第25話『君は一人の少女を救った』




――虹色の巨大な結晶体。




 それは脈打つ胎動のように、光の鼓動を刻んでいた。




 ルーシーはその美しさに見とれ、完全に視線を奪われてしまう。





「すごく綺麗……」




 ジーニアスはそんなルーシーに歩み寄り、その結晶が自身の創造主であり、ビジターの全てを統括する存在母親であることを告げる。




「あの輝く結晶が、ビジターを管理する存在――インターネサインです」




 『どうやってこの世界に来れたの?』『拘置所にいたはずなのに!』という、まず先に抱くはずの疑問――それよりも、ルーシーは別の要素に喫驚する。そして彼女は自分を恥じ、悲しげな表情でこう呟いた。




「ジーニアスさん、あの時、私の声……聞いちゃってたんだ」




――あの時。


 ルーシーの呟いた『あの時』とは、魔獣に襲われ、取り囲まれてしまった時のことだ。


 あの瞬間――避けられぬ死を目前にして、彼女は魂の叫びとも言える声を上げた。




『死にたくない』


『もっと他の世界を見てみたい』――と。




 ジーニアスは彼女を傷つけないよう、慎重に言葉を選びつつ、重い口を開いた。



「あの時――魔獣に襲われ、今まさに命を落とそうとしていた時に、ルーシーが張り上げた言葉。……――はい。確かにこの耳で聞きました」



「恥ずかしい……聞かれてたなんて……」



「不服でしたでしょうか? このような形で、ルーシーの夢を叶えてしまって」




「ま、まさか!! とっても嬉しいです! 本の挿絵でしか見れなかった外の世界。それをこうして見れるなんて! 夢みたい! ただ……――」




 喉元まで出かかっていた言葉を、ルーシーは飲み込んでしまう。


 その姿を見ていたジーニアス。彼は、ルーシーがなにを言いたかったのかを察する。そして彼女の胸にある蟠りを、言葉を使って洗い流そうする。




「ルーシー。君はあの時、極限的な恐怖の中にいた。誰だって、あんな理不尽かつ唐突な運命を目前にすれば、異議の一つも唱えたくなるものです」




「でもね……ジーニアスさん。なんだか……情けなくて……恥ずかしくて。


 あの時、なんの力も持ってないのに駆け出して、持病もあるのに無理した挙げ句、命乞いするかのように…… あんな言葉を吐いちゃて……。それだけでも恥ずかしくて悲しいのに、終いには、ジーニアスさんに迷惑をかけちゃって――」



「迷惑? とんでもない。ルーシー、君は自らの命を危険に晒してまで、あの幼き少女を救おうとした。どれだけ危険かは、聡明なルーシーなら十分に理解していたはず。


 それでも少女のために、街へ飛び出し、魔獣から幼き生命いのちを救った。あなたの勇気が導き出したその結果――それは、教会で見た通りだ。



 あの一家の幸せを守ったのは誰だ?


 ルーシー、他でもない君じゃないか。


 君の決断と行動力――そして勇気が、あの家族の未来を守ったんだ。



 私は感情を制御されている存在。精神に支障をきたす過剰な恐怖は、ナノマシンよって抑制され、感じることはできない。



――だがルーシー、君は違う。


 純粋な恐怖と向き合い、克服し、それを君自身の力だけで、乗り越えたんだよ。



 我々のように、恐怖から目を逸らしたのではない。君は本物の勇気で動いたんだ。



 だから私は、ルーシー・フェイを讃えます。



 例え世界のすべてが君の行動を批判し、誰かが指をさして『生き恥を晒した』と嗤おうと、私はルーシーの勇気を讃え、拍手と称賛を贈り続けます」




 ジーニアスはルーシーに諭す。恥じる必要はない。むしろ人を助け、感謝されたのだ。だから堂々と背筋を伸ばすべきである――と。


 その言葉に、ルーシーは勇気付けられ、目頭を熱くする。そして目に溢れんばかりの涙を浮かべた。




「ジーニアスさん……」




「ルーシー。誰にも言えない秘密や、後悔の念――負の想いや記憶はあります。ビジターである私でさえも、実のところ、それがあるのです。

 テクノロジーがどれだけ発展しようとも、こういった自責の念や、蟠り、漠然とした鬱屈さは心のどこかに蓄積されるものなのかもしれません……。


――誰にも見せられない、恥ずべき過去が……」




 ジーニアスはそう言いながら、空間に手をかざし、仮想現実のフィールド変更を実行する。


 ビジターの中枢であるインターネサインの区画。その冷たく機械的な空間から、巨大な大樹が生い茂る森へと、景色が一変する。




「―――ッ?!! 世界が変わった?!」




「ルーシーの体内にあるナノマシンが、仮想現実――つまり擬似的に創られた現実を映し出しているのです……あなたの脳内に映像として。この世界にあるモノは手に取れるし、使うことも、食べて味わうこともできます。さすがに満腹中枢と腹は満たすことはできませんが……」



「うわぁ……すごぉい――――てっ! ちょ、ちょっと待ってジーニアスさん!」


「どうしたのですルーシー。なにか問題がありましたか?」


「ありましたよ! 私の体内にナノマシン!? そんなこと聞いてないです!! いったい何時、私にそんなモノを投与したんですか!!!」




「ああ、それなら……――いえ、ここは敢えて、秘密にしておきましょう。謎は謎のままでこそ、人の心に残ると言いますし」




 ジーニアスは口に人差し指を当て、『だから秘密です』とジェスチャーを見せる。



 ルーシーはそんな彼の胸板を、ポカポカと殴り始めた。そして顔を赤らめつつ、自分になにをしたのか白状させようとする。




「いじわる! ジーニアスさんのいじわる! 薬とか、なんかこう……変なことをして投与したりしてないですよね!」



「変なこと? 安心してください。粘液接触や血液投与など方式ではありません。今ルーシーの体内で補佐をしているのは、タンパク質型ナノマシン。もちろん一切の害はなく、不要になれば体外へ排出され――」



「そういうことを訊いているんじゃなくて! こう……なんと言いますか、あ、あの……小説だと、キス……とか……親しい……行為で、ナノマシンを投与している描写があったから、そういうことをされたのかなぁ~って……」



 ルーシーは耳と頬を真っ赤にして、ジーニアスから視線を逸らす。そしてモジモジしながら、あまりの恥ずかしさに手で顔を覆って俯いてしまう。


 ジーニアスはルーシーの姿から心情を鑑み、『そういったことはしていませんよ』と断言する。




「あらゆる知的生命において、粘液、及び唾液交換などは、とても親密な関係のみが行う愛情表現です。それらは特別なものと定め、場所と相手を入念に吟味する文化傾向があります。


 安心してくださいルーシー。そういった接触式の投与ではありません。不安にさせるのもなんですし、種を明かしてしまえば、私が行ったのは散布型の投与です。ルーシーの呼吸や目から体内に入り、ナノマシン形成群を構築――今は脳内情報を私のナノマシンとリンクさせているだけの状態です。これで、安心して頂けましたか?」



「じゃあ、そういうことは、していない……のね?」


「はい。そういうことはしていません」


「ほんとに?」


「ええ、ほんとです」


「嘘……ついてないですよね?」


「私が答えを示さなかったのは、ルーシーの驚きと反応が興味深く、もっと見てみたいという個人的な欲求に駆られたためです。不安、もしくは不快にさせてしまったのなら、謝ります」




「そ、そこまで怒ってないけど……?! ――もしかして。 からかったのは、落ち込んだ私を元気づけるため?」




 ジーニアスは肩をすくめ、少し申し訳無さそうな表情で説明する。




「我々ビジターは冗談やユーモアを理解できても、それを応用し、実践するのはあまりに不得意です。小説などの旧世代の文献情報をもとに、見様見真似でやってみたのですが…… やはり失敗でしたか?」



 彼の行為によって、心の曇りは晴れ、たしかに元気は出た。


 しかしそれを認めてしまえば、それはそれでどこか負けたような感じがする。そもそも事前承諾どころか同意もなしで、ナノマシンを投与されたのだ。だからルーシーは、ちょっとだけ意地悪に『改善の余地あり』と答える。




「ジーニアスさん、もうちょっと練習が必要ですね。受け手の配慮とか、そこらへんがなってません!」




 胸を張り、まるでお節介な幼馴染か、お姉さんのような口振りでそれを告げる。


 少しふくれっ面なルーシーに、ジーニアスは内心「どうやら失敗したようだ」と肩を落とし、心の中でため息を吐く。そして円滑な人間関係構築のため、必ずや改善してみせると、ルーシーに誓いを立てた。




「はい、必ずや善処致します」




 ジーニアスは気を改め、懐中時計の蓋を開ける。


 すると彼の周囲に幾つものホロモニターが展開された。ルーシーの目には、まるで浮遊するガラス板に、見たことのない文字やグラフが反射して、光っているように見えた。




「すごい……文字やグラフ図形が動いている」



「これはホロモニター。VRの環境設定やリアリティ数値をモニタリングし、それが正常に作動しているのかを、報告する機能です」



「環境設定はなんとなく分かるけど……リアリティ数値?」



現実再現リアリティ数値は、仮想現実がいかに現実に近いかを指し示す数値です。数値を操作すれば、攻撃を受けた際の痛みや苦痛も、現実同様に感じることが可能です」



「虚構の世界でも、怪我をしちゃうって……こと?」



「さすがルーシー。理解力が早くて助かります。まさしくその通りです。交渉調達局のハイレベルなビジターは、戦闘演習においてこの環境設定を多用します。――もちろんこれは演習ではなく、私の過去を再現する、一種の映画です」




「映画……帰還人の手記にあった、動いて言葉も出る、総天然色活動絵巻ですね」




「そこまで理解していれば、もはや説明は不要でしょう。ではこれから、私の過去を御覧いただきます。


 恥ずべき……決して忘れてはならない過ち。


 私がインターネサインに疑念を抱く決定打となった……あの日の事を――――」



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