第7話
「日本の外務省は駐米大使がこの回答文書をワシントン時刻の十二月七日午後一時に国務省に届けるように命じているわね。それを記した至急電報が午前四時十八分に発電されている。この邦文の九〇七号電を海軍が四時三十七分に傍受しているわ」
「七日は日曜日だったからか、傍受した海軍は七時頃に翻訳の依頼を陸軍に送っている。翻訳された九〇七号電を海軍は九時頃に、陸軍も九時から十時の間に受け取ってそれぞれの関係先に配付したとある」
塚堀がノートを見ながら、「一方、外務省の記録ではこの至急電報を日本時間の七日午後六時半に中央電信局が中継したとある。ワシントンでは七日朝四時半のことだから、これは米国の記録と大きな差はない。ところが米国が直後の四時三十七分に傍受していたのに対して、日本大使館が受取ったのは七時から九時の間で、解読を終えたのは十時半から十一時だったと外務省では記録している」
「日本大使館が受信までに時間を必要とした理由はなにかしら」
「それは大使館は米国では民間のふたつの電信会社を経由して受信していたからなんだ」
「大使館が解読を終えて、大使が一時に国務省で文書を手渡せとの訓令を知ったのは、米国の指導層がそれを知ってから一時間半から二時間後だったことになるわね」
「日本大使館は大使が午後一時に訪問することを国務省に電話で通知している。議会証言では、その電話は午前九時過ぎ、あるいは十一時前後と二説あるが、上記の記録からは十一時が正しいと考えるべきだろうね」
「いずれにしても米国は大使が一時に訪問することをそれ以前に傍受した電報で知っていたのだわ」
「この日は日曜日だった。だから大使館では現地の職員は休日で、そして広く知られていることだが、外務省は現地職員が回答文書をタイプすることを禁じていたために奥村勝蔵一等書記官が馴れない手つきでタイプせざるを得なかった」
「通常以上の時間を必要としたことになるわね」
「そうなんだ。それに加えて、最近の日本での研究によると、最初の十三通にあった誤字や修正を要する箇所を記した電報を、外務省が十四分割目の電報と同時に発電していたことが米国連邦議会図書館所蔵の記録から明らかにされた。十四通目と同じように六日ではなく七日になってからだった。だから大使館はいったん完了した十三分割分の修正にも追われたことになる」
「これまでの日米双方の記録から、日本大使館が二千五百字もの長文をタイプして外交文書の体裁に整え、それを手にした大使が午後一時に国務省を訪れる時間的な余裕はなかった、と考えるのが妥当だわね」
「至急の指定がない上に、このような修正も加わった。大使館の怠慢という説は、このような史実を無視している。当時の外務大臣の日記の記述を鵜呑みにしたに過ぎないことが明らかだな」
「外務大臣はなにか別のことを隠す必要があったのかしら?」
「当時の大使館が置かれた状況を知る者はそう考えて当然だな。日本にはそれを指摘した書もある」
エリザベスがノートと比べながら、「奇数日だった七日は海軍が傍受の任務に当っていたはずだわね。祖父のジョージ・ジョンソンが零時から午前八時までの勤務で、日本語にも通じていたのなら、解読したばかりの九〇七号電を英文に翻訳する前に目にした可能性があるわね。日本の大使がその日の午後一時に国務省を訪れることを知ったことになるわ」
「そうだ。それに外務省は同じ朝の九一〇号の暗号電報で、駐米大使に暗号機の破壊と機密書類の処分を命じている。これもジョンソンは目にしたのかもしれない」
「実家に泊まっていたスミスはジョンソンからの至急電報を七日の朝四時頃に受取ったそうね。五時間半の時差と発信から受信までに要した時間はおそらく一時間だったから、発信はワシントン時刻の八時半ごろになるわね」
「夜勤明けのジョンソンが帰宅の途中で電報局に立ち寄って至急電報の発信を依頼したと考えられる」
「九〇七号と九一〇号電を見たジョンソンが、これだけの情報で真珠湾攻撃を察知したのかしら? それを友人のスミスに知らせたくて休暇を延長するように至急電報を打った?」
「それを判断するためには、先ず、十三通の文書を手にした米国政府関係者の反応を知る必要があるね」
「調査書に付属書類として収録されている十二月六日に傍受した十三分割には、判読できなかったか、あるいは日本からの電文に脱落があったのか、そのような三箇所の注記が含まれている」
「日本からの発電文は英文だったから邦文から英文への翻訳に伴う誤訳や誤解はなかったことになるわね」
「ルーズベルト大統領やハル国務長官など米政府のトップが手にしたものはこの付属書類に掲載されているものだったことになる。ハル・ノートと呼ばれた十一月二十六日の米国政府の覚書に対する日本政府の回答文、と見出しにある」
「明日は先ず米国政府の指導層が手にした、米国が解読したこの十三本の電報の現物を見てみましょうよ」
「そうしよう。日本でもこれを一読した者は少ない。よい機会だ」
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