掻きむしる


 刹那が咄嗟に、葵と莉雄と慶を人気のない、公民館の外、公民館の裏まで人を払いながら誘導する。


 公民館の裏は複数のエアコンの室外機がうるさく音をたてている。それ以外に音らしい音はしていない。お互いに近い位置にいるなら会話をするのに邪魔というわけでもく、第三者が立ち聞きするにはうるさ過ぎる、密会にはうってつけだともいえる。

 刺すような陽射しと室外機が吐き出す熱風がとても邪魔だが、ここでなら思う存分話すことはできるだろう。


 葵が泣き止むまで全員が特に何か言うでもなく待った。

 葵が口を開く。


「ごめん。あたしは思い出した。全部ってわけじゃないけど……でも、スパルトイや父さんのことは思い出せた」


 慶も自分も思い出したと言い、更に続ける。


「なんでかはわからないが、昨日のことがじんわりと、少しずつだが思い出せてきてる。むしろ、何で忘れてたんだ?」

「さぁ……僕も、スパルトイにとどめを刺した後のことは思い出せない。もしかしたら、そのあと何かの攻撃を受けたのかもしれない」


 慶の言葉に刹那が予測を話す。


「何なのか分からない。思い出せないから、何か、としか……ただ、僕らは記憶を上書きされていた以外は特に異常はない……んじゃないかな?」

「つまり、昨日の俺たちの記憶をいじった奴は、スパルトイみたいに俺たちを殺そうとしてた、ってわけじゃない、ってことか? そうなると余計にわからないな」


 慶と刹那がそう会話をする中で、莉雄は大翔はるとのことを言い出せずに居た。みんながまだ忘れたままの記憶。

 大翔が全員を眠らせて、おそらく記憶を書き換えた。でも、それならなぜそんなことをしたのか。……莉雄は怖くて聞けない疑問が喉元までせりあがって来ていた。親友は、敵なのだろうか?


 慶が言う。


「ともかく、ギフテッドとスパルトイ、これらに関する記憶を俺たちは取り戻した。それに、スパルトイはもう倒したんだ。なら、大丈夫だろ。むしろ、記憶を取り戻したことがバレない方が良いかもな?」


 莉雄がそれに対して疑問を挟む。


「どういうこと?」

「いや、考えてみろ。記憶を改竄してきた奴が居るとする。奴は記憶を書き換えた後の俺たちに“普段の生活”をさせたがってる。だから、記憶を書き換えた後、俺たちを普段の生活に戻したんだろうからな。だが、もし、と思ったら? 俺なら、次はもっとしっかりと記憶を書き換えるね。もしかしたら、全く別人としての記憶を植えつけられるかもな」


 全員がその言葉に黙ったため、慶が苦笑いしながら続ける。


「まあまあ、スパルトイはもういないんだぜ。なら、普通に、今は文化祭をやってりゃいいってことだろ?」

「どうだろう?」


 刹那がそこに口を挟む。


「あ、いや、普段通りの行動を、ってのは解る。そこじゃなくて、スパルトイはもういないんだろうか」

「え? あんなの何体も居たら堪らないんですけど? ってか、スパルトイって個人名というかなんて言うか何じゃないの? もしかして量産型とか言う?」


 慶の言葉に、刹那は頷く。慶が何か言葉にならない言葉で嘆く。

 刹那が続ける。


「スパルトイ、ギリシャ神話の存在なんだけど、元々の意味は“かれた者”……古代ギリシャ、テーバイの祖とされるカドモスと言われる人物が、自身の信仰する女神に水を捧げようと、とある泉に部下と共に水を汲みに」

「待って、その話長い?」


 話が長くなる気配を察した慶が口を挟む。

 刹那はムッとした調子で、少し語気を強めながら言う。


「……竜の牙を複数蒔いたらそこから兵士が沢山出てきた。その兵士をスパルトイと呼んだ。そんな感じ!」

「端折り過ぎて逆にわからねぇ! 竜どこから出てきた!?」

「ともかく、スパルトイって名前から考えるに、複数居るんじゃないかと僕は思うよ。それこそ、


 少し重たい空気が流れる。

 公民館の裏で、暑い日刺しの中、室外機の熱風を受けながら浮かべる悪いイメージ……

 慶がうめくように言う。


「ああもう、とにかく、あちいよ、ここ。中入ろう。水分取って涼まないとスパルトイ以前に熱中症で死ぬ」


 葵もそれに同意する。


「そうね。あたしももう落ち着いたし。まずは中に入りましょ。暑くて仕方ない」


 全員が公民館の中に戻るために移動を始める。


 直後、昨日聞いた覚えのある音が、かすかに聞こえた。低い鐘の響く音。あの黒い人型の兵器が、空を割いて現れた時の音……。

 その音は、公民館の中から聞こえているように思えた。


「おい……俺、能力無いし、逃げて良いよな?」


 慶が嫌そうにつぶやいた言葉に、莉雄が答える。


「逃げてもきっと追ってくるよ」

「だー! 解ってるって! ああ、ちくしょう!」


 莉雄も逃げ出したくなる気持ちだったが、逃げても追ってくることは解っている。逃げれないなら、怖くて嫌であっても、どうにかするしかない。とても、嫌ではあるけれど。


「公民館の中って……うちの生徒ばっかりだよね? 全員がギフテッドな訳が無いんだし、これってヤバいんじゃ!?」


 葵の言葉に全員が公民館の中へと急ぐ。



 公民館の入り口へと急いだ四人が見たものは、異様な光景だった。

 呻く生徒がそこら中で床に倒れてのたうち回り、体中を掻きむしっては血を出している。見れば体中が腫れている。


「おいおい、今度のはなにか? 病気でも振りまく気か? 俺逃げてていいよな?」


 見れば、多くの生徒の肌は赤く腫れあがっている。

 莉雄は慶に言う。

 慶は何か、自身の肌を叩いている。


「そう……だね。慶くんは一応、公民館の外に出ておいて、それで携帯とかで連絡を……慶くん?」

「そうだな……逃げれたら良かったんだが……なるほど、今度のスパルトイは、これだ」


 そう言って、慶は血にまみれた手を見せる。


「違う違う。血じゃない。その中に、黒いの居るだろ? ほら、白と黒の縞々の」

「これって……」


 それは、誰がどう見ても潰れた蚊であった。それが、潰れた死骸が血にまみれていることもあり、これが生徒たちを集団で刺した結果なのではないかと慶は考えた。


「ただ……多分普通の蚊じゃない……やばいぞ。蚊に大量に刺されたからって、こんな短時間で歩けないほどになるわけないだろ。どう考えても蚊になんか仕込んでんじゃないか?」

「何かって、何?」

「知らん。知らんが、多分毒とかじゃないか? すげえ……息苦しい……」


 慶は喉や胸、腕を掻きむしりながらその場から床に手を突くように倒れ込む。

 刹那がどこからか、消火器の消火剤を振りまきながら現れる。


「蚊なら、ほんの少しの要因で飛べなくなるって聞いたことが有る。そよ風や雨ですら飛べないはず。僕は公民館のスクリンクラーとかが動かせないか探してみる。あと、救護が必要そうな生徒に応急処置をして回る」


 葵がそれに答えるように言う。


「OK。じゃあ、あたしはスパルトイを探してとっちめる。蚊だって、多分あたしは刺せないだろうし」

「え、えっと、ボクはどうしたら!?」


 莉雄は咄嗟に自分がどう行動すべきか、判断がつかなかった。他の人たちのようにすぐに状況を判断して、自分に何ができるかなど……そもそも、自分には何ができるのか……。

 慶がうめきながら莉雄に言う。


「アホか……糸織じゃ、攻撃できないだろうが……早く、なんか、解毒剤とかをだな……」

「じゃあ、言世くんはあたしと一緒に! 良いね? 行こう!」


 そう言って葵は走り出す。

 莉雄は、自分は蚊に刺されないのか、刹那も刺されないのか、慶をこのままにしておくしかないのか、そもそもスパルトイは今この公民館の中に本当に居るのか、居なかったら? 様々なことを考えては考えが消えていく最中に居た。

 葵が莉雄の傍まで戻ってきて、莉雄の手を引いて走り出す。


「ほら! 今はとにかく敵を探して! 考えながら走って!」

「あ、ああ、うん!」


 まだ不安に駆られている莉雄の手を引いて、葵は公民館の大ホール、演劇部などが出し物をする予定であったホールに入っていく。


 濃いワインレッドのモケット生地で出来た観客席が一点を見つめるように配置されている。その視線の先には、大きな舞台がある。数多の物語を語り、演奏を奏で、時にスピーチや表彰などにも使われるであろう大きな舞台だ。

 そこに、いくつかのアンティークな椅子と机、陳腐で抽象的な絵が描かれた壁があり、何より目を惹くのは、椅子に座り込んだ黒い人型をした、骸骨のような死神。スパルトイだ。


 葵がその姿を見て言う。


「やっぱり、本当に複数居るんだ」


 スパルトイが椅子から唐突に立ちあがって言う。


「あいつはこれから先に死ぬはずだったろう。こんな報告を聞く時は、未来であるはずだった」


 アンテークの椅子の背もたれを持ち、舞台の上で右へと歩く。


「明日、そして明日、そしてまた明日……この小刻みな足取りで一日一日が、黙示録に記された時の最後の一節まで這っていく」


 そしてまた、椅子を持ったまま左へと歩いていく。


「振り返れば、昨日という昨日は、痴れ者どもを塵芥へと導く空しい死の灯り」


 舞台中央に戻り、持っていた椅子の上に登って言う。


「消えろ! 消えろ束の間の蝋燭の火よ! 人生は影法師、哀れな役者にすぎぬ。自分の番が来れば精一杯に演じはするが、一度終われば、後は……」


 椅子から飛び降り、葵と莉雄を見る。表情のない頭部で、眼球の無い顔で、確かに二人を見る。見られたと、二人は確かに感じた。


「声は憤りに満ちていようとも、すべて間抜けで……無意味である」


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