第61話『愛と外交の狭間で、聖剣は佇む』
フェイシアの言葉に対し、ジーニアスは「非論理的だ」と告げようとした。しかしそれを、来訪者が阻害する。
突如、ノックもなく部屋の扉が開いたのだ。
「失礼します! フェイシア様! お話があります!!」
それは、セイマン帝国が異世界から召喚した勇者――氷室 伸之 だった。彼はベッドの上のジーニアスに目もくれず、フェイシアの元へ歩み寄る。
「フェイシア様、聞いてほしい! 魔王ゼノ・オルディオスを斃すには、どうしても、あの聖剣が必要なんだ!!」
「あの聖剣……――」
その言葉にファイシアは、憂鬱な瞳の色へと変わり、氷室から視線を外した。その様子から察するに、この件で何度も言い寄られたのだろう。
フェイシアは溜息混じりに、その要望には応えられないと告げた。
「前にも申し上げましたが、あの蒼き聖剣は、選ばれし者にしか抜けないのです。私 個人がどうこうできるようなものではありません」
「いいや、あの剣は強大な魔力で固定されている。しかもその魔力は、魔素を使わない、なんらかの未知の力で……
この世界の常識すらも覆す、勇者の俺ですら解呪も――いや、解呪どころか全容すらも把握できない、魔法を越えた力。
あれを施したのは、俺以上に魔力に秀でた者。つまり君しか、考えられないんだ」
「いくら高位神官という役職に就いているとはいえ、私の能力を、そうも過大評価してもらっては――」
「じゃあなぜ あの剣は抜けないんだ! 君を守りたいのに!! あの蒼き聖剣は、まるで大地と一体化しているように固定されている! だがどうしても俺には、勇者の魔力に耐える、あの聖剣が必要なんだ!! 今使わずに! いつ あの剣を使うって言うんだ!!!」
氷室の必死な訴え。
感情的な勇者に対し、フェイシアは驚くほど冷静に、彼の意見を退ける。
勇者氷室は、あくまでセイマン帝国の勇者。宗教的にも外交的にも敵国の人間である。もしも窮地に陥れば、船でオルガン島を離れればいいだけの事。逃げ道があり、帰れる場所も帝国本土にあるのだ。
本来なら、逃げ場のない窮地に追い込まれているフェイシアが、感情的になるべき場面だ。もちろん氷室のように感情的にならないのは、外交における立場もあり、そして衝突を未然に防ぐという意味もある。
ゼノ・オルディオスとセイマン帝国を同時に相手をするのは、あまりにも得策ではない。感情を押し殺すことで、その可能性を潰せるのなら安いものだ。
フェイシアは落ち着いた言葉遣いで、再度要望を棄却する。
「勇者ヒムロ、その言葉を言いたいのは我々フェイタウンに住む者も同じなのです。使いたいのに、使えない……この例えようのない歯痒さ、苛立ち。もしも……仮にもしも、私の力で台座からあの聖剣を引き抜けるのなら、すでに私は行動を起こしています。そうは思いませんでしたか?」
氷室の目論見は外れていた。
台座から聖剣が抜けないよう管理しているのは、この島における宗教の総本山、その最高位の一人であるフェイシア。彼女が関係していると考えていたからだ。
フェイシアを説得し、陥落させればなんとかなる――しかしその狙いは大きく外れ、あの聖剣は、この島の住人たちすら遠く及ばない、未知の力によって封印されている。
異界門の前にある蒼き名もなき聖剣は、氷室の手に渡ることはなかった。
最後にフェイシアは、この島に伝わる神話になぞらえつつ、勇者 氷室に こう告げた。
「あの聖剣は、“その主として足りうる者にのみ、台座から引き抜くことができる”のです。“新たなる剣の真名と共に……”」
「じゃあ俺は、その域に届いていないって言うのかよ! こんなにも……あんたのことを想っているのに!! 聖剣がなければ、君を守れないじゃないか! 悪の権化であるゼノ・オルディオスが、今も力を蓄え、爪を研いでいるというのに!!」
「勇者に相応しい、気高く、心優しい方。その寵愛をもっと広く、大海原のように広げることができれば、剣もその想いに応えてくれるでしょう。」
その言葉に、氷室は誰に言うでもなく、心の声をボソリと漏らしてしまう。
「クッ……そんな悠長なことを言っている場合じゃないだろ」
もはや議論は平行線であり、彼女を説得しても聖剣は手に入らない。それに気付いた氷室は、悔しげな顔で俯き、この現実に耐え兼ねたかのように室内を後にしようとする。
だが部屋を出る前に、フェイシアへと振り返り、一つの質問を投げかけた。
「もしも……あの聖剣の担い手に選ばれたのなら、俺のパーティーに入ってくれるか?」
「パーティー?」
「この国を出て、一緒におもしろ楽しく旅してさぁ! もっともっと広い世界を見せてあげるよ! この島じゃ食べれないものをいっぱい食べさせてあげるから!!
世界っていうのは、このフェイタウンだけじゃないんだ。今まで見たことのない、それこそ感動で声を失ってしまうほどの景色だってある……。
フェイシア、君はどうだい? 君はこのフェイタウンの景色だけで、本当に満足しているのかい?」
「勇者ヒムロ、つまり
「い、いや! そこまで悪く言うつもりはない。でも外の世界を見ずに、この国の良さなんて分からないだろ?」
「言いたいことは理解できます。ですが私は、そこまで世間知らずではありませんよ。
その言葉は優しいものだった。だが、明らかに別の感情が裏に敷かれていた。憤りから伴う、冷たく、静かな怒りである。
「この国は、貴方の元いた世界で言うところの創作物―― “ ファンタジー ” と言うものなのでしょう。しかし断じて後進国ではなく、不自由で、困窮しているわけではありません。
そもそも貴方はセイマン帝国に属する御方でしょう?
そうなると、どうしても我々よりも、召喚者であるセイマン帝国を優先して考えられるのが道理。
今、我々フェイタウンが――……いいえ、
「そんな……じゃあ君は?! 君はどうなるっていうんだ!」
フェイシアはまっすぐな瞳で、勇者 氷室の目を見据える。そして静かに、それでいて力強く答えた。
「勇者である
純粋な言葉。
揺るぎない決意で そう断言され、氷室はこの場に引き留まるだけの理由を失ってしまう。彼女は個ではなく公を優先し、権利ではなく自分が行うべき義務を優先させる女性なのだ。
氷室は聖剣も、女性の心も射止めることができなかった。そして悔しげに唇を噛み締めつつ、頭を下げ、ジーニアスに非礼を詫びることなく部屋から去って行ってしまった。
そのすぐ後に、鬼兎の騎士団がフェイシアの無事を確認する。どうやら彼女たちの制止を退け、氷室はフェイシアの元へ来てしまったようだ。
敵国とはいえ、勇者氷室は来賓者として滞在している。そういった客人を強行的に退ける権限を、一般の騎士は持ち合わせていない。下手に手を出せば、帝国との外交問題へと発展しかねないのだ。
鬼兎騎士団は冷や汗を流しつつ、「力及ばず申し訳ありません! フェイシア様!」と、謝罪する。
彼女たちに罪はない。定められた権限の中で、勇者 氷室をなんとか止めようとしたのだ。
そんな彼女たちを想い、フェイシアは その苦労を労う。
「大丈夫です。本当に ご苦労様でした。彼を船までの見送って差し上げて」
鬼兎騎士団たちは フェイシアに深々と頭を下げ、勇者氷室の後を追った。
再び二人きりになるフェイシアとジーニアス。
最初に口を開いたのは、フェイシアだった。
「ごめんなさい。まさかここに客人が来るなんて思ってなくて」
「あなたが謝る必要なんてありません。にしても驚きました。好意を持たれるのは人として、至高の喜びと言いますが……彼のあれは、いささか――」
「情熱的?」
「あぁ……まぁそうですね。私は
「彼はまだ少年であり、あまりに幼い。私に好意を持っているというよりも、なにか別の意図を感じます。彼の戦闘や言動から推察するに、自らを童話の主人公であるかのように考え、振る舞う節があるのです。セイマン帝国に属しているという点も問題ですが、それ以上に あの危うさは……見過すことはできません。その懸念がある以上、味方にするにはとても危険なのです」
「私も人のことは言えませんが、つまり彼の心そのものに、問題があるということですね」
「人のことは言えない? ジーニアスさん、私の目から見て、あなたの精神面はとても信頼に値しますよ。ナノマシンがなくてもこうして問題なく話せますし、勇者ヒムロと違って、己を顧みる能力もちゃんと備えている。だから彼と違って、
「いえ、流れ者である私に、そのような期待は――」
「あ! そういうのダメ! そういう過度な謙遜は、身を滅ぼす毒なのよ!」
「ッ?! し、失礼しました」
「市長から聞いたかもしれないけど、我々フェイタウン市民もローズさん捜索に関して、全面的に協力するわ。このゼノ・オルディオスの一件が終息しだい、彼女を探しましょう。科学の面で見つからないのであれば、魔法という別の側面から捜索します」
そしてフェイシアは椅子から立ち上がり、去り際に礼を述べる。
「それと、ルーシーを守ってくれて本当にありがとう。どうかしら? 今度三人で一緒にお茶会でもいかがかしら? とても良い茶葉が手に入ったの。あの香りは、きっとジーニアスさんにも気に入ってもらえると思うの」
「お茶会という親善交流……非常に興味深い文化だ。ぜひ勉強させて頂きます」
「フフッ、勉強じゃなくて、お茶会は楽しむものよ。肩の力を抜いてね」
フェイシアの去り際に見せた笑顔。それは高位神官としてではなく、なにも繕っていない、ただ純粋な一人の女性としてのものだった。
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