第3話 森の守人

 膠着状態が続いていた。

 遠巻きにまわりながら、オオカミの赤い目がこちらを狙っていた。


 その数十匹。

 そもそも、体長がが四メートルにも達する大型のオオカミ。

 雪景色の林の中、漆黒の多毛は否応なしに存在を認識する。


 ただ大きいだけでなく、口から火を噴く魔物。

 呼吸をするたびに、口の端から赤い炎が漏れ出していた。

 存在自体の意味がわからない。



「おとうさん……怖いよぉ……」

 夏梛がしがみついてくるが、篤紫も恐怖で声が出てこない。

 むしろ体が震えて、身動きすらとれない。

「篤紫……さん……」

 桃華も弱々しい声で呻く。


 明らかにこちらを狙っている大型の獣。

 平和な日本に生きてきて、野性の獣に襲われることは一度も無かった。

 当然ながら、戦うことなんて、考ることすらできない。

 いったい何ができるのか、頭も回らない。

 絶望的な死を意識した。





 そして、オオカミが動き出す。


 一匹が歩みを止めてこちらに顔を向けた。

 口元から炎が激しく溢れ出す。

『ゴウウゥゥ!!』

 おおきく開いた口内から、一メートルは程の炎の塊が吐き出された。猛烈な勢いで車に向かって飛んでくる。


 尾を引く火炎の放射とともに、炎塊が車に着弾した。

 跳ね上がる車体。強烈な爆発に車体が激しく振り回される。視界が真っ赤に染まった。



 近くにある木が一瞬で炭化した。

 高温でむき出しになった地面が灼熱に沸き立ち、一瞬にして真っ白く燃え尽きる。

 炭化し超硬貨した木で周りが固定されている。逃げ道がない、そもそも逃がす気すら無いようだ。

 耳をつんざく爆音で、頭がクラクラした。視界がチカチカと瞬く。


「きゃあああぁぁ」

 当然一発だけで終わらず、次々に炎塊が着弾して激しく揺さぶられた。

 爆発にえぐれる大地。翻弄される車体。


 全匹、十発分の炎塊の洗礼。当然それだけに終わらない。


 ――ガギンッ!


 大口を開けたオオカミが、八方から次々に車体に噛みつく。

 激しく車体が揺れる。

 体長四メートルもあるオオカミが顎を開けば、横から車体を挟み込めるほど開く。噛みつかれれば相当な破砕力がかかる。


 ――ギャンッ!!


 次々にかみ砕かれる音に、飛び散る白い破片。

 そこにオオカミの悲鳴が重なる……悲鳴?



 おかしい。


 何かが砕ける音がするのに、ガラスが割れない。車体が潰れる様子もない。

 飛び散る破片は何なのか?


 未だおぼろげな視界に、しっかりとは分からないが、噛みつかれるたびに白っぽい破片が飛び散ってはいた。


 もしかしてオオカミの牙なのか?

 わからない。


 さっきから炎の塊が着弾しているにもかかわらず、車内が熱くならない。

 着弾している炎弾が灼熱の業火であることは、一瞬で炭化して、立ったまま硬化した木を見れば考えるまでもない。

 地面すら溶解してえぐれる、まさに灼熱の業火にもかかわらずだ。


 何かがおかしい。

 異常事態が終わっていない。


 再びオオカミたちが遠巻きに回り始めた。







『ピイイィィーーーーーーッ!』


 唐突に鳴り響く呼び笛の音。

 森の奥から何者かがこっちに向かって駆けてくる。

 旋回していたオオカミが歩みを止めた。


『アオーン!』


 オオカミの遠吠えに、オオカミたちの意識が、新たな敵に向かうのが分かった。

 オオカミたちが一斉に駆け出す。



 来たのは新たな敵か、それとも味方か……。


 驚きと恐怖から来る体の硬直は、未だに解けていない。

 篤紫たちには、推移を見守ることしかできなかった。



 駆けてきたのは、遠目に人型の何者かが五人ほどだろうか。

 向かっていったオオカミの襲撃を危なげなく躱すと、車から離れたオオカミと篤紫たちの間に立ちはだかるように展開した。

 車の周りを守るかのように立ち回る。


 一旦車から離れたオオカミたちが、ゆっくりと歩いてくる。

 そして再びオオカミに囲まれた。



 近くに来たことで、駆けつけてきた人の姿がしっかりと確認できた。

 深緑色の衣服の上から、濃い茶色の鎧を着ている女性だった。

 腰には剣が提げられ、右手には弓が握られていた。


 長く黒い髪を後頭部に結いだその女性は、深紅の瞳で篤紫を一瞥すると、左手を上に掲げる。

 それは優しげな、深く赤い瞳だった。

 一斉に他の四人も、同じように手を上に掲げる。



『ミシッ!  キシシシッッ!!』


 頭上に拳大の氷の塊が複数顕れる。そのまま氷は成長を続けて、一気に二メートル程の氷槍に成長する。

 見える範囲で二十本は確認できる。


「すごい……」

 思わず感嘆の声を漏らしていた。

 危険な戦場において、すごく美しい光景だった。


 そして流れるように振り下ろされる手と同時に、氷槍は一斉に雨のように、次々とオオカミたちに降り注いだ。


 負けじと、オオカミの口から吐き出された炎の塊を、まっすぐ刺し貫き爆散、勢いをそのままにオオカミたちを残らず貫き抜く。


『ガガガガガガッッ――』


 轟音とともに、そのまま大地に突き刺さった。

 そして、訪れる静寂……。



「あつ……し、さん」

 桃華が震える声で名前を呼ぶ。

 助手席の夏梛は、篤紫の腕にしがみついて震えている。


 まさに圧巻。

 想像を絶する光景に声が出なかった。


 それは物理現象を超えた、魔法の世界だった。

 灼熱の炎すら貫く、圧倒的な氷の力。


 初めて目にした魔法に呆気にとられていると、女性が近づいてきていた。


『コツコツ』

 窓を叩く音に、呆然としていた意識が戻る。


 慌てて、手をあげて応えた。

 何とか伝わっただろうか?


 女性がドアから少し離れたのを確認して、未だ震えている夏梛の腕を優しくほどいてから、ゆっくりとドアを開けた。

 震える足で何とか地面に立ち、女性に黙礼した。


「大丈夫ですか?

 ヘルウルフに襲われていたようですが、ご無事のようで一安心しました」

 笑顔で告げる女性に敵意は無いように見えた。


 篤紫はからからに乾いた喉に、無い唾を飲み込む。

「た、助けていただき、ありがとうございます」

 なんとか助かったのか……。


 周りに散らばっていた女性の仲間たちが集まってきた。




 助けてくれた男女はこの先の国に所属する、周辺警備隊だという。

「申し遅れましたが、部隊長のユリネです」

 声をかけてくれた女性がこの隊のリーダーだそうだ。

 最初にガラス越しに篤紫と目を合わせた女性だ。


 ここしばらく森の浅いところにヘルウルフが出没するため、一日に数回見回りをしているという。

 本来は山の上の方にしか出ない魔獣だそうだ。


 午前中は猛吹雪だったため、今日は午後のからの見回りだったらしい。

 激しい爆発音に気づき、襲われている馬車が確認できたため駆け付けてくれたのだそうだ。


 もしかしてここは……日本じゃ無いのか?

 ユリネさんの口から聞こえた『国』という言葉に内心首を傾げた。


 答えの出ない疑問が頭を巡る。

 少なくとも日本には炎を吐く大型のオオカミはいないはず。

 そもそもがオオカミは絶滅している。


 それに、彼女たちは魔法を使っていた。

 誰もが小さい頃に憧れる、あの魔法。


 午前中は間違いなく日本にいたはず。

 オオカミから逃げていて気づかなかっれどが、だいぶ峠を下ったはずなのに民家がない。

 情報が少なすぎて正確な判断ができなかった。

 桃華と夏梛が、右のスライドドアから恐る恐る出てきた。


 車を見ると、多少煤けてはいるものの外傷はなさそうだった。

 むしろ無傷だ。

 ただ、前後と左を炭化した木に挟まれているため移動ができそうもない。


 思わずため息が漏れた。

 移動するにしても、とりあえず車はあきらめるしかないのだろう。





 話によると、ここから街道に出て一時間ほど行けば街に着くらしい。

 今、この付近の森はヘルウルフをはじめとして、強力な魔物が棲んでいるという。

 女性たちの、護衛と案内という申し出をありがたく受けることにした。


 車内の持ち出せる荷物をまとめ、念のために車の鍵を掛ける。



 そして、警備隊の面々に守られながら雪の中を歩き始めた……。

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