天地攪拌



 透明化能力スパルトイは、地面に転がっていた『仮想世界作成』スパルトイを拾い上げたのか、正八面体の淡い橙の石が溶けるように消える。

 だが、目を凝らせば空間の中に靄があるのが解る。

 慶が言う。


「そうか、光の屈折じゃないか? 多分、体の表面が、莉雄が使った黒い煙で溶けてざらざらになったから、上手く反射しなくなったんだ」


 莉雄がその靄の進む先へと出る。


「詰みです。諦めてください」


 靄が一歩、また一歩と後ずさり、そして、何か急激な動きをする。走って逃げるわけではなく、それが何かを投げたのだとわかるのは、その直後のことだ。

 宙を舞う、正八面体の淡い橙の光が宙を舞う。『仮想世界作成』スパルトイを投げたのだ。

 それを莉雄が手を伸ばす。


 しかし突然、甲高い破裂音と共に、莉雄の体に痛みが走り、動けなくなる。

 既に下半身と右腕、右側頭部を失って動かなくなっていたはずの電撃を扱うスパルトイ、アリーサの左手から、莉雄へ電撃が放たれていたのだ。その電撃は莉雄を捕らえ、彼の動きを阻害した。

 そして、『仮想世界作成』スパルトイは、倒れて動かない、上半身だけのスパルトイ、アリーサの左手の中へ納まった。淡い橙の光に彼女が放電する。



 ガラスの擦れる音に似ていた。辺り一面に響くその音が、世界が軋む音だと分かるのは、すぐの事だった。

 地面が動き、ねじれ、隆起し、波うち、地割れによって大地が無数に裂ける。噴き出す地下水は重力を無視して逆巻き天に上る。


 空から無数の陶器の欠片のような物が降り注ぐ。それが空を構成していた物体だと気づくのもすぐの事だった。

 空に入っていた黒いひびは、もはや大きな穴になっていた。その向こうに夜空より漆黒の空間が広がっている。いや、その向こうに無数の目があるのが解る。


 それぞれが立っている地面それぞれに重力があるかのように、崩れ動く地面それぞれが独立して空間を彷徨い始める。そのすべてが、はるか空の向こうの黒い空間に吸い込まれるように並び立ち、渦を巻く。


 所謂、天地崩壊の絵図とはまさにこれと、世界そのものが万華鏡の中身の様に入り乱れる。


 その中心に輝く橙の強い輝きと、それを掲げる五体不満足のスパルトイが、渦巻く大地の中央で浮いている。

 橙の輝きに包まれ、その体の失われた右腕、下半身、右側頭部は肉が膨れ上がるように修復する。更に、漆黒のその頭部を、ヘルメットを脱ぐように外し、その内部から整った金色の髪を振り乱しながら、彼女は人のごとき姿へと変貌した。


 アリーサの声が響く。大地が嘶く音よりはっきりと聞こえる声で。


「私はこの世界の支配権を得た! 端から、これを狙っていたのよ! ええ、そうよ。これが有れば、ハルモニアなど知った事じゃない。すべてが、私の思い通りになる! ようやく!!」


 莉雄は、崩れて方々に散って浮かんでいる地面をそれぞれ見る。見れば、全員がばらばらに孤立させられている。

 崩れた大地が、アリーサの指揮に合わせるように宙を泳ぎ回り、渦を巻いてぶつかり合う。

 莉雄は、ギフテッドではない慶と、意識を失っているであろう刹那を探し、崩れた地面に飛び渡り、まず慶を見つけた。

 慶は、崩壊した地面にすがるように這っていた。


「慶! 無事!?」

「ああ……めっちゃ頭打った以外はなんとかな……」


 見れば、頭を切ったのか血が出ている。立ち上がれない慶に肩を貸し、直後に見つけた枝折の元へ連れていくべく、枝折に言う。


「一宮さん! お願い! 慶を頼みたい!」


 枝折は莉雄と慶に気付く。枝折はスパルトイであることもあり、ほぼ無傷の様に見える。

 枝折は特に何も答えずに慶に肩を貸す。


 莉雄は、次に刹那を探したが、それより先に大翔と葵を見つけた。二人は同じ地面の上に居るが、大翔は伏したまま動きそうになく、葵はそれに付き添っているように見える。

 莉雄はまた複数の崩れ行く地面を越えて行く。


「糸織さん! 大翔は!?」


 無事なのかと聞きたくなったが、どう見ても無事ではない。

 倒れたまま動かないその姿には、酷いノイズがかかり、度々姿が黒い影になる。言わずもがな、アリーサが『仮想世界作成』スパルトイを入手した影響だろう。

 葵が言う。


「なんとかしなきゃいけない。でも、空を飛ぶ力なんてないし、どうしたら……」

「なら、ボクがなんとか……なんとかする」


 無論、莉雄も飛行能力などない。だが、霞の状態になってから自由落下に任せれば、あるいは……いや、そもそも、この空間で自由落下に任せた場合、どこへ向かって落ちるのか……あるいは、それすらも、アリーサの指先一つなのではないか。


「なんとかって……どうやって!?」

「わからない。でも、どうにかする必要があるんだ! そうだろ!?」


 莉雄は、陰になりつつある大翔の顔を覗き込み、肩に触れながら言う。


「大翔。ボクがなんとかするから……」


 無論、大翔に反応はない。

 莉雄は世界の中心にある橙の星を睨む。

 だが、その前に、意識がもうろうとしているのはもう一人いたはずだ。刹那がどこに居るのか……



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