第49話『悪食なワニに、とっておきのダイナマイトを』
◆
――配管作業員用 簡易宿泊所
「駄菓子屋! 手を貸せ! こいつを倒すぞ!」
コボルトの志村と駄菓子屋の亭主は、息を合わせてテーブルを倒し、即席のバリケードを構築する。
「わかった! せーのッ!!」
そんな彼等の労力を無駄だと言わんばかりに、白き巨鰐が噛み砕き、テーブルを瞬時に木屑へ変えてしまう。テーブルを噛み砕きながら顔を左右に動かし、備品棚や証明具をなぎ倒しながら、部屋の奥へと這い進もうとする。
だが、その巨体では無理な話だった。
そもそも この場所は、人の出入りを前提としている――つまり設計上、こんな巨鰐が通れるはずがないのだ。
それでも白き巨鰐は、何度も突進を繰り返し、部屋の奥にいるコボルトたち噛みつこうとする。が、今のところ 部屋に顔を突っ込むので精一杯。巨大な口がトラバサミのようにガチン!ガチン!と何度も開閉を繰り返すが、すべて空振りで終わった。
駄菓子屋の亭主は、ワニに喰い殺されないよう留意しつつ、奥へ逃げ込む。そして同じく逃げ遂せた志村に、安心しきった口調でこう告げた。
「志村さん。ワニの野郎デカイ図体のせいで、ここまでは来れないみたいだ。閉じ込められちまったが、安全地帯があるだけ
「いいや駄菓子屋、そう悠長なこと言ってはいられんぞ」
「え?」
「見てみろ」
コボルトの志村は、視線でそれを見るよう促す。志村の視線の先には、水圧扉を失った入り口があった。
白い鰐が突進を繰り返す度に、亀裂が入り、それは次第に大きくなっていく。巨鰐の牙がコボルト達を捉えるのは、もはや時間の問題である。
安堵は束の間の休息にすぎなかったのだ。
駄菓子屋の亭主は、ここが逃げ場のない終焉の地であり、まさしく処刑場であることを再認識する。生きたまま噛み砕かれる恐怖に身を震わせ、絶望を滲ませた汗を、額から頬にかけて つぅと流した。
「 万事休すか……」
その時、白き鰐が一際大きな突進をする。壁の一部が吹き飛び、その破片が水疱に突き刺さった。それによって水疱の膜が破れ、中から羊水のようなものが噴き出す――続けて胎児のように丸まっていた少女が、床へバシャ!と流れ出てしまう。
羊水の流れと共に、意識のない少女が床を滑り、鰐の目前で静止する……
暴食の権化である巨大な爬虫類の眼が、ギョロリと動き、その少女を捉えてしまう。
「駄目だ! やめろぉおおぉお!!!」
駄菓子屋の亭主が、鰐から少女を守るために駆け出す。
そこには恐怖はなかった。
それよりも反射的に『守らなければ!』という意思が、死への恐怖を凌駕していたのだ。転生前に培った杵柄、軍人として消えることのない
彼は少女に向かって走りつつ、途中落ちていた補強器を手にする。それは魔力で収縮する棒で、主に
角材で穴を塞ぎ、水圧に押し戻されないよう この補強器を伸ばし、穴を塞いでいる角材を押す――それが正規の使用方法である。
駄菓子屋の亭主は、少女を食そうと開かれた口に、あろうことか自ら飛び込む。
コボルトの志村は、駄菓子屋のとった行動を理解できず、ただ叫ぶしかない。
「正気か?!!」
だがすぐに、彼のとった行動の答えが顕になる。駄菓子屋は補強器を伸ばし、鰐の口が閉じないよう つっかえ棒を設けたのだ。
閉じなくなった口なら、その驚異度は下がる。
白き巨鰐は自分の身になにが起こったのか分からず、駄菓子屋を口に入れたまま、顔をブルブル振って暴れまわる。それでも補強器の強度は抜群で、人の骨すら簡単に砕く顎でさえ、器具は微動だにしなかった。
コボルトの志村が、この絶好の機会を見逃さなかった。二連装式散弾銃 ベアハンターを構え、駄菓子屋の撤退を援護する。
その腕前は熟練のマタギでさえ息を呑む、文字通り神業だった。
散弾にも関わらず、仲間に一発も当たらない――それどころか、掠りすらしなかった。敵の急所だけを見事に撃ち抜き、体力を削ぎ落としていく。
駄菓子屋は隙を見計らい、鰐の口から飛び降りる。彼の無事を確認した志村は、フェイタウンでは製造どころか所持ですら違法である、ダイナマイトを投擲した。
「腹減ってんだろ! ほらよぉッ!」
そしてコボルトの志村は、息を止め、慎重に狙いを研ぎ澄ます。狙うのはもちろん、鰐の口に放り込んだダイナマイトだ。
その間に駄菓子屋の亭主は亜人の少女を抱えて移動する。爆風に備え、分厚い水圧扉の影へと逃げ込んだ。
関節視野でそれを確認した志村は、引き金の上に指を乗せる。そして優しい言葉 使いで、白き巨鰐に別れを告げた。
「さぁ旅立て。飢えのない世界へ――」
銃声が轟く――ダイナマイトは化学的な反応によって炸裂し、焔の華を部屋いっぱいに咲かせた。
もともと地下の壁を破壊するために用意したものだが、鰐を屠るには十二分過ぎる火力だった。白き巨鰐の上顎は木っ端微塵に砕け飛び、辺りは紫の血で溢れかえる。
コボルトの志村は、今度こそ獲物を仕留めたと確信し、安堵のため息を漏らした。
「ふぅ……。おい駄菓子屋ぁ! ちゃんと生きてるかぁ!」
そう問われた駄菓子屋の亭主は、少女や自分に降り注いだ砂埃を払いつつ、問題ないと答える。
「ああ! ちゃんと五体満足で生きてる!」
「なら良い。娘さんのほうは?」
「専門家じゃないから分からんが、息はしてる。心の臓も……うむ、鼓動を刻んでいる。ただ意識がないのが気がかりだ」
志村は膝を付き、水疱の肉腫を拾い上げ、それをまじまじと見つめて呟く。
「にしても解せんな。なんでこんな所にグロテスクなものが? しかも半透明な肉壺の中になんて……」
「どちらかと言うと、これは水疱のように見える。もしくは子宮――」
「服を着た女の子が、子宮の中で浮かぶものか」
「たしかに、まぁそうなんだが……。にしても志村さん、その散弾銃や手榴弾。この世界のものじゃねぇ、いったいどこで?」
「いや、さっきのは手榴弾じゃなくてダイナマイトさ。それにこの熊用の散弾銃は、こっちの世界で作られたものさ」
「ありえない。フェイタウンでは、帰還人――いや、俺たちのいた世界の武器や兵器は、所持も製造も禁止されている。バレたら鬼兎騎士団が黙っていない。まさか志村さん! あんた!!」
「よせよ駄菓子屋。お前が頭で描いているような事じゃねぇ。それは、ちょいと勘ぐりすぎだ。
だが安心しな。
俺は誰の手先でもねぇし、この散弾銃だって、この街を守るためにある。そもそも俺が今まで使ってきた銃や地雷は、フェイタウンで作られたもんだ」
「なに?! この街で!?」
「今日みたいな有事の際、こういった武器が必要になる。俺はその日のために、ある方から特例として、武器の所持が許されているんだよ。
アスモデの嬢ちゃんには、コイツのせいで、たいそう嫌われてはいるがね。
まぁ、治安を守らにゃいけねぇ彼女にとっちゃ、気持ちはわからんでもない。
なにせ向こうの世界の武器を、素性も分からん70歳の猟師に――いいや違うか。魂は70、体は若造の帰還人に委ねるなんざぁ、反対もしたくなろうて」
「志村さん、あんた昭和78年の世界からこっちに来たんだよな?
俺は昭和20年の世界から、16歳でフェイタウンに召喚された。
ある意味、俺はあんたより年上だ。
だから志村さん、答えてくれ。その銃も心も、本当にフェイタウンを守るためにあるんだよな?」
「駄菓子屋、俺に あんたみたいな祖国への忠誠も愛国心もねぇ。だがよぉ、自分の言葉に二言はない。同じ同郷――元日本人として、お前さんに嘘はつけねぇさ。もしも俺がフェイタウンを裏切るような真似したら、俺がくれたその拳銃で、あんたが俺を撃てばいい」
志村はそう言いながら、駄菓子屋に渡した南部式拳銃を指差す。
駄菓子屋の亭主は俯き、それは無理だと答える。
「無茶を言う……どの道、俺にはもう銃は握れない」
「大丈夫、きっとできるさ。さっきだって少女のためにワニの口に飛び込んだろ? 銃を握るのは、あれとなんら変わらん――“覚悟”さ。むしろあっちの方が、そうとう肝の座った男にしかできねぇぞ。いくら『救いたい』という気持ちがあっても、俺には…… あんな真似できねぇ」
駄菓子屋の亭主は、エプロンのポケットにある拳銃に、そっと手を乗せ、感触を確かめる。
エプロン越しの感触ではあるが、幻ではない。
もう二度と見ることも触れることもないと思っていた、慣れ親しんだ忌むべきもの。
有事――いや、事実上 戦時下となった今、再びこれが必要とする時が来る。それを裏付けるかのように、彼のすぐ側では白き躯が横たわり、無言でそれを物語っていた。
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