家族三人で異世界転移? 羊な車と迷走中。
澤梛セビン
序章 非日常の始まり
第1話 非日常の始まり
白崎篤紫、三十八歳。
今日の予定は、家族三人で某夢の国……のはずだった。
篤紫は、車のハンドルを握ったまま、空から降ってくる光のシャワーを、大口を開けて見つめていた。
車のエンジンとモーターは、計器が点灯しているにもかかわらず、うんともすんとも動かなかった。
「「きゃああああぁぁぁ――」」
助手席の夏梛と、後ろの席にいる桃華の悲鳴を聞きながら、今日一日の記憶をぼんやりと思い返していた。いや、まだ半日も過ぎていないか。
ともあれこれが、いわゆる走馬燈と言う奴なのかもしれない。
視界が徐々に白くなっていく――。
長野県の南端に住んでいる白崎家から、夢の国まで片道だけで五時間近くかかる。開園時間の八時に入場の列に並ぶためには、間違いなく夜が明ける前に出発しなければならない。
今回はあえて、開園時間からずらして、混雑を避ける作戦をとることにした。四時に車を始動する。
朝の夜遅くまで眠れなかった娘の夏梛を、慎重に抱きかかえて助手席シートに座らせた。まだ十歳、さすがに朝は起きられないか。
よほど楽しみだったのか、夏梛は昨日のうちから着替えが済んでいた。
「準備いいわよ。暗いから、気をつけてね」
スライドドアが閉められて、後ろに妻の桃華が座ったことを確認して、ゆっくりと車を発車させた。
前日の天気予報では、全国的に雪マークがついていた。車を走らせながら上を見上げると、夜空に星がきれいに瞬いていた。
いわゆる快晴の夜空だ。
「なあ、今日の天気って雪じゃなかったか?」
「待って、今確認するわね……。ええ、全国的に雪マークになっているわ。
でも、綺麗な星空。たまには天気予報も外れるのかしら?」
今年はまれに見る暖冬、天気予報なんて当てにならないなどと、軽く考えていたのかもしれない。
雪が降り始めたのは、出発から2時間ほど高速道路を走った頃だった。
まだ周りが暗い中で天気が急変した。止めどなく降る雪が視界を真っ白に染める。
まだ明るくなる前の大雪は、本当の意味で視界を遮るわけで、車の速度を大幅に落として走行させるしかなかった。
「天気予報、当たったみたいね」
「今日に限って、当たるとか……逆に珍しいな。」
恐ろしい勢いで降る雪に道は埋もれ、あっという間に高速道路は閉鎖された。
次に見えた出口で強制的に一般道に排出されることになる。
「雪が降るとは言っていたが、さすがにこれは降りすぎだろ。辺り一面が真っ白で、何も見えないぞ」
「ねぇおとうさん、まだ着かないの……?」
篤紫のぼやきに、うたた寝をしていた夏梛がつぶやいた。
「夏梛、ごめん。この状態だと、進むよりも帰った方が良さそうだ。コンビニには入れたら、方向転換だ」
「そんなぁ、雪だるまのぬいぐるみ、お土産に頼まれたのに」
「夏梛? 周りを見て。無茶を言っちゃ駄目よ」
「ぶー」
桃華にたしなめられて、夏梛が頬を膨らませた。
事態は一向に良くならない。
一般道に下りても、雪の降る勢いは変わらなかった。
運悪く朝の通勤時間にも重なり、徐々に車の量が増えていき、移動速度がさらに遅くなる。
行程は半分も進んでいない。
この時点で違和感に気づくべきだったのかもしれない。
降りしきる雪の隙間から見えた標識には、佐久の文字が書かれていた。
千葉に向けで中央道を走っていたのだから、二時間たった今は山梨県にいるはず。間違えても、上信越自動車道の佐久に行く事は、絶対に無い。
その違和感に気づけなかった。
しばらく車列についてのろのろと移動して、最初に目に入ったコンビニに寄る。トイレを済ませて、食料とおやつを多めに調達した。
そして帰るために、元来た道に車を進める。
その頃になってやっと、雪が弱くなってきていた。
路肩に立ち往生する車を避けながら、帰るために峠を目指して走る。
運がいいことに、峠道は閉鎖されていないようだった。
ゴゴゴゴゴゴ――。
流れで、ゆっくりと前進していると、低く響く音とともに、体がふわりと浮く。そして唐突な横揺れに車が前後左右に振られた。
激しく左右にハンドルが取られる。
ブレーキを踏むも、雪で滑って止まれず前の車にぶつかった。揺れとともに、後ろと右の車にもぶつかる。
思わず歯を食いしばった。
信号や建物も大きく揺れている。
地震だ。
それもかなり大きい。
携帯電話の緊急警報が車内に鳴り響く。
「えっ……うそっ!」
後ろの席で悲鳴が上がった。
「お、おとうさん、大変っ。富士山が噴火した……って?」
音にびっくりして飛び起きた夏梛が、スマートフォンを握りしめて首をかしげた。
「篤紫さん大変よ。特別警報で富士山噴火と書いてあるわ」
桃華が後席から身を乗り出してきた。確かに、富士山が噴火したと書かれていた。
その警報も、次々に来る警報に、あっという間に埋もれていった。
ナビで現在地を確認する。幸い、今いる場所は富士山の風上。直接的な被害は受けずに済みそうだった。
しかし、事態はそれだけでは終わらない。
車は、再び大きな揺れに襲われた。
鳴り止まない緊急警報は、さらに太平洋側の広い範囲で地震が起きたことを知らせてくる。
緊急警報だけで10件以上通知が重なった。
何か、見えないところで恐ろしいことが起きているのを感じる。
震源地の特定にも手間取っているようだ。おおざっぱな地方しか表示されていなかった。
通信が集中しているのか、インターネットにも接続できない。
突然、一斉に信号が消えた。そしてに静まりかえる携帯電話。
慌てて画面を点灯させると、アンテナには圏外の表示が出ていた。
通信網が断絶したようだ。
町中だから電波が届かないわけがない。
地震による電源喪失か、噴火による送電線網大破が頭をよぎる。
地震だけでなく富士山も噴火しているとすれば、通信網が切断される状況はあり得る話だった。
しかし、携帯が圏外だと、もうこれ以上何も情報が得られない。
やがて止まっていた車列が徐々に動き出す。
斜めになっていた車体を戻して、ゆっくり車を走らせた。
さすがにこの非常事態に、ぶつかった事に文句を言う人も居ないようで、粛々と車は進んでいった。
パトカーがサイレンを鳴らしながら、横を走り去っていった。
定期的に電柱や信号が揺れていることから、まだ細かい地震が続いていることだけは分かった。
電気が復活する気配はない。
信号の消えた交差点を、雪道と他の車に気をつけながら進む。
「お家に帰れるのかな」
夏梛がつぶやいた。
「今のところ、峠道が閉鎖されている情報はないな。車も四駆だから、雪道を問題なく走って行ける。
燃料もそんなに減っていないから、何とかなるよ」
「篤紫さん、安全運転でお願いね……」
篤紫の言葉に桃華が祈るように言った。
家を出発してから既に八時間が経過していた。
轍に気をつけながら市街地を抜ける。大雪だけでなく地震と、それに伴う停電で、既に行き交う車の姿はまばらだった。
何回か除雪車とだけはすれ違う。
峠道にさしかかる頃には、既に周りには一台も車が走っていなかった。
除雪車が積み上げた雪が左右に堆く積み上げられている。
携帯電波は圏外のままだったが、このまましばらく電気は復旧しないだろう。
そして峠を越えるとき、それは起こった。
「きゃっ、なになに?」
急な減速に、桃華と夏梛がシートにしがみつく。
突然、車のエンジンとモーターが止まり、車が失速したのだ。
それまで順調に峠を登ってきていたのに。
メーターパネルには異常は見られない。とっさにアクセルを奥に踏み込んで見るも、いっさい加速できなかった。
「わからない、エンジンが止まったみたい。車が動かないんだ」
「壊れちゃったの?」
「まさか、出発前に念入りに点検したから、いきなり止まることはないはず……」
幸いなことに自分以外に車は走っていなかったので、車をその場に停止させた。
「篤紫さん、大丈夫?」
あらためてスタートボタンを押すも、やはりエンジンがかからない。
何かがおかしい。
オーディオから流れる音楽が、やけにはっきりと耳に聞こえる。
違う、エンジンもモーターも止まっていない。車が動いていかないだけだ。
と、道の脇から車の前に白い生き物が躍り出てきた。
「白い……羊?」
まん丸で、真っ白な羊だった。
大きさはバレーボールの球くらいか。
雪よりもさらに白い躯が、雪の白い世界にくっきりと浮かび上がっていた。羊の赤い瞳が篤紫の目をじっと見つめていた。
野性の羊……なのか?
同時にまだ昼間だったはずなのに、急に周りが暗くなる。
車のオートライトが働いて、白い羊がさらにはっきりと照らし出された。
「おとうさん、見て空! 星が落ちてくるよ!」
夏梛の声に慌てて空を見上げる。
見える範囲、全ての星が自分たちめがけてて流れてきた。
それは光の暴力。
圧倒的な光のシャワーとなって、3人と1台と1匹に降り注ぐ。
一切の音が消えていく……。
「「きゃああああぁぁぁ――」」
桃華と夏梛が堪らず悲鳴を上げた。
視界が真っ白に染まる。
あまりのまぶしさに目をつぶるも、光はまぶたを突き抜ける。
すべてが光に包まれた。
圧倒的な白に溶ける様に、そのまま意識を手放した。
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