第2話 メジャー・ディジーズ

 物心つく前の事だった。俺は大病を患った。日本の医療技術では治せないって事でアメリカに渡って手術は行われた。


 病気も治って、後遺症も無い。だから自分が病気を患っていたなんて事は知らなかった。


 中学校二年のあの時までは。


 高校はどこに行くかと父親に聞かれ、俺は進学をせず音楽の道に進みたいと言った。すると両親は今まで明かすことのなかった事実を打ち明けたのだ。


「お前は幼い時に死にそうだったのを、アメリカの病院で手術してもらって助かったんだ」


 ただそれだけなら全く問題の無い話だった。続きが難題だった。


「海外での手術は保険が効かないから、その時の莫大な医療費は募金で賄ったんだ。だからお前の命は皆の善意の上に立っているんだ。その事をちゃんと考えなさい」


 両親の明確な悪意に腹が立った。

 同時にこの世の全ての善意に怒りを覚えた。

 俺は俺として俺の命を全うする気でいた。

 だと言うのにその実違って、俺の命は大勢の他人の善意によって成り立っていて、人生の歩み間違いは一切許されないと言う事なのだ。

 高校に進学をしないと言う決意の前に、二人がこれを提示したって事は、つまりそう言う事だろう。


 それからの日々は地獄だった。


 何をするにも苦痛だった。


 例えば学校帰りにジャンクフードを買い食いした時。

 例えばテストの点数が悪かった時。

 例えばマラソン大会で完走できなかった時。

 例えば風邪をひいた時。

 例えば嫌いな食べ物をよけた時。


 いつも脳裏に過るのは人様に生かされたと言う事実。


 募金をしてくれた人が今の俺を見たらどう思うだろうか。落胆するだろうか。こいつがこの程度の人間だったなら、募金なんてしなかったって思うだろうか。皆が思う最良最善最高の人間にならなくてはいけないのではないか。何になればいい? 医者か? 弁護士か? 或いは政治家か?


 そんな事を考えながらコンビニのレジの横にある募金箱を見た時、そこに貼ってあった紙にはこう書いてあった。


〈たった100円で救える命があります〉


 俺の手術に一体いくらかかったのか知らない。だが親が用意できないほどの金となれば最低でも100万円はくだらないだろう。もしかしたら1000万円くらい掛かっていたりするかもしれない。だとしたら俺は最低でも1万人の犠牲の上に胡坐あぐらをかいて座っているのだ。


 俺と言う存在が居なければ、その100万円はこの募金箱に入っていたかもしれないのだから。


 こんな事実に直面した時、死にたいと人は感じるのかも知れない。


 でも今の俺は死ねない。


 救われた命だから。

 生きる事が義務化した命だから。


 自然発生的に生み出されて己の思うままに生きていく事を完全否定された命だから。


 死にたいと思うことすら罪で、どれだけ無気力で前を向けなくても、明るく歯を見せて笑って胸を張って生きて往かねばならないのだ。


 ただ生きている事がこんなに苦しい事だとは夢にも思わなかった。


 俺は両親を憎んだ。


 そんな風にして俺を脅迫するくらいなら、初めから助けるなよ。

 あの時死んでおけば、死にたいと思っちゃいけないなんて、思わなくても良かったのに。こんな惨めな気持ちにならずに済んだのに。


 どうして俺は生きているんだ。


 どうして生きている俺から生き場を無くすんだ。


 俺の生き場はどこなんだ。


 只々虚しくて、毎日独りで詩を書き続けた。激しくて乱暴な詩を。世界の誰にもばれないように。

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