新幹線

カイラクエン

乗車

  新幹線

 


 冬が顔を出し始めた時の事だ。そんじょそこらの冬ではない。高校三年生の僕にとっては、断頭台にも似た、冬である。

 僕は岡山行きの新幹線のホームにいた。日本人と言うのは不思議なもので、とにかく列を作りたがるものである。その例にもれず、目の前と後ろにはスーツ姿の男たちがずらりと並んでいた。かじかんだ両手に息を吹きかける。ほのかに白くたなびき、すぐに空気と混ざりあって、消えた。体がひどく震える。どうにも都会というものは無機質な冷たさが風に現れるように思えた。襟巻を口に届くほどまでもっていき、学生帽をかぶりなおしてようやく、両手を黒い外套に深くつっこんだ。地面が鳴る音がした。音はこっちにどんどん近づくのが分る。遠くから、新幹線がやってくるのをチラリと見る。新幹線の頭を見る。尾を見る。風の残滓は既にない。

 それが二度ほど続き、何気なしに暖かいカフェオレを飲みたいと、思った。幸い自販機は近くにある。が、そこへ行くには一度列を抜けなければならない。僕の後ろには数えるのもおっかないほど並んでいた。列を外れたなら、確実に座席には乗れないだろう。

 ああ、体に沁みるカフェオレの、うまかっただろうことよ。

 そうこうしているうちに、物差しで測っているじゃないかと疑うほど正確に、新幹線が止まった。けたたましいベルが鳴り、乗客たちを吐き出した。列がふらふらと動き始める。

 ふと、

「すみません」

 かすかな声が聞こえたような気がした。まさか自分が呼ばれたのではないだろうと思い、すぐに記憶から消えた。

 よくあることである。

 何者かが、遠慮がちに袖の辺りを叩いているのに、僕は気付いた。

 少女だ。

 僕は背が男子の中でもそれほど高い方ではない。その僕の、肩ほどに彼女の頭は位置していた。未だにサンタクロースや幽霊といったものの存在を、疑いも無く信じてそうな顔である。頭を食べているように覆いかぶさる白いキャペリンと、あれもこれも詰め込んだようなサファリパックが、その印象をさらに加速させた。

 でも、少女の紅い唇、わずかに上気した頬には、その印象に似つかわしくない、大人のアトモスフィアというようなものが見て取れた。

 少女は俯きながら口を開き、

「私は、新幹線にのりたい。乗る場所、どこか分かりますか?」

と、言った。

 あれ?と、僕は彼女の喋り方に、どこか違和感を覚えた。例えるなら、文を単語の切り合わせだと思うような言葉を切れ端としてしか見ていないような、変な喋り方なのだ。

 そんなことを考える僕を余所に、少女が切符を差し出してきた。それを見ようとしたところ、突然後ろの人にどつかれた。なにすんだよと、叫ぼうとしたところで気付く。いつの間にか、列の最前線は僕になっていたのだ。後ろにはまだ、ずらりとサラリーマンたちが並んでいた。皆、ターミネーターのような目でじっと僕を見ている。アーノルド・シュワルツネッガーが演じたやつみたいな。えへへ。媚びるように最大限の愛想笑いを浮かべ、スタコラサッサ。急いで僕は列を外れた。サラリーマンたちは次々に新幹線に吸いこまれていく。ため息。今日は厄日かもしれなかった。

 改めて、少女の切符を見る。僕の切符と、番号以外が瓜二つである。新幹線自由席、岡山行き。つまり、僕と同じ新幹線である。そのことを説明する。分からないと言った風に首をひねる。ちくしょう。単語を区切ってこれでもかというほど丁寧に説明する。コクコク頷く。よし。間もなく発車いたします。ブザーが鳴る。二人で飛び込んだ。気が抜ける音が耳に届き、やがて後ろで扉が閉まった。

 新幹線は揺れ一つなしに動き始めた。通路に人こそ立ってないが、見渡す限りほぼすべての席が埋まっていた。学生は見る限り一人もいない。ぐったりしたサラリーマンたちを見ていると、これが新幹線でなく、戦地引き上げの兵員輸送車であるかのような錯覚を覚える。

 偶然、三人向かい合う席の一つがあいていたのでそこに彼女が座った。僕が他に開いている席を探しに行こうとすると、少女は真正面を指差した。そこには席を堂々と一つ占拠して、小汚い革のバッグが一つ座っていた。視線を横に滑らせる。四、五十くらいの中間管理職然としたおじさんが、携帯をイジイジしていた。

 いかにも私は仕事帰りです。疲れています。不機嫌です。そういった雰囲気を、全身から放出していた。

 もう一度車内を見まわす。空席はなし。

 覚悟を決めて深呼吸一つ。

 すうっ。

「あのっ——」

 スーツ姿の男の目がギロリとこちらを向く。僕の目は勝手に上下左右に動き始め、続けようとした言葉が消えた。妙に雑音が頭の中に入ってくる。新幹線の駆動音、キーボードがカタカタ叩かれ、誰かがビールをうまそうに飲んで、赤ん坊がどこかで泣き始めた。

 そんな僕を余所目に、彼は僕から自分のバッグに目をむけ、それから再び僕に目を戻し、そこでやっと得心したように、

「ああ、すみません」

 よっこらせっと、バッグを膝の上に乗せ、再び携帯に没頭し始めた。僕は席に縮まるようにして座った。

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