第26話『私は一人の少年を見捨てた』
ローズが行方不明となったその日から、ジーニアスは空虚な日々を送っていた。
襲いかかる責任感と、漠然とした罪悪感――それらを紛らわせようと、ディメンション・オービタルフレームを整備し、ローズの人格データを使ってシュミレーションを重ねていた。
何度も……あらゆる状況を、途方も無い回数を繰り返して……――。
こんな事をしても無意味だ。
ジーニアスもそれは十分理解していた。だが、彼の心の中にある怯えが、自分を信じることさえも許さなくなっていた。論理的確証を無視し、自分がミスをしたと心のどこかで結論づけ、それを立証させようとしていたのだ。
ローズを送り出した、あの白きオービタルフレームに不備はなかったか。
改善点・改良すべき点があったのでは?
操作系統に問題があったのではないか?
兵装選択を見誤ったのではないか?
黒き喪服のような色合いのディメンション・オービタルフレーム。
どれだけ整備をしようと、シュミレーションを幾重にも重ねようとも、ローズが行方不明になった原因を、教えてはくれなかった。
いつしかジーニアスは、整備することを止めた。
そして
無限とも思える沈黙の中、彼は虚ろな瞳でディメンション・オービタルフレームを眺め、ただ時が過ぎるのを待つようになった。
必ずローズは帰還する。
自分のような名ばかりの天才ではない。彼女はビジターの中でも随一の本物――紛れもない
今となっては空虚な天才という賞賛という可能性。ジーニアスはそれに縋り、彼女の無事を祈った。
――そんな時だ。インターネサイン直々に、ジーニアスの転属が打診されたのだ。
技術研究機関から、統計観測機構への移動である。
ジーニアスにとっては、それは複雑なものだった。まるでローズから目を背け、辛い現実から逃げる――そんな罪悪感を覚えるような感覚だったからだ。
それでもインターネサインの命令は絶対である。もちろん拒否権はあるが、行使するにはそれ相応の理由が必要となる。つまりジーニアスに断る理由はなく、従う他なかった。
そもそもインターネサインは完璧な存在だ。
その演算能力は、観測できるすべての世界の未来を見通し、あらゆる可能性を算出できるほどの処理能力を持つ。――つまりこれから起こる膨大な未来を、事前に提示することができるのだ。
インターネサインとリンクしているのなら、銃弾やレーザーが飛び交う戦場の中でも、悠々と歩くことさえ可能。そもそも、ビジターはその身を危険に晒すことも、悟られることすらもなく、任務を遂行できる。
ビジターが介入し、それによって変化した世界線の未来をも、インターネサインは計測可能なのだ。
例外があるとすれば、計測を遥かに上回る超法規的事態――もしくは未開の地である、観測不能領域だ。残念ながらローズの件を含め、過去に、それらの事例は起こってしまっている。
しかし、ここで足踏みは許されない。
そもそもインターネサインからの直接任命である。この配属変更も、ローズ救出に関連しているのでは? ジーニアスはこの機会を逃すまいと、かつての古巣である統計観測機構へと戻った。
任務そのものは、拍子抜けするほど簡単なものだった。
強いて違和感を感じたのは、次の三点だ。
現地住人との接触は厳禁――つまり現地の協力者から情報を得られないという点。
救難や増援、即時回収などの後方支援が完全な体制で得られる点。
任務遂行可能かどうかの有無を、ジーニアスが独自に決める権利が与えられている点である。
充実した後方支援や現場に決定権が与えられるのは、まるで軍事作戦――つまり交渉調達局の行動プランだ。少なくとも、厳密には非戦闘員である統計観測機構は、現場に『撤退か』『作戦続行か』の決定権は与えられていない。具申はできるが、最終的な決定は本部を通さなければならない。現場での決定権が与えられているのは、上位のビジターだけだ。
――しかし今回は違う。あろう事か移転したばかりのジーニアスに、独断の決定権が与えられているのだ。
『任務そのものは簡単なのに、この慎重さはなんだ? ローズを失った事で、インターネサインは過敏になっているのか? 自ら算出した演算に信頼性を持てなくなり、これから起こるかもしれない、予期せぬ事態に備えている――いや、そんな事は……』
不安が募る中、ジーニアスは
こうして不審な点が散見するが、任務自体は極めてポピュラーでありベーシック。特異点の観測と、それに関する報告である。
特異点である観測対象は、コボルトのような犬の顔を持つ人型半獣の種族。名をポポルという少年だ。
厳密には、観測すべき最重要対象は、少年ではない。彼の持つ眼球――目である。
同種の現地住人は、ポポルを神童や預言者と呼んでいる。その要因となったのは、彼の持つ千里眼――未来を見通す不思議な目だ。
ある時は、その目によって近隣の村々の争い事を収め、
またある時は、武力侵攻を事前に予測し、万全の体制で迎撃の布陣を展開する。
少年の目は、精度はかなり低いものの、まるでインターネサインのような能力を持っていた。
だがしかし、完全な未来予知ない。
インターネサインはこれから起こる未来――それこそ、気が遠くなるほどの可能性を示唆し、それを濾過してビジターに提供する。それでも並の人間が使用すれば、脳そのものがオーバーフローしてしまう。
ポポルの目に、それだけの情報算出能力はない。ただ彼にとって不利・または起きてほしくない最悪な
もしも精度が高い、完全な未来予知ならばどうだろう。
その目で垣間見たであろう悲劇的な未来は、絶対に避けられないはずである。
しかしポポルは見たはずの未来を、自身の知恵と、仲間の力を駆使して避けてしまった。――この時点で、千里眼が出力した映像は、もはや未来予知ではなくなった。
だがそれでも、ポポルの持つ目の力は注目に値する。並の現地人では到底及ばない危機察知能力、それが現実的かつ具体的な形で、映像としてポポルに伝えられるのだ。
その地域全体の情報――敵の斥候やスパイ、裏切り者、些細な喧嘩から井戸端会議……――それらポポルの周囲で起こった事象が、彼の目という一点に集約され、擬似的な予測情報という形で昇華し、脳内へ投影される。
ジーニアスはビジターである。
技術者であるため仮説はしないが、心の奥底でこう思うようになっていた。
千里眼と呼ばれるあの目は、ポポルとは切り離された別個の生命体ではないか――と。
脳は960億もの神経細胞を持つ。
あの眼球はおそらく、ある種の神経細胞に酷似したものを持っている。そして眼球内の房水が、脳におけるキャビティのような役割を果たし、高次元構造を加味させているでは? そしてサポートAIのように、ポポルとは独立した意思の元、潜在的意識下で助け、支え、共生関係を維持しているのでは――
ジーニアスは観測された情報を元に、臆測という仮り染めの答えを導き出す。
しかし、彼の導き出したその解答が、立証される機会は訪れなかった。
――観測開始から三年目の春。それは起きた。
最初の異変はインターネサインの通告からだった。
突如、任務中止が打電され、ジーニアスに撤退命令が下されたのだ。
観測結果をまとめていたジーニアスにとって、それは寝耳に水だった。
ビジターであるジーニアス。そんな彼が危険に晒されるほどの戦争、もしくは大戦が起こる気配は まったくない。それどころか、ポポルの働きで、今まで血で血を洗っていた敵国と、友好条約が締結されたばかりなのだ。つまり周辺諸国は今、麗らかなこの春 同様に平和一色だった。
「どういう事だ。 撤退? 少なくとも私から周囲500キロ圏内は、平和そのものだ」
だがそれは、観測機構からの命令ではない。そのさらに遥か上――インターネサインからの直接指令である。超高度演算処理能力を謳う、ビジターの象徴とも言える存在だ。マシントラブルは万に一つもないだろう。ならばおそらく、彼女は
ジーニアスはポポルに関しての観測情報――そして使用された研究機材を本部へ送り、彼自身も撤退の準備を始めた。
機材を本部へ送り終え、残るはジーニアスだけとなった――その時だった。
――――蒼き空に亀裂が走り、裂けたのだ。
その奥から、赤黒い血塊のような世界が顔を覗かせる。
そこからは筆舌に尽くし難い、この世ならざる光景だった。
その裂け目は地獄への
そこに例外はない。
森も、家も、人も、そしてポポルの村も、その隣国や大国、敵国でさえも、亀裂へと呑まれていく……。悲鳴渦巻く世界は、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図。耳にした者の精神を抉る、死の狂奏曲だった。
ジーニアスは地獄の蓋が開かれた世界で、それを見てしまう。赤い亀裂の奥にある、巨大な瞳のようなモノを――。
「
時空そのものを喰らい、あらゆるエネルギーを糧とする超大型強制デストラクション・システム。
なんて桁外れな大きさだ……
だがなぜ? 暴食の権化が、なぜこの世界を? ヤツは、高純度エネルギーが発生する世界を狙うのではなかったのか?」
ジーニアスが視線を目の前の大地に移す。するとそこには、樹の根に爪を立て、吸い込まれまいと奮闘する、ポポルの姿があった。
ポポルはジーニアスの姿を見て、悲鳴混じりな声で助けを求める。
ジーニアスは驚く。彼は
しかしポポルは、明らかにジーニアスに向かって手を伸ばし、助けを求めている。他に現地住人の姿はいない。その場にいるのは、ジーニアス独りだけだ。
ジーニアスは、ポポルの目を見て、その謎を自己完結させる。彼の瞳は焔色に光り、ぼんやりと輝いていたのだ。
「なるほど……
しかしこうしている間にも、世界は亀裂に呑み込まれようとしていた。
――迷っている暇はない。ジーニアスは本部に向け、現地人の避難要請を申請し、ポポルへと駆け寄ろうとした。しかし、ここで本部のオペレーターから待ったが掛かる。要請却下の一報が入ったのだ。
『765737‐θ‐87479。要請は却下されました。現在、観測領域の崩壊が検知されています。極めて危険な状態です。即座に観測作業を停止し、こちらに帰還してください』
「再度、避難要請を具申する。相手は少年だ。我々ビジターにとって脅威にはならない。それどころか彼の持つ能力は、我々ビジターにとって有益なものを齎すだろう。再度、慎重な検討を願う」
その間にも、ポポルの悲痛な叫びが木霊する。三年間という短い期間であるが、彼のすべてを垣間見ていた。そんなジーニアスにとって、あまりにも聞くに耐えないものだった。
――だがオペレーターの言葉は、そんな彼の想いに応えることはない。辛辣な現実を並べ立てられ、避難するよう促した。
『765737‐θ‐87479。残念ながら、要請は却下されました。――警告。時空崩壊が危険領域を越えました。これより時空転移における再設定シークエンスを実行。設定完了後、強制転移に移行します』
「ならポポルも同伴だ。今から特異点を救出する。合図するまで待て」
『できません。すでにその要請は却下されました。本作戦において、観測対象への干渉は禁じられています。これ以上の違反行為は、評議会に報告され、貴方は厳罰に――』
ジーニアスはオペレーターの言葉を聞き届けることなく、一方的に通信を切る。そしてポポル救出を独断で開始した。もはやポポルの腕は限界に近く、今にも、樹の根から手を離しそうだ。
ジーニアスの右袖下からアンカーが射出され、高分子ワイヤーが伸びていく。本来これは、高所活動のためのクライミング用である。だが今回は、ジーニアスの体が飛ばされないよう、固定具として使用された。
狙い通り、アンカーは巨大な樹の幹に引っ掛かる。ジーニアスはワイヤーを数回引き、固定が甘くないかを確認した。
「……よし」
準備は整った。これで地面でも崩壊しない限り、救出作業に影響はないだろう。
――だが行動に移すには、あまりに遅すぎた。
その地面が轟音と共に崩壊してしまったのだ。大地という土台が重力を失い、赤き時空の裂け目へ、吸い込まれ始める。
ジーニアスは見失った少年の名を叫ぶ。
「ポポル!!」
少年の悲鳴が聞こえた。ジーニアスはその方向へと目をやると、すでに米粒ほどに小さくなった、ポポルの姿が見える。
「クッ! 間に合え!!」
ジーニアスは、奇跡を信じ、最後の手段を使う。
残されていた左腕のアンカーを射出させる。アンカーは噴進剤の力を借り、ポポルに向かって伸びていく。白き一筋の線は、まるで蜘蛛の糸のように……
しかし託された希望の糸は、瓦礫に進路を阻まれてしまう。そしてダメ押しとばかりに、馬車や木々、巨大な岩盤がワイヤーへ絡まる。これではもう、ワイヤーを巻き戻すことができない。
もはやポポルを救う手立ては、ジーニアスに残されていなかった。
短い警告アナウンスと共に、彼は強制的に帰還させられる。
視界がフェードアウトしていく中、ジーニアスはそれを目にした。
彼が、その世界で最後に見たもの。
時空を破壊した赤い亀裂。
――その奥に聳える、邪悪な瞳のようなもの。
そして無情にも、それに吸い込まれていくポポルの姿だった。
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