第6話『摩訶不思議! 妖精の お菓子』




           ◇




 屋台の亭主が、串に刺さった梨菓子を手渡す。



「はいよ! ルーシーお嬢ちゃん!」



「ありがとう。うわぁ~美味しそう! 今日、やけに商店街が賑やかだけど……お祭りの準備かなにか?」



「そうか……お嬢ちゃん寝込んでたから、あの件を知らなかったのか。実はよぉ、昨夜 セイマン帝国の軍艦が入港したんだよ! アータン漁港に!」



「軍艦が? この前みたいに、嵐から逃れるため、帝国の捕鯨船が入港したけど……それとは違うの?」



「レヴィお嬢の話じゃ、『あれは断じて捕鯨船じゃない』ってさ。表向きは表敬訪問だけろうけど、実際は――」



「オルガン島の鎖国を解くための……軍事的圧力」



「まぁ一隻の軍艦で陥落させるほど、このフェイタウンは惰弱じゃねぇ。俺たち予備役でもねぇ 市民にできる事と言えば、商店街で備蓄を整えることぐらいよ」



「だから商店街が賑わっているのね。とにかく争い事にだけは、絶対にならないで欲しい。血で血を洗うなんて嫌。憎しみ合うよりも、みんなで時間を忘れるほど お話したり、踊ったり、そんな楽しい時を過ごしたほうが、遥かに幸せだもの」




「まったくだ。俺も嬢ちゃんの意見に同意だね」

 



 ルーシーは気持ちが少し沈み、自ずと視線が下向きになってしまう。その時、彼女の視線に串に刺さった梨菓子が映る。陽の光に照らされ輝くそれは、まるでルーシーを励ますかのようだった。




 見るからに美味しそうな梨菓子。ルーシーの気分は晴れ、うきうきした口調で亭主に訪ねた。




「これが、例の新作?」



「おうよ! アドバイス通りに、例のスパイスを配合して、味にちょちょいと改良を加えた。そして精霊様の御加護を頂いて完成だ!! これで唯一無二、見かけも中身も格段に上がった。他の出店にはない、絶品菓子誕生ってわけよ!」



 亭主の言う通り、串に刺さった梨菓子は、明らかに特色的な菓子だった。梨が串に刺さっているのは、何ら変哲さはない。だが見るからに特筆すべき点――梨の周囲をプカプカと浮き、纏わりついている液体だ。



 まるで無重力で漂う液体のように、フワフワと梨を取り囲んでいるのだ。



 ルーシーはくんくんと匂いを嗅ぎ、浮遊する液体を啜る。そして中にある淡黄蘗うすきはだ色の梨を齧り付いた。




「うん! 美味しい!! 肉桂の桂皮から採取したスパイス、バッチリ効いてる!!」




 店の亭主が、達成感と感心に満ちた笑顔で頷く。




「ああ。お嬢様に教えてもらった通りに仕上げたぜ。にしてもまさか、魚の防腐用に使われていた肉桂に、こんな使い道があったんてな。いやはや驚いたよ。大手柄だ!」



「とても言い辛いんだけど……実は肉桂のスパイスって、帰還人の手記からヒントにしたの。向こうの世界では、主にシナモンって呼ばれているらしいわ。だからこの功績は私じゃなくて、帰還人の功績なの」



「なぁに言ってんだい。そりゃシナモンをこっちの世界に伝えたのは、帰還人だろうよ。だが、このスパイスを探し出して、俺に助言してくれたのは他でもない―― ルーシーお嬢様じゃないか。だからこれは、あんたの御手柄よぉ!」



「よ、喜んで……いいのかな?」


「ハハハッ! 恩を受けた俺が言うんだ。さぁさぁ、遠慮なく存分に喜びな!」



 店の主人はガハハと笑い、ルーシーもまた、文献巡りの甲斐があったと喜び、成功を祝して笑顔を見せる。



 そんな二人の談笑を尻目に、ジーニアスは梨菓子に夢中だった。



「?! なんなんだコレは? 液体が重力を無視して、梨に纏わりついている……仕組みが……理解できない。音波発生機や重力制御装置の類は確認できない」



 無表情ながらも、不思議そうに梨菓子へ視線を注ぐジーニアス。店の主人がそんな彼に、声をかける。




「よぉ兄ちゃん! 見ない顔だな? 新しい帰還人新入りか?」




  そう問われたジーニアスだが、彼にとって受け答えできるほどの余裕はなかった。眼前にある未知で不可解な存在と現象。彼にとってそれこそが、最優先で解明すべき問題点だった。




「主人。一つお尋ねしたい。この菓子なのだが、液体が梨を包み込んでいる――重力を無視した状態で、だ。私 個人では、この現象を解析できなかった。これはどういった力場が作用し、この特殊な状態を保持できるのか、できる限り詳細に説明して頂きたい」



「ハハハッ! そんな夢中になるほど気に入ってくれたか!! 嬉しいねぇ~。ソイツには、このオルガン島名物である、妖精様の加護が授けられているんだ」



「妖精の加護?」


「ああそうだ。まぁ見てな」


 店の主人は、調理台下から木製の串を取り出す。それは梨を刺すための串だ。そして店の主人は、串を調理台の上に置き、魔法陣を展開させる。すると摩訶不思議なことが起きた。串が光り輝き、その光が小さな人型へと変わっていったのだ……――




――妖精。



 人型の輝きが薄れていく。光の衣を脱ぎ捨て、色彩が顕になる。水色の髪を靡かせ、四枚羽を持つ妖精が現れたのだ。妖精は串の横で、スカートの裾を持ち上げ、白き美脚を見せつつ頭を下げる。


 貴婦人の礼と称されるカーテシー。もしくはバレリーナが舞台後に行う レヴェランスに似た挨拶だ。その礼節に対し、ルーシーもスカートの裾を持ち上げ、妖精に微笑む。



 しかし当のジーニアスは、『いったいどうしたんだ?』と、不思議そうな視線をルーシーに向ける。



「なぜ私にお辞儀を? 丁重な挨拶をされる覚えがないのだが……。なにかの、文化的儀礼か儀式なのか?」




「あ! そうじゃんくて。ほら、そこにいる妖精さんにお辞儀したのよ」


「よ、妖精? いったい何処に? 私の視界には、なにも捕捉できない……」


「え?! ……妖精が、見えていないの?」




 ジーニアスは落胆した瞳で、顔を横に振る。


 それを見たルーシーは、過去に見た文献の中から、よく似た症状を思い起こす。




「――そう言えば、聞いたことがある。 稀にだけど、妖精が見えない人がいるの。諸説あるけど、魔力の創生量が極端に薄かったり、この世界の魔素と適合できなかったり。あと、人でない存在――例えばゴーレムとか、アーティファクト・クリーチャーも、妖精の気配は感じ取れても、妖精そのものは見えてないらしいわ」




「有益な情報になるかは分からないが、串から光が現れ、それが小さな人の形になるのまでは観測できた。その後、光は消え、跡にはなにも残されていない。少なくとも私の目には、今もそう映っている」




「うーん、さっきジーニアスさん、屋台の魔法陣は見えていたし……。たぶん、この世界の魔素と体は適合していると思うの。あ! 良い方法がある! 専門家じゃないから、上手く解決できるかどうか分からないけど……――」




 ルーシーは「屋台の調理台の方を見て」とジーニアスに告げ、詠唱を開始する。そして指先に小さな魔法陣を展開させ、それを彼のこめかみへと近づけた。





「もしも気分が悪くなったりしたら言ってね。すぐに止めるから」


「いったいなにを?」


「ウフフッ。妖精の名を持つ人が、妖精を見れないだなんて、なんだか癪じゃない」




 ルーシーの指先に光る、円形の小さな魔法陣――。それがジーニアスの右 こめかみに触れた途端、彼の右目に、未だ経験したことのない感覚に襲われる。



 まるで乾いた瞳に、この世で最高の目薬をさしたかのような、未知なる感覚だ。それも眼球を癒やすだけでは飽き足らず、視神経を通じ、脳まで到達する不思議なものである。


 ジーニアスの右眼球の視界に、モヤがかかり、続けて極彩色の閃光が走る。しかしそれはあまりに一瞬であり、彼の右目は再び正常な情報を、脳へと伝え始めた。



 

 正常な情報。



 それ即ち、この世界――オルガン島において正しいと認識される情報を……。





 ジーニアスは再度、屋台の調理台へと視線を注ぐ。





「こ、これは?!!」




 今まで無表情だったジーニアスが、この時 初めて驚きという感情を顕にし、目を見開いた。



 彼の視界には、先程までいなかった水色の妖精が映っていた。



 ジーニアスは、水色の妖精をまじまじと見ながら喫驚する。



「これはVRバーチャル リアリティ? いや、ホロモニターシステム立体映像なのか? ありえない。先程までここには、なにもなかったはずなのに……」




 ジーニアスは恐る恐る、その妖精に人差し指を差し出す。そして調理台の上の妖精も、恐る恐る手をかざした。そしてジーニアスと妖精が触れた途端、彼は再び驚くことになる。



「――ッ?! か、感触が!! 妖精に触れた感触がある! 私の眼の前にいるこの小さな少女は、本当に実在しているのか!」



「ええ、ちゃ~んと ここに居ますとも。彼女たち妖精は、このオルガン島発祥の種族と謳われているの。性格は温厚。いたずらっ子な妖精さんも中にはいるけど、ほとんどが、とっても友好的な種族よ」



「実に興味深い。昆虫や小動物とは違う。恥ずかしさに顔を赤らめつつ、私に対して少し怯えている。これは明らかに、知的生命体特有の仕草だ」




 店の主人が、ここでようやく本題を切り出すことができた。ジーニアスの問い――どうして液体が地面に落ちないのか? その謎の答えを。




「さっき兄ちゃん訊いたよな? 『どうして梨を覆っている液体が落ちないのか?』ってよ。その答えが、この妖精様ってわけだ。この子たちが、串に妖精の加護を授ける。そうするとよぉ、この液体が――」



 店の主人が串に水をかける。そうすると水は、串に吸い寄せられるように集まり、あの無重力のような振る舞いを見せ始めた。




「――液体が串に吸い寄せられ、地面に落ちなくなるってわけよ」




 ジーニアスはメモを取りながら、店の主人に質問する。




「この作用を齎しているのが、この小型知的生命体――妖精であると」




「おうよ! この串の内部に、水の妖精の加護を授けると、こうして液体が地面に落ちねえってわけ。ああ言っておくが、この妖精と一緒に働くよう説得してくれたのは、俺じゃねぇぞ。なにを隠そう、高位神官のルーシー・フェイ様さ!!」




 ジーニアスはルーシー・フェイという名前を聞き、側にいた現地協力者こと、ルーシーへと視線を移す。




 『まさか高位神官とは、君のことなのか?』という彼の視線に、ルーシーは顔を横に降って答える。




「ジーニアスさん、違うの、それは私のことじゃないの。あのね、この街にはもう一人、私と同じ名を持つルーシー・フェイ、、、、 、、、という女性がいるの」




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