも本人がここにいるにも関わらず、壁の向こうに、得体の知れないもう一人の自分、、、、、、、がいるのだ。そんなこと、時間でも移動しない限りは、不可能なのである。


 これがもし、経験した “ 史実 ” の通りであるとすれば、これからなにが起こるのかを、彼はすでに知っている。だからこそ、駄菓子屋の亭主は、目の前の現実を全力で否定した。




 あの惨劇をもう一度 味わうなど、死よりも辛く、惨たらしいものだからだ……




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