第7話『魔獣』


 ジーニアスは興味深げに尋ねる。



「ルーシー・フェイが、もう一人?」



「ええそうよ。このオルガン島の祭事を取り仕切る、若き高位神官―― 祝い事や祭事を取り仕切るのはもちろん、魔導師としての腕前もすごいのよ! なんせ鬼兎騎士団の総合大規模演習で、敵役を担うほどなの!」



「演習で敵役アグレッサーや評価支援隊を務めるのは、熟練した腕はもちろん、演習を達観した視点から見つめ、問題点を指摘するだけの、確かな眼、、、、が必要となる。つまり君と同じ名を持つその人は、かなりのやり手と見てとれる」




 ルーシーはジト目でニヤつきながら、「フフフ……」と喜びを噛みしめるような笑いを浮かべる。そしてジーニアスの意見に対し、全面的に同意する。




「さすがジーニアスさん。目の付け所が違いますね~。そうなのですよ。なにを隠そうフェイシア、、、、、姉さんは、超文武両道! 博識なだけでなく、演習では敵役の最高指揮官務めたのよ。しかも鬼兎騎士団の包囲網を単独潜入で突破! あのアスモデ・ウッサーさんと一騎打ちを繰り広げたんだから!」



 ジーニアスは、ルーシーの話す逸話の中で、三点、見逃せない疑問点が浮き上がった。ルーシーの話を遮らないよう注意しつつ、ジーニアスはその問題点を指摘する。



「最高指揮官が敵地に単独潜入? そんなことをすれば指揮系統が混乱して敵に背を見せることになる。戦術的観点から見ても、指揮官が敵の陣地になぐりこなど前代未聞。有り得ない話だ。それと……フェイシア姉さんとは?」



「同じ名前だと、なにかと混乱するでしょ? だから二人の時は名前を変えているの。私がフェイシアを名乗ろうとしたんだけど、姉さんが『私がフェイシアを名乗るわ』って、ルーシー・フェイの名を譲ってくれたの」



「譲る……、自分の名パーソナル・ネームなのに、互いの円滑な人間関係を守るために、譲歩し合う。とても興味深い文化構造だ」



「実は、姉さんと一緒にお茶をしている時にね、補佐官の人が『ルーシー様! 大変です!!』って駆け込んでくることがあったの。もちろん私じゃないって分かってはいるんだけど、自分の名をあんな感じで呼ばれると、やっぱりなんだか ドキっ?! ――ってしちゃうものよ。そんなことが度々あったから、姉さんが気を利かして、名前を分けたの」



「混乱を避けるための名前の差別化。納得しました。演習の際、最高指揮官であるフェイシアが、指揮権を放棄した件ですが……」



「放棄してない!放棄してない! 部下に時間稼ぎを命じて、防空網を迂回して陣地の真後ろから潜入したの。姉さん曰く、『戦場では絶対に起こりえない事が起きる。もちろん、敵の指揮官が単身で切り込むなど、童話小説の中だけの稀な状況レア・ケース。でも、起きるはずがないそれ、、が本当に起きてしまった時、冷静に対処できるかを検証するもの、演習の醍醐味』――だそうよ」




「起こりえない事が起きる。その言葉は私の心に響きますね。私はいろんな世界を見て来ましたが。フェイシアの言葉通り、予測値を遥かに上回る……不測の事態に直面したことがあります」




 ルーシーは『いろんな世界を見て来た』という言葉に惹かれ、「どんな世界を見てきたの?」と、反射的に質問してしまう。



 彼女は外の世界に対し、誰よりも興味を示し、あまりにも無垢だったからだ。



 しかしこの、純粋な興味本位で訪ねたことが、彼に対して、してはいけないことであったと、ルーシーは悟る。


 明らかにジーニアスは、悔恨を匂わせる物言いだった。そもそも彼は記憶が混濁し、どうして自分がここに居るのか分からない状態である――そんな中、無理に過去を掘り起こせばどうなるのか、容易に想像できるはずだった。しかしルーシーは好奇心に駆られ、束の間、彼の境遇を忘れていたのだ。


 ルーシーは急いで問いかけを取り消そうとする。ジーニアスの興味を示しそうな話題に変え、自分の質問を上書きしようとしたのだ。



「――忘れてた! あ、あのねジーニアスさん! 今日フェイシアお姉さんとお茶会の予定なの! 最近いろいろと忙しくて、予定が今日までずれ込んでね……。これもきっと、なにかの縁。ジーニアスさんも一緒に参加しません?」




「高位神官であるフェイシアと、お茶会?」




「ええそうよ。ジーニアスがここに来た理由も、姉さんならきっと分かるはず。そもそも一市民が、高位神官であるフェイシア姉さんに謁見だなんて、そうそうないわよ~」



 ルーシーは敢えて、ジーニアスの興味を唆るよう、ちょっとイジワルめいた 口振りを見せる。これは、ルーシー自身の、焦る気持ちを誤魔化す狙いもあったが、それ以上に、ジーニアスを助けたいという想い。そのために、彼とフェイシアを引き合わせたいという一心から来るものだった。




 元々、彼を救うために、高位神官であるフェイシアにジーニアスを紹介する予定だった。




 これはルーシーならではだろう。なにせ彼女は、この街の創始者の末裔である。その立場故に、高位神官であるフェイシアと親睦を深めることができたのだ。



 すべては、ジーニアスという迷える旅人のため。彼女はこの特異な立場を活用し、彼に救いの手を差し伸べたのだ。



 ルーシーは「えへへ」と少し照れくさそうな表情を浮かべ、ジーニアスの顔を覗き込む。



 ジーニアスは、そんな彼女の視線をまっすぐ見据え、感謝の言葉を述べる。




「嬉しいお誘いです。私がそれに選ばれたこと、とても光栄に思います」




「よかった! 姉さんもきっと喜ぶ! ジーニアスさんから見た、このフェイタウンの良さを聞かせてあげて!」





「――ですがその前に、貴女に、話さなければならない事があります」




 ジーニアスは、いつになく真剣な面持ちで話を切り出す。まるで心の奥にある秘密を打ち明けるような姿勢。その気迫に、ルーシーは顔を赤らめて息を呑む。


 もちろん、愛の告白をされるわけではない。だが、それに似た独特の空気が二人の間に吹いたのだ。



 


「ルーシー・フェイ。実は――」




「きゃあああああああああああああ!!!!」




 そんな二人の会話を、――女性の悲鳴が掻き消した。




 


 ジーニアスとルーシーは、いったい何事かと、その方向へ視線を向ける。



 二人だけではない。



 商店街で荷降ろしをしていた青年。



 屋台の亭主。



 買い出しに来ていた女性やウェイトレス、老人や子供。デートを楽しんでいたカップル――。



 その場に居合わせた ほとんどの人が、心配そうに、その方向を見つめる。




――そしてフェイタウン市民は、恐怖に震撼する事となった。




 異界門の方向から、もくもくと立ち上る土煙。その土煙の中から、まるで邪悪さが自らの意思を持ち、形状化したかのような悍ましい魔獣が現れたのだ。



 頭部は前後に細長く伸び、その皮膚は、ヌメヌメと不気味に輝いている。昆虫的でありながら、有機化した機械のようにも見える。




 その姿を目撃し、平静を保てる市民はほとんどいなかった。




 人々が我先にと、一斉に逃げ出す。




 悲鳴はさらなる悲鳴を生み出し、怒号がさらなる混沌を招く。




 突如、フェイタウンに出現した魔獣。それから逃れようと、蜘蛛の子を散らすように人々は走り出した。商店街の大通りはかなりの幅がある。だが、それでは収まりきらない量の市民が、建物の中からドッと溢れ出したのだ。


 その波に押され、荷箱が倒れ、石畳の上をリンゴやじゃがいもが転がる。人の流れは勢いを増していく。屋台が横倒しになり、原型を留めないほどメチャクチャになった。



 ルーシーはジーニアスの手を取り、教会に向かって走り出す。



「ジーニアスさんこっち! 教会に避難用のシェルターがあるの!!」



 しかしジーニアスは、手を引くルーシーの腰へ手を伸ばし、無理やり路地裏へと引き込む。




「――ちょっ?!! ジーニアスさん!!」



「混乱している時、人は周りを見ることができず、他者と同じ行動をとってしまう。今の大通りは、避難路としては不適切だ。見てみろ。この路地裏なら、人の流れが少なく、避難路に適している」



 その言葉に、ルーシーは路地裏を覗き込む。


 彼の言う通り、大通りの混み合いとは相反し、路地裏には人っ子一人いなかった。唯一の例外は猫だけだ。ルーシーと目があった猫は、『ニャー』と一鳴きし、何処かへ走り去っていく。



「しばらくすれば、人の流れもまばらになる。状況を見極め、避難場所まで一気に走ろう」


 冷静なジーニアスの意見に、ルーシーもまた冷静さを取り戻していく。彼女もまた、魔獣の出現で恐怖し、半ば自分を見失っていたのだ。その証拠にルーシーの脚はガタガタを震え、心臓は今にも破裂せんばかりに、バクバクと波打っている。


 ジーニアスはそんな彼女に、「大丈夫、深呼吸して」とアドバイスした。



「ごめんなさい……私がしっかりしてなきゃ駄目なのに――」


「そんなことはない。敵の奇襲を受けて冷静さを保てるのは、訓練を受けた者だけだ」



 ルーシーは自分の不甲斐なさに、顔を俯き、ジーニアスの視線を避けてしまう。なにもできない自分に悔しさが込み上げ、無力感に苛まれる。


 そんな彼女を、ジーニアスは路地裏にある建物の溝へと押しやる。


「ちょ?! え?! ジーニアスさん!!」


 壁に押しやられたルーシーは、目をパチクリして顔を真っ赤にした。そんな彼女の耳元に、ジーニアスは囁く。




「シッ! 静かに。ヤツに見つかる」




――ヤツ? ルーシーは心の中で首を傾げたが、すぐにその正体を知ることになる。グルルル……と猛獣が喉を鳴らす不気味な音が、路地裏まで響いたのだ。あの魔獣が、近く迫っていたのだ。


 ルーシーは口を手で覆い、息を潜める。


 幸い魔獣に感づかれる事もなく、唸り声が小さくなり、足音が遠のいていく。




 ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、「お母ぁさん!! お母ぁさんどこぉ!!」と母親を求める子供の声が木霊する。――その悲痛な叫びは、大通りからだ。



 それを聞いた瞬間、ルーシーの目の色が変わった。彼女はその声に向かって駆け出す。あれほど恐怖に萎縮していたのが嘘のように、子供の悲鳴を耳にした途端、体が自然と動いたのだ。




 ジーニアスがルーシーを止めるため、言葉を投げかける――しかし彼女の耳に、それは届かなかった。



 路地裏を飛び出したルーシーは、一心不乱に、大通りを走り抜けていった。





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