第13話
塚堀とエリザベスは、それまでに手にした情報と日本からの情報を合わせて、なぜ外相が大使館の不手際だったと日記に記したのかを知ることができた。十四分割目の発信を遅らせたのが軍部の介入のためであり、外務省もそれに同調したことを隠蔽する必要があったからだ。
しかし、日本が宣戦布告の遅れをそれほど負い目に感じる必要はなかった。
宣戦布告無しに戦争状態に至ったケースは歴史上では少なくない。朝鮮戦争もベトナム戦争も米国による宣戦布告は存在しなかった。外務省トップが出先の大使館の不手際だったという姑息な釈明をする必要などなかったのだ。
しかし、怪我の功名とはこのことで、通達の遅れが大使館の失策だった、と大きな議論を招いたために、あの文書が宣戦布告としての要件を満たしていなかったことや、一握りの軍人による勝手な介入に対する批判をかわす効果を、米国はもちろん日本にももたらした。曲がった歴史教科書の記述はこのようにして生まれたのだ。
塚堀とエリザベスによる過去の記録を振り返る作業も最終回を迎えた。
大統領や政府のトップでさえ見誤った日本による真珠湾攻撃を、一介の解読班員に過ぎないジョージ・ジョンソンがそれを察知したとは考えられないという結論であった
午後一時指定の機密電を目にしたジョンソンは、野村大使が口頭で宣戦布告を告げるのか、あるいは日本が回答文書とは別に宣戦布告文を打電し、それを大使が携行するはずだと考えたのであろう。開戦になれば戦場は米陸軍の大部隊が駐屯するフィリピンやグアム、そして関心が集っていた軍需物資の産地である南方と考えられた。
すでにその夏に日本がインドシナ半島の南部に軍を進めたことは、米国政府内では広く知られていた。日本が原油の産地であるボルネオやインドネシアを手に入れるためにさらに南方に進軍するのは時間の問題と考えられていたのだ。
開戦にいたれば、友人のマイケル・スミスが乗組む戦艦アリゾナにも直ちに出動命令が下されることになる。西太平洋に出動すれば半年や一年間は連絡が取れなくなる。友人のスミスが戦死する危険もあった。
それで至急電報によってスミスを自宅に留ませて、ジョンソンは帰宅後に追加の電報を発電するか、あるいは自宅から電話をかけようとしたのだろう。
至急電報のおかげでスミスは大破した戦艦アリゾナの艦内にはいなかった。機関将校はあの時刻には艦底に近い機関室につめていたはずだ。ジョンソンの至急電報のために、スミスは一命を取り留めたのだった。
しかし乗員の大半が戦死したアリゾナ艦内ではスミスは戦線離脱と糾弾されても弁解し得ない状況に心ならずも置かれてしまったのだ。だから至急電報の存在を、スミスもジョンソンも生前には周囲に明らかにしなかったのだろう。
しかし、スミスにとっては間一髪で命を拾ったことには違いがなかった。遺産相続にジョンソンの名を含めたのはその友情に応えるためでもあったのだ。
「これで祖父の至急電報の謎は解けたけど、いまひとつ釈然としないことがあるのよ」
コーデル・ハルの回顧録を前にしたエリザベスが塚堀に問いかけた。この回顧録は巻末のノートを含めると一八〇四ページに達する二巻からなる大書だ。塚堀は以前に古本市で見つけて手に入れていた。
エリザベスが、「十四分割で送られたあの文書を、日本は宣戦布告と主張し、米国がそうとは受け取らなかった理由にはもうひとつあると思われるわ」
「それはどういうことかね?」
「ジム、あの年の春から真珠湾攻撃直前まで持たれたハルと野村大使の面談は、日本では“日米和平交渉”と呼ばれているのでしょう?」
「そうだ。歴史教科書でも書店に溢れる日米戦争を記した書籍にもそうとある」
「でも、このハルの回顧録ではあの一連の面談は”カンバセーション”と呼ぶだけで、交渉を意味する”ネゴシエーション”や“コンファレンス”の語は見当たらないわ。野村大使との面談の多くは懇談や意見交換だったとハルは記しているのよ」
日本では当たり前のように呼ばれる“日米和平交渉”は存在したのか? 鋭いエリザベスの指摘である。
ハル回顧録で野村との面談に触れた箇所は、全書の一割にも満たない百二十三ページに過ぎないが、九ヵ月間にハルは四十回から五十回に渡って野村と面談したと記している。平均すればふたりは毎週一回以上は顔を突き合わせていたことになる。
「ジム、国務省が戦中に刊行した日米外交資料によると、一九四一年の二月十四日に直前に新駐米大使として着任した野村吉三郎がルーズベルト大統領を表敬しハル国務長官も同席したとあるわ。その席上、大統領が、それまでの日米間で取り上げられた懸案事項を野村・ハルのふたりで振り返り、どうして食い違いが生じたのかを明らかにして関係改善策の策定に役立てるよう勧めたのね」
「それはこのハル回顧録にも同じように記載されている。海軍次官を歴任した大統領は海軍軍人には格別な親近感を抱いていたようだね。二十年ほど前に会ったことのある海軍大将の野村には大使ではなくアドミラルと呼びかけている」
「元外相で和平派とみなされていた野村大使に対して大統領は大きな期待を抱いていたことが、この初会見での大統領の発言に反映されていたといえるわね」
「その大統領の勧めにしたがってハルは三月八日に野村と最初の面談を持っている」
「回顧録によれば、ハル・野村会談の多くは夕刻時にハルのアパートで行なわれたとあるわ。日中に国務省で会うのではなく夕刻時のハルのアパートだったのは野村大使の希望だったようね」
「公式ではなく、胸襟を開いてお互いに忌憚ない意見の交換を希望したからだ」
「最初の数回はふたりだけの会談だったのが、その後はお互いに補佐官の同席を認めたとあるわ。ハルには駐日大使館に勤務したことがあり日本語にも通じていた日本課長のジョセフ・バランタインが同席することが多かったようね」
「ハル回顧録によれば、面談は通常夕刻の八時半に始まり十時、時には十時半まで続いたとある。バランタインは八時十五分前にはハルのアパートに到着して待機していた。有能な官僚だったようで、国務省が刊行した外交資料に詳細な議事録を残している」
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