第18話『騎士団長 アスモデ・ウッサー』




 魔王が消えると同時に、重々しい空気が消える。





 淀んでいた空が、少しずつ明るさを増していく。それでもまだ曇り気味ではある。だが光が差し込み、昼の日差しがフェイタウンを照らし出した。




 街の大部分の機能は無事だ。問題は、激しい攻防線が行われていた場所である。周辺の建物は崩れ、火の手も上がっている。ゼノ・オルディオスという驚異は去ったが、まだこれで終わりではなかった。



 教会前の重圧が消える。広場で平伏していた者たちは、晴れて自由の身となった。



 拘束から解かれ、一人、また一人と、辿々しく慎重に立ち上がる。



 彼ら、そして彼女たちは、敵を目の前にして手も足も出なかった。



 しかもその敵は、自分たちが常日頃から慣れ親しみ、祈りを捧げている対象――創世の魔王だった。その衝撃と無力さに、人々は半ば呆然としている。



 信じていた世界が一変し、最愛の人に裏切られた。皆、そのような瞳をしている。



 まるで心が抜けた人形のように、無気力に苛まれる人々。



――だがその中で、静かに闘志を燃やす女性がいた。鬼兎の騎士団の団長であり、全フェイタウン市民の命を守る騎士 アスモデ・ウッサーである。





 彼女は檄を飛ばし、 体と魂が離れ離れになった人々を繋ぎ留める。





「被害状況を報せ!! 負傷した者はいないか! 負傷した者は教会か、市庁舎へ搬送させろ!! ほら、なにボサッとしている! 目を醒ませ!! 我々に呆けている暇はない」



 騎士団長は手をパンと叩き。たった一回 手を叩いただけだが、その澄み切った音は、広場の隅々まで届いた。



 女性騎士アスモデは、魔王ゼノ・オルディオスの演説を掻き消さんばかりの、力強い演説を行う。



「聞け! 我が騎士団! そして予備役兵よ! 思い出すのだ、騎士として誓いを立てた、あの日のことを! そしてこの街を守ると志した、始まりの日を!


 今こそ街を守るため、立ち上がる時が来たのだ!


 我々一人一人が市民に寄り添い、励まし、皆の力にならなければならない!!」



 そしてアスモデ・ウッサーは、黒々とした煙が上がる方向を指差し、自分たちがすべき事を示す。



「街中に火の手が上がっている!


 これ以上被害が広がれば、火災旋風が起きてしまう! そうなればすべてが手遅れだ。我々は、帰るべき故郷ばしょを失ってしまうのだ!!」




 アスモデ・ウッサーの言葉に、予備役兵たちの目の色が変わった。褪せた色合いの瞳に、力強い眼差しが戻る。

 


 人は、人智を越えた問題で悩むよりも、慣れ浸しんだ課題に直面したほうが、思考力が回るものだ。現実から目を逸らすのも、時として重要である。




 騎士団・予備役兵問わず、消火活動は常日頃から市民総出で訓練してきた。数多の訓練を繰り返し、もはや体が覚えていると言っても過言ではない。




 『魔王を斃せ!』『世界を救え!』と無理難題を言っているのではない。


 『日頃から行っている防災訓練を、今、ここで実践せよ』というのだ。




 彼ら、彼女たちには、それが可能である。伊達に騎士団や予備役に属しているのではない。治安維持と街を守るにおいて、右に出るものはいない。そして彼らの心も鎧も――そして腰に下げている剣でさえも、断じて飾りではないのだ。それら一つ一つが、守護者の象徴に他ならない。




 そして彼らにとって、本当の意味での戦いが始ろうとしていた。



 市民の命と財産――そして慣れ親しんだ、故郷の景観を守る戦いだ。




 そして騎士団長、アスモデ・ウッサーは号令をかける。

 




「総員! 速やかに消火作業に入れ! この街を、フェイタウンを守るぞ!!」



 アスモデ・ウッサーは、近くにいた部下を集め、『総員傾聴』のハンドサインを出す。そして団長として、詳細な作戦内容を語る。

 



「事態は一刻を争う。水系の魔法が使える者を、片っ端からかき集めろ。もちろん非・正規は問わない。


 第七遠征防空旅団にも協力を仰げ。どこが一番燃えているのか、炎の拡散範囲を知りたい。


 必要ならば、先回りして建物を凍らせても構わない。本作戦で生じた責任は、すべて騎士団長である私が背負う。私の命令をいちいち待つ必要はない。自らの意思で行動せよ。これは、ここにいる皆を信じているからこそ、出せる命令だ。


――いいか? 厳守すべき最大の目的は、『被害を最小限に喰い止める』事。そしてなにより『市民の命を守る』事だ。いいな?」





 騎士団長の言葉に、騎士達は強く頷き、決意を新たにする。


 魔王に手も足も出ず、敗北と屈辱に俯いている時ではない。



 アスモデ・ウッサーは、どちらかと言えば、人心掌握術に長けた人間ではない。普段は物静かで、どこか近寄りがたい空気のある女性だ。


 しかし――だからこそ、普段からは想像もできない熱のある言葉が、人々の心の奥底まで響いたのだ。


 端から見れば、彼女の演説は歯の浮くようなものだったかもしれない。


 だが、心から人を想い、清らかで真っ直ぐな言葉。それが純粋であればあるほど、人の心を奮い立たせる力がある。とくに、同じ志を持つ者同士ならば尚の事、それは顕著に現れるものだ。



 アスモデ・ウッサーは、今にも消えそうな心の炎に、使命をいう薪をくべたのだ。



 鬼兎の騎士団やその場にいた人々が、自分のすべきことを見据え、一斉に行動を開始する。



 命令を受け、アスモデ・ウッサーから騎士たちが離れていく。その流れと逆行し、彼女に歩み寄る人影があった。




 その人物は開口一番に、礼を言う。




「先程は、ありがとうございました。貴女の警告がなければ、今頃、首を落とされていたでしょう」




 魔王とたった一人で対峙していた異界の人――ジーニアスである。




 

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