第66話『主よ――私は あと何回 死ねば よろしいのですか?』




 ジャスミンは病院のベッドで重い溜息をつく。




 回復魔法の恩恵を受け、体そのものは全快している。しかし心に負っていた傷を癒せるほど、魔導医学は発展していない。




 ゼノ・オルディオス戦において、ジャスミンは前世の最後を垣間見てしまった。



 フェイシアの話では、攻撃に使用していた魔法を介し、脳――より正確には、精神そのものに攻撃を受けたのだと、丁寧に説明してくれた。



 あれは過去の記憶から再現された、緻密な幻視――つまり現実のような幻である、と。




 しかしジャスミンにとって、それは幻ではない。戦いの最中に見たそれは、緻密であるがゆえに、幻とは思えないものだった。まるで処刑される寸前へ舞い戻ってしまったかのような、本物の幻、、、、だった。




――火刑


 生きたたまま、火炙りにされる処刑だ。




 柱に縛り付けられ、自分の体が足先から焦げる臭い。



 ローストポークのような香ばしい、自らの体が燃えていく悪臭。




 そして皮膚が焼かれ、爛れる痛み――それが徐々に、上へ上へと上がっていく。這いずる炎が体の表面から、少しづつ、少しづつ体の芯へと熱を、そして痛みを浸透させていく……。




 文字通りの地獄。


 それは死を懇願するほどの苦痛を伴う、圧倒的な絶望。




 実質、ジャスミンは地下訓練場において、二度目の死を経験したのだ。

 



 気丈な彼女であるが、信仰心が揺らいでしまうほどの拷問を追体験させられ、それでも尚、いつも通りに振る舞えるほど強靭ではない。





 ジャスミンの前世は、聖女である。主の声や、聖人、そして天使の声が聞こえていた。





 敵からすれば、これほど忌むべき存在はいなかった。彼女の存在を認めてしまえば、同じ宗教を信仰していても、対立する自分たちが邪教となり、主に背いた悪となってしまう。



 いくら敵兵にも祈りを捧げる、心優しい聖女であったとしても、認めることはできない。彼女を聖女と、断じて認めるわけにはいかなかった。



 だが現実は敵側の思惑に反し、聖女は類稀な活躍を見せてしまう。


 膠着していた戦況を幾度も覆し、そして、自ら突貫していく勇猛果敢な聖女――。




 “ 現実は小説より奇なり ”




 彼女に敵対する者にとって、それは畏怖すらも越えた対象と化す。もはや完全に、見過ごすことのできない驚異となっていた。あらゆる手段をもって、聖女という衣服を剥ぎ取り、悪という汚名を着せる必要があった。




 そうしなければ、敵対する者は、主の導きに反する “ 悪 ” となってしまう。




 敵国にとって、彼女が主に選ばれし 本物の聖女であるか否か――つまり真実など、どうでもよかった。





 人は、本質になど目を向けはしない。





 口や表層心理でそうは言っていても、心の裏では、自分にとって都合が良いか悪いかだけで物事を判別する。時として、都合の良い虚構でさえ信じ込み、それをあたかも真実として用いてしまう。



 悲しいかな、多くの人々がそうなのだ。



 自分にとって有益か否か。


 自分にとって得か、それとも損失となるか。



 自身の尊厳を守り、大衆の心を掴み、皆から称賛され、自らの存在意義や地位、財を確固たるものに できるか 否か――それだけである。




 ジャスミンは激動の時代で、人の暗部を見てきた。


 そして前世の彼女は、それに呑まれ、炎の中へと消えてしまった。



――そんな かつての自分に、黙祷し、 哀悼の意を捧げる。




 まるで他人事のようだが、異世界転生し、新しい体と顔を手に入れると、不思議な客観性を手に入れてしまうものだ。こればかりは、異世界において新しい人生を与えられた者にしか分からない、独自の感覚だろう。



 前世こそ、紛れもない現実のはず。だが かつての現実が、まるで小説でも読んでいたような感覚に陥る時がある。こちらの世界のほうが、遥かに現実離れした世界なのに……。




 前世のジャスミンは、文盲だった。しかしこの世界で読み書きを学び、文学というものに触れ、その感覚がより一層 強くなっていた。




 かつての現実こそが幻であり、ドラゴンやグリフォン、そしてエルフやドワーフの住むこの世界こそが、本当の現実――

 



 その感覚が強くなればなるほど、『自分はいったい何者なのか?』 『もはや私は本当の自分ではないのではないか?』 『私は……――誰なんだ』 本当の名とかつての故郷、そして かつての家族を想いながら、そんな思いが募るようになっていた。 





「…………。  はぁ……」




 ジャスミンはその悩みから目を背けるため、過去から今へ視点を変える――が、出てくるのは、やはり溜息ばかり。彼女の脳裏に過ぎってしまったのは、地下訓練場での事だ。



 ゼノ・オルディオス戦において、芳しい結果を残せなかった自分。その無力さを嘆く。




「ほんと情けない。なにがフェイタウンを守るための最後の要だ。結局、なんの……なんの役にも立たなかった。


 私が費やした訓練の日々はなんだったんだ?


 文字が読めるようになった。


 魔導書や様々な文学に触れ、知識や、見識を広げることもできた。


 でもあんなんじゃ……意味なんてない。 


 今までの努力も、それが実った達成感でさえも、これじゃただの自己満足ではないか! 元来の信仰を伏せて、魔女と罵られる覚悟を決めて挑んだのに……バカみたい……」




 ジャスミンはひとりぼっちの病室で、自分自身に悪態をついてしまう。己という未熟で、結果を出せない自分。その存在が許せず、腹が立ってしかなかったのだ。




「今にして思えば、ジーニアスに決闘を申し込んだのも、彼に対する疑念というよりも、ただの……嫉妬だったんだろうな。


 パッと出の彼に、市長やマーモン、アスモデさえも注目し、彼を戦力に加えようとしていた。


 彼が現れる前は、みんな……私のことを気にかけてくれていたのに……」




 ジャスミンは枕に顔をうずめ、恥ずかしさと情けなさに呻く。




 さらに彼女の心を逆撫でするのは、焦げた自分の体の臭い――そして男たちの下劣な笑い声と、『魔女め!』『狂信者が!』『いい気味だ、不浄なる者よ!』と罵る声だ。




 しかしそれもまた幻。


 魂にこびりついてしまったトラウマが、過去の幻影を見せている。




 ジャスミンは自分という存在が揺らぎ、自らを見失っていた。まるで暗い夜道で霧に出くわしてしまったように……。




「魔女……か。主の啓示は過去の残響に消え、今、こうして聞こえているのは敵兵の罵倒のみ。


 嗚呼……主よ。そんなにも私が憎いのですか?


 私は主の導きのまま、オルレアンを奪還し、戴冠式を成功させました。


 なにが間違いだったのですか?


 これもまた、主の与えた試練だというのですか?


 私は……あれにもう耐えられません。いくらあれが、主が科した試練であっても――――


 私はあと何回……火刑に処されなければならないのですか?


 私はあと何回……死に等しい苦痛と屈辱に焼かれなければ ならないのですか?


 どうか今一度声を どうか私を正しい道へお導きください


 助けて……もう耐えられません


 なにを  私はなにを  信じればいいのですか  」





 ジャスミンは毛布を頭から被り、か細い声で囁き、主に助言を求めた――いや、正確には心の救済を渇望したのだ。もはや彼女の心は枯れ、荒れ果てていたのだ。



 照明となる魔鉱石の明かりが消え、病室が真っ暗になる。まるでジャスミンの心を表すかのように……



 真っ暗な病室は、少女のすすり泣く悲痛な声で満たされていく。








 そんな彼女に一筋の光が射す。



 病室のドアが開き、何者かが現れたのだ。



 ジャスミンは涙を拭い、泣きていたことを悟られないよう急いで顔を整えながら叫ぶ。




「ぐす……?! だ! 誰だ!!」




 その人物は困惑しながらも、申し訳無さそうな声で返答する。



「ああ、えっと……すみません。薬局はここですか? 塗り薬を貰いにきたのですが」




 その声は、フェイタウン防衛の要として急遽戦線に加わる事となった、件の人――ジーニアス・クレイドルだった。



 最悪のタイミングで、今もっとも会いたくない人物が現れてしまう。


 ジャスミンの困惑が即座に怒りに変わるのは、そう時間を有しなかった。




「薬局はこの建物の真反対だ馬鹿者! そもそもなんで病室と薬局を間違えるんだ!この部屋の前に『薬局』の看板があったか?ないだろ! それ以前になぜノックをしない!私が着替えをしてたらどう責任を取るつもりだった! ノックしてから入室がマナーだろ、この大馬鹿者が!! ぐしゅん……」



 怒涛の早口罵詈雑言ラッシュに、ジーニアスはたじたじになりながらも、声の主を言い当ててしまう。



「そ、それは失礼しました。……ん? もしかしてジャスミン……ですか?」




 ジャスミンは半ばヤケクソ気味に「ええそうよ!」と開き直る。一分一秒でもいいから、一人になりたかった。もしも泣いているところを見られでもしたら、彼女にとってそれは憤死ものだからだ。





「もしかしてもなにもあるかバカ! そうだよ私だよジャスミンだよ!!! 文句あるのかここは私の病室だぞ!!!」



「ジャスミン……もしかして、泣いているのですか?」



「な、ななな! 泣いてなどいない!! 傷が少々痛んだだけだ!!」



「傷が痛む? それはいけない! すぐに看護師の方を呼んできます!! 動かないでください!」



「ああああ!! 待って行かないで! 治ったから! 治ったから大丈夫だからこれ以上 面倒おこさないで!!」



 ジーニアスにとって、ジャスミンの反応は意味不明なものだった。


 泣くほど痛い傷が秒で治るはずがない。ビジターの頃だったら論理的処理によって、嘘の目的や意図、発言の真意が容易に知り得ることができた。




 しかし今、ジーニアスはただの人である。




 もはや未来を見ることも、他の次元の世界を行き来することもできない。




 つまりテクノロジーに頼ることなく、手探りで、彼女の心に触れなければならなかった。



 ジーニアスはネクタイを締め直し、慎重に言葉を選びながら、ジャスミンに声をかける。




「もし私でよろしければ、相談にのりますよ。力になれるかどうかは、分かりません。しかしなんらかの解決策が見つか――」




 しかしジャスミンの返答は、明確な拒絶だった。


  

 

「うるさい! 早く出てって!! 看護師はいらない!」 




 ジーニアスは回れ右をして、病室を去ろうとする。『これ以上、彼女に不快な思いをさせてはならない』という心配り――気遣いからだった。


 しかし彼の直感は違った。『それでは駄目だ』『なんの解決にもなっていない』と、立ち去ろうとしていたその足を、その想いが引き止める。



 病室を出ていこうとしていたジーニアスの足が止まり、彼の視線は暗闇に佇むジャスミンへと向けられた。




「大変恐縮ながら、その要望は受け入れることはできません。なぜ泣いていたのか、その涙の理由を語って頂くまでは……」




 

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