第16話 桃華の買い物

 篤紫とオルフェナが大騒ぎをしていた頃、桃華はスワーレイドの街中にあるオシャレな喫茶店で優雅にお茶を飲んでいた。


「いい天気ね、初めて入った喫茶店だけれど、どうやら当たりみたいね。

 景色も綺麗だし、いいお散歩日和だわ」

 紅茶にミルクを入れて、砂糖も一欠片投入、軽くスプーンでかき混ぜる。

 蜂蜜をたっぷりとかけたパンケーキを口に入れると、幸せの香りに包まれた味が口いっぱいに広がった。


 喫茶店の窓からは、雪を頭に乗せた街路樹が、優しい風に吹かれて揺れていた。晴天の日差しは、室内から見ても暖かい。

 通りの向かいの料理店には、お昼の順番待ちをしている人が数人軒先に並んでいた。時折、荷馬車が視界を横切る。


 そう言えば何か忘れている気が……。

「あ、さっき買い物した野菜屋さんに、オルフに貰ったキャリーバッグ置いて来ちゃったわ……。

 お店、どこにあったかしら?」

 実はそう、桃華は道に迷っていた。


 街まで来て、魚屋と野菜屋で食材を買ったまではよかった。

 そのあと、フラッと寄った洋服屋で中を見た際に、反対の出口から出てしまったらしい。そのまま、通り沿いにあった宝飾屋で小一時間、綺麗に並べられた宝石に見とれる。

 あとで篤紫におねだりするものをいくつか見繕って、匂いに釣られた屋台で串焼きの肉を買った。ゆっくり食べようと公園までの道を聞き、途中のフルーツ生搾りのジュース屋で飲み物を追加で調達する。

 公園までの道沿いで目についた路上パフォーマンスに見入って、ひとしきり笑った後に入ったお店が、今いる喫茶店だ。

 ちなみに、肉串とフルーツジュースはいつの間にか無くなっていた。

 桃華さん、流されすぎです……。


「うーん、確かキャリーバッグを無くしたら、このネックレスの宝石をリズムよく弾くって言っていたわね。

 一億くらいかかるって言っていたけど、家に、そもそもお金無ことはオルフも知っているはずなのに。

 それなのに私なら大丈夫って、意味分からなかったわ」

 首に掛かっているネックレスを持ち上げて、宝石の部分を弾く。


タッタ、ッタラッ、タッタ


「……だったかしら?」

 桃華の足下が光り出した。光が収まると、そこにキャリーバッグが顕れた。


「これは便利ね。

 私がお店でよく、買った物を忘れて家に帰っていたからかしら?

 いつもは篤紫さんにお願いして一緒に取りに行って貰っていたけど、これなら万が一、忘れることがあっても大丈夫ね」

 既に万が一が起こっていることに、桃華は気づいていない。


 喫茶店で支払いを済ませて、忘れないようにキャリーバッグを後ろ手に引きながら、通りに出た。

 桃華はあごに手を当てて首をかしげる。


 困ったわね。

 お洋服を頼んだお店どこだったかしら?

 大通り沿いにあったから、迷いようがないはずなのだけれど。

 ここも大通りよね……。

 もしかして……私、道に迷ったのかしら?


 周りを見回すも、今いる通りも十分に大通りだった。道幅は広く、街路樹や街灯も綺麗に等間隔に並んでいる。

 そもそもがスワーレイド市街は綿密な都市計画の上に、正確なマス目に作られた都市だ。間違えないようにすべての通りに通り番が振られているが、篤紫に着いて歩いていただけの桃華が、それを見ているわけが無かった。

 見たことのあるような、似たような景色にしか見えない。


「お嬢さん、お困りのようですが、どうかいたしましたか?」

 桃華が途方に暮れて立ちすくんでいると、横から誰かが話しかけてきた。


「あら、もうお嬢さんの歳じゃないわよ」

 そこにいたのはスーツを綺麗に着こなした、初老の男性だった。首元と手の甲に鱗が見えているから、恐らく竜人なのだろう。瞳孔も縦に長い竜の目だ。


「いえ、自分の歳からすれば、そなたは十分にお嬢さんですよ。これでも自分は、250年近く生きていますからね。

 この街も、自分が幼少の頃に、当時の魔王の発案で都市の整備をしてこの形になったようですよ。

 道路を広くして交通の便を良くした反面、そのせいで初見の方には現在地が把握しづらい街になっているようですが」

「確かにマス目になっているから、ここがどこなのか分からないわね」

「旅人の方が地図とにらめっこしている姿をよく見かけますよ。お嬢さんもこの街は初めてなのでしょう?」

「初めてではないですけど、まだ1週間くらいかしら?」


 そうしてわかったことは、当初の目的地がある通りから、だいぶ西の方まで来ていたことだった。

 7つか8つ、通りを戻らないといけないようだ。

 なぜこんなところまで来ているのか、全く覚えがなかった。


「道案内……までは、しない方が良さそうですね。

 3つ向こうの街路樹がある通りを曲がってすぐに、街の総合案内所がありますから、地図を貰って確認するといいでしょう」

 そう告げると、竜人の男性は笑顔で去って行った。


 さすがに警戒していたことに気づかれたようだ。

 総合案内所で貰った地図で現在地と目的地を確認して、数刻。やっと服を頼んでいた服飾屋に行くことができた。





「おや、先ほど以来ですね」

 お店に着くと、お約束が待っていた。先ほど声をかけてくれた竜人の男性が、お店のカウンターで店員と話をしているところだった。


「先ほどはありがとうございました。目的地が一緒だったのね」

「いえいえ、あれから自分のお店を3店舗ほど回って、ちょうどここに着いたところですよ」

「とすると……」

「ええ、ここは自分の経営する服飾店の1つになります。

 一応毎日、問題が起きていないか全部の店舗を回ることにしているのですよ。散歩ついでなので急ぎではないですが、より正確な情報は自分の足で集めないと駄目ですからね」

 そう言って笑顔で椅子を空けた。


 魔法と魔術で身の回りが便利な反面、通信関係はほとんど開発されていないのだろう。

 情報と人の流れがゆっくりで、とても優しく感じた。

 妙に忙しなかった日本が、もしかしたら異常だったのかもしれない。


 そう考えると、異世界に移転したのは、もしかしてすごく幸せだったのだろうか。


 ひとしきり竜人の男性と話し込んだ。

 お金を払って、頼んであった衣服を受け取ると、竜人の男性と店の店員にお礼を言って店を後にした。




「それにしても、このキャリーバッグ、たくさん物が入るわね?」

 そのあとも食材や生活雑貨を購入して、それをキャリーバッグに入れていた桃華は、今更ながら驚いた。

 考えなしに入れていたけれど、間違いなく外見の容量以上の物が収納されている。そもそも桃華自身、どれだけの物を買って入れたのか覚えていないのだが……。


 まぁ……入るのなら、気にせず入れればいいわね。

 深く考えないことにした。

 




 買い物を終えて市街地を抜け、間違いなく朝来た、見覚えのある道を歩き始めて、ふと、思い出した。

「あっ、そっか……」

 桃華は鞄の中からスマートフォンをとりだして起動させる。

「篤紫さんに、マップで目的地までのルートを設定して貰っていたんだっけ」

 開いたマップアプリには、家までのルート案内がまだ続いていた。思い出していれば、お店まで迷わずに行けたのかもしれない。

 地図には軌跡が表示されていないが、恐らくかなりリルートしていたのだろう。何気に申し訳ない気持ちになった。


「危ない危ない、この先のY字を左だったわね」

 時間的にもう少ししたら夕暮れ時だろうか。桃華から伸びる影が長くなっていた。


タッタ、ッタラッ、タッタ


 また、いつの間にか忘れてきていたキャリーバッグを召喚して、桃華は家路を急いだ。


 ……オルフェナは、かなりいい仕事をしたようだ。

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