第65話『 本物の 魔王 が抱く苦悩 』【Part4】




 フェイシアは覚悟を決め、立ち上がる。フェイタウンが戦火に呑まれた混乱を考慮すれば、その決断は、むしろ遅すぎるくらいだった。




「本来、二人目のルーシー・フェイが、魔王としての役割を担うはずだった。だが、始祖を脅かしている呪いの影響だろう。彼女は未熟な状態で、この世界に顕現してしまった。


 本来この世界に 二人のルーシーがいることは、有史 始まって以来 前代未聞。


 異例中の異例よ。


 彼女に覚醒を促すどころか、現状において、魔王の引き継ぎすらもできないでしょう」





「歯痒いですね……。では万が一の場合は、」





「ええ。手筈通り事を進めるしかないでしょう。皆を……オベリスクへ避難させます。リスクもデメリットも多分に含んでいますが、旧世界での悲劇を考慮すれば、最善の策です。


 仮に……仮にもしも、あの時のように世界が終わってしまっても、オベリスクと賢者の秘宝さえあれば、ゼロが完全な無に帰すことはない。ゼロゼロのままで維持できる。異界門が破壊されたとしても、再び建造することができる。1はじめからやり直すことができるのだから……。



 サーティン


 ヴェルフィ・コイル


 レヴィー・アータン


 マーモン


 アスモデ・ウッサー


 ベールゼン・ブッファ

 

 そして、次なる創世の魔王となる存在、ルーシー・フェイ。


 我ら魔王が創生せし この世界で積み上げてきた歴史。それらは決して、何者にも脅かされてはならず、ましてや淘汰などさせはしない。それらは記録され、必ずや後の世に伝えられる。改変されることなく、純粋な形で……。


 これから対峙する者が、どれだけ強大で、手に負えない相手であったとしても、オルガン島の禁忌にだけは、断じて触れさせてはならないのです。


 世界の均衡――その根底が崩れるだけでは終わらない。


 仮に、賢者の秘宝がセイマン帝国の手に渡り、長き年月の末、もしもそれを制御できるようになってしまったら……。


 旧世界での悪夢が、再び 目を覚ます。


 己の欲のまま、都合の良い世界を創生するようになるのよ。その結末は、旧世界の悲劇よりも、さらにむごたらしいものとなるでしょう」




 フェイシアは深刻かつ厳しい瞳でそう告げると、ロッキングチェアから立ち上がり、ある方向を見つめる。


 ベールゼンもほぼ同時に、その方向へ視線を向けた。




 二人の視線の先には、この無限書庫に足を踏み入れた、何者かの気配があった。




 ベールゼンはフェイシアを守るように布陣し、彼女に下がるよう具申する。



「姫……」


「ベールゼン、気づいた?」


「はい。無限書庫に何者かが侵入したようです」


「この無限書庫は、同じ魔王種の血が流れている眷属、つまり我々しか踏み入ることはできない。加えて、この気配はサーティンやマーモン、アスモデでもない。……――だとすると、」




 その言葉を聞いたベールゼンは、緊張感が最高潮に達する。同じ魔王しか入れない領域に、易々と入れる者が現れたのだ。否応にも、地下訓練場での悪夢が蘇る。



 そしてその人物は、白き本棚の影から現れる。一冊の本を胸に抱えて、




「お久しぶりです、フェイシア様。いいえ、この場では陛下とお呼びしたほうが よろしかったでしょうか?」




 ゼノ・オルディオスかと思いきや、ヴェルフィの恋人――いや、正確には彼の妻になるであろう人物。薬剤師のレミーだった。



 先程までのシリアスな空気が一変し、フェイシアとベールゼンは目を丸くして驚く。そして失念していたことに気づいた。レミーには、この無限書庫に踏み入る“鍵”を、手にしていたのだ。



 魔王の血を受け継いだ、新たな命。


 その鍵は、レミーのお腹の中に、たしかに存在していた。



 フェイシアは魔法を詠唱し、彼女のために ふかふか のソファーを顕現させながら尋ねる。



「レミー?! 具合は? そもそも、どうしてここに!」



「どうしても陛下にお伝えしたい事がありまして、馳せ参じました」



身重みおもの体なのよ。言ってくれればこちらから出向いたものを」



「どの道、この無限書庫で探すべきものがありましたので……」




 レミーはそう告げながら「これを」と、一冊の白い本を差し出した。


 フェイシアがその本を手に取ると、本は元々の色合いを取り戻し、蒼い背表紙と題名が浮かび上がる。



 その本は、ある世界での出来事を記録したものだった。




「これは……たしか、異世界に召喚された少女と、白き聖獣の物語ね。これがどうかしたの?」



「私、ゼノ・オルディオスに操られている時、その……なんと言いますか、見えてしまったんです。彼女の……過去を。私はあの時に見たものと、この無限書庫に記録されている異世界の事象から、酷似したものを探し出しました。


 幸いにも――。いいえ、不幸にも私の見てしまったものは、本当にあった史実のようです」



 ゼノ・オルディオスに操られたレミー。偽の魔王に利用され、その手で、夫であるヴェルフィに重症を負わせてしまった。


 だが彼女の瞳には、ゼノ・オルディオス対する怒りも、憎しみもない。そこにあるのは憤怒とはかけ離れた、深い悲しみ。そして哀れみと同情だった。




 フェイシアは彼女の想いを全身で受け止め、レミーを優しく抱きしめた。




「え、ちょ!? 陛下?!」



「レミー、陛下はやめて。いつも通りで構わないから……」




 本来なら、ヴェルフィに赤ん坊の事を告白し、今日は人生最高の日になるはずだった。




 しかしそれを台無しになれても尚、レミーはゼノ・オルディオスに恨みつらみを口にするどころか、哀れみ、加害者である彼女に同情しているのだ。



 その慈悲深さは薬剤師という職業柄からくるものか。


 それとも元来の人柄からくるものなのか。



 どちらかは永遠の謎だ。そればかりはレミーのみぞ知る真実である。





 フェイシアは労いと深い敬意を込め、レミーを温かく包容する。


 レミーとヴェルフィ。そして新しい家族になるであろう赤ん坊の幸せを願いながら……




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