碧眼と清夏とお社で
道透
第1話
大きな鳥居の下を通り、玉砂利の道を歩く。随神様が祀られる、赤色の随神門を通ると樹齢四百年ほどの杉並木が立ち並ぶ。見上げると、あまりの高さに首が折れてしまいそうになる。半袖のシャツに花柄のチュニックを合わせている。私は花柄をわざと大きく揺らす。
長野県の北部に位置する、この戸隠神社に私が足を運ぶのは両手では数えられないほどである。私の家は京都にありなかなか来るのが大変だった。でも、何度も来ている道だから慣れてはいた。
八月の下旬になると長野県にある祖父母の家に訪れるのは毎年恒例の私的行事だった。今年も例年に倣って、祖父母の家に来ている。私は神様に挨拶を簡単に済ますと私は戸隠神社へ行った。この神社には主に五柱の神様が祀られている。
大きい荷物は祖父母の家に置いてきた。いつもお出かけの時に使う小さな灰色の鞄を肩にかける。貴重品や必要なものしか入れていないので軽い。
家族旅行で来ている人や海外から来ている人の姿で暑さが増す。杉並木で影になっているところを歩いているとはいえタオルはほしいものだ。鞄から、今日の空にも似た青色のハンカチを取り出し、額の汗を取る。
長野県ではあるが八月にもなると最高気温は三十度を超える。今日も二十八度の暑さの下を歩いている。
昨日、髪の毛を切って正解だった。首筋が見えるまで短く切ったので気分まですっきりしていた。
通り過ぎた鳥居を道なりに歩くと先に急な石段が現れる。その先には趣のあるお社が見えた。水神九頭龍大神をご祭神として祭る九頭龍社である。ほとんどの人は一度足を止めるもすぐに奥社へと進んで行ってしまう。
確かに奥社に祭られている天手力雄命の方が有名といえば有名だ。天手力雄命は古事記で有名な天岩戸を開けた神様の名だ。岩戸を開けた後に投げて、それが落ちたのが戸隠神社の山、戸隠山なのである。そんなこと本当だとは信じられないが神様本人が言っていたのだから信じるほかないだろう。
手水舎で手を洗い、九頭龍大神に挨拶をする。財布から五円玉を取り出す。賽銭箱に五円玉を入れ、鈴を鳴らす。二礼二拍手、最後にもう一度礼をする。参拝方法が合っているのかは分からない。でも、周りの人も何となくという感じで行っている。
願ったことを他言しては叶わないと耳にしたことがある。そもそも言う人がいないので心構えをする必要はないか。
ここにはお社の他は何もないので、挨拶だけ済まして祖父母の家に戻ることにした。帰り道は坂道を下るだけなので行きよりも足取りが楽だ。
実は地元である京都にも九頭龍大神が祀られている神社がある。九頭竜大社で九回まわるお千度が有名なお社だ。私は来年が八方塞がりの年なのでお祓いしてもらいたい。気の持ちようだとは思うが知ってしまうとそうも考えられないもどかしさに苛まれる。だから、運勢の変わり目であるとされる立春過ぎの二月四日頃に参拝しに行こうと考えている。
九頭竜大社の楽しみは他とは違うおみくじを引くことだ。大吉や中吉、小吉などの運勢が書かれているのが一般的なおみくじだ。もちろん、私も毎年元日に普通のおみくじを引いている。ちなみに今年の私の運勢は末吉だった。これで三年連続である。このようなのが一般的に知られているものだろう。しかし、ここのおみくじは 大神様からのお言葉が一言で記されているのだ。そしてこの間、そのおみくじを引くために九頭竜大社へ訪れた。
おみくじと書かれた木の筒を逆さにして振ると数字の書かれた木の棒が出てくる。それを社務所に持っていった。
「三番のおみくじお願いします」
「三番ですね」
巫女さんは取り出したおみくじを軽くたたんで私に渡した。受け取った私は期待に胸躍らせる。数字も悪くない。私は手の中に閉じ込めたおみくじを開けて読み上げた。
「例年通りの時間に待ってる」
明らかにおみくじに書かれる内容ではなかった。こんな意味不明なおみくじを入れる神社はないだろう。これは九頭龍大神からのメッセージ。今年こそは心も清らかになる一言が貰えると期待してきたのに、と心の中で密かに思った。溜息をついたところで二回目を引く気にもなれないのでやめておく。
おみくじでそう言われたのでちゃんと挨拶には行った。だから、神様たちも私が来たことも分かっているだろう。
昼も近いのでそろそろ祖父母の家に戻ることにした。どうせ、時間を空けて来るのだから挨拶をしたら今はいいだろう。
九頭龍社から歩くこと五十分、一軒の民家が見えた。引き戸の扉を開けて、玄関で靴を脱ぐ。音に気付いて祖母が向かえてくれた。
「幸音ちゃん、お帰り」
「ただいま、外暑いねー」
私はハンカチで汗を拭う。
「畑で取れたスイカ切るけど食べる?」
「食べる!」
祖父の作るスイカはとても美味しい。他にもトマトやズッキーニ、レタスなどを育てている。この時期、熟すトマトはすごく甘いのだ。いつもお土産に持たしてくれる。
「ちょっと待ってて、荷物置いてくるから」
私は荷物を置いた二階に鞄を置きに行く。
「今年も来れてよかった。また会えるんだもんね」
鞄の中に入れてきたおみくじを広げると大神様からのお言葉とは程遠い文字が浮かび上がる。さっきとは裏腹に笑みがこぼれ落ちる。皆は元気にしているのだろうか。そう考えだすと浮き足立つ。
荷物を置いている部屋はずっと私が使っているようで、日常生活の雰囲気が漂っている。クローゼット、ベッド、勉強机、本棚。開けていた窓からは風が入り、カーテンが揺れる。
ここはもともと私の母が家を出る前に使っていた部屋なのだ。最近は私だけだが、母も数年前までは夏になるとここへ来ていた。だから、部屋はそのままなのだ。だから、たまに母には内緒で、ベッドの下にあるケースに隠すように管理されている、二年前の夏に見つけた中高生時代のアルバムを引っ張り出して見ている。
この夏、一週間は仕事に追われることなく気楽に過ごせそうだ。
私は一階の扇風機のまわる居間で、机に出されたスイカにかぶりついた。カブトムシになったように食いついた。スイカの水分が口の中に潤いを与える。乾いていた喉にも水分がわたる。
「そういえば、おじいちゃんは?」
「あー、畑だね。幸音ちゃん、来たって言ったのに」
「今、何か育ててるの?」
「これ以上増やしてもねー。多分、収穫でもしてるのかも」
私は満足いくまでスイカを食べたところで、立ち上がった。家の裏にある畑へ行く。そこには首にタオルを巻いた祖父がかがんでトマトの収穫をしていた。
「おじいちゃん、手伝おうか?」
「ああ、幸音か。一年ぶりか」
祖父は立ち上がった。笑うと顔にクチャっと皺が出来る。
「背丈、伸びたか?」
「もう、伸びないよ。私二十四だよ?」
「そうか」
私は祖父の後ろにあった籠に入った真っ赤なトマトを一つ手に取った。
「今年は一段と大きくない? 去年は台風の影響もあってあんまり大きくならなかったけどね」
私は青空にジリジリと輝く太陽を見上げた。
「幸音は今年もお祭りに行くのか?」
「そうだね、また着物貸してほしいな」
「それは構わないけど、一人で行くのもなんだしおばあちゃんと行って来たらどうだ?」
「誰も一人とは言ってないよー」
私はこの辺りに友達はおろか、知り合いもいない。でも、一人でもない。そして、お祭りには行くが祖父の言うお祭りとは違うお祭りだ。でも、言ったら絶対に心配かけるから内緒だ。
「そういえば戸隠神社の神楽って終わったの?」
「二日前にあったので八月は最後だったな」
「そっか、残念だな」
私は毎年調べて来ていないので神楽の日を逃してしまう。本当はもっと早くに来れたらいいのだけど。そう思い、肩が落ちる。
まあ、来年もあるか。そう、来年も。
祖父はトマトの入った籠を持ち上げた。
「そろそろ休憩しようかな」
私は手伝いをさせてもらえなかった。でも、この日差しの中で長時間作業するのは、祖父の体にも良くない気がしたので今日はもう休んでてほしい。
今日は祖母のお手伝いをよくした。お漬物を漬けるのは毎年しているがすごく楽しい。泥遊びをしている気分になる。でも、漬物石はすごく重たかった。これを祖母が毎度運んでいたとのだと思うと驚いてしまう。
あれこれとお手伝いやお話をしていると時間は少なく感じるものだ。
居間の壁にかかっている時計が十四時時になっっていた。私は約束を忘れていた。戸隠神社の営業終了は十五時だけど、人がいるうちに入りたいな。
私は二階の部屋に置いてある、灰色の鞄を肩にかけた。それとビニール袋に梨を六つ入れたのも持った。
「おばあちゃん、ちょっと出かけて来るね」
「うん、気を付けてね」
「大丈夫だよ」
私は家を出ると走った。戸隠神社までは遠くないけど、九頭龍社までが遠いのだ。ランニングシューズを履いてきて正解だ。坂道がきつい。体が前のめりになるせいで息が苦しい。
人もまだいるし、大丈夫そうなのを確認して私は歩いた。でも、朝に比べて明らかに少なかった。そのほとんどがお年寄りばかりで静かだった。
中社を過ぎた辺りを歩くと私は一人の深緑の袴を着て下駄を履いた男と目が合った。私は飛び上がりたくなるほどに心が騒めいた。
「オモイカネ様!」
「こんばんは、幸音ちゃん」
優しい笑顔でこちらへ歩いて来るのは、中社の祭神である
「これからクズリュウのところに行くの?」
「はい!」
クズリュウとは、今朝訪れた時に挨拶をしに行った神様の
オモイカネ様はいつのことだが落ち着いている。
「何だか、私と会って嬉しそうじゃありませんね」
「そんなことないよ? 昼にも見かけたからかな」
そうだったんだ。存在には気付いているとは思っていたが見てたんだ。昼は神様の神力(神の通力)が弱まるため、一般の人同様に私にも姿は見えないのだ。でも、夜に傾く頃には神力は強まり、不思議なことに私の目に神様が見えるようになる。
「でも、今日だったんだね」
「はい。すごく楽しみにしてたんですから」
「知ってる。九頭龍が言ってた」
「九頭龍、何て言ってたんですか?」
「終始落ち着きがなかったって」
神様って言うだけあって見透かされてる気しかしない。図星を突かれて少し恥ずかしくなる。
「オモイカネ様も行かれますか?」
「残念だけど今日はまだお社を離れられないかな。他も今日は忙しいらしいよ」
そうか。神様も忙しいんだな。お祭りの日にはみんなと時間を過ごせたらいいな。私はビニール袋から梨を二つ取り出して、残りの梨をオモイカネ様に渡した。
「今年もお土産持ってきてくれたの? みんなに渡しておくよ」
「お願いしますね」
私はオモイカネ様と別れて、さらに先へ進んで行った。熊に注意、と書かれた看板に多少怯えながらも奥社への参道入口である大鳥居へ着いた。赤色の随神門を通り、杉並木の中を歩く。人の姿もなく心細い道がしばらく続く。
まだ、真っ暗ではないがだんだん薄暗くなっていると感じる。何だか朝とは違い魂が体から引き離されてしまいそうな気分だ。以前も同じように感じて調べてみると神力に中てられているのが原因だと出てきた。あながち間違いではなさそうだ。神様は本当に存在するのだから。
杉並木を抜けると急な石段が現れる。やっと着いた。
九頭龍社のお社にもたれかかるようにして立つ、紺色の袴に下駄を履いた神様の目が私の姿をとらえた。
「幸」
私のことをそのように呼ぶのは一柱しかいなかった。
「久しぶりだね、クズリュウ」
私はクズリュウに大きく手を振った。目つきの悪さは元々だが、まるで滅びの神である夜刀神のようであった。
私は小さい頃にこの神社でクズリュウと出会っていた。クズリュウの見かけは変わらない。でも私はここへ訪れるたびに一つ年を取る。そろそろ見かけは同じ年になっているのではないだろうか。
初めて会った時は掛け算がようやく出来るようになった頃でクズリュウが人間のお兄さんに見えた。今でもそれは変わらない。神様だと思って出会わなかったために、他の神様より親しく接してしまう。他の神様はクズリュウの存在を知った後だったため、すごく神様だと意識してしまった。
「元気にしてた?」
クズリュウは首を縦に振った。
「幸は元気だったね」
クズリュウはは知った口調で言った。
「京都でも幸がいたから久しぶりって感じがしないな」
「でも、私にはクズリュウの姿が見えていないんだからね。神様はずるいよね。私に天眼でもあればなー」
この世の者でない者が見えやすい子供の頃にクズリュウと出会ってしまったので、神力の強まる夕方から朝方にかけてのみ私の目には普通の人と違う世界が見えてしまう。クズリュウに由ると、あの世に片足をかけた状態らしい。
「あ、これ」
私はクズリュウの好物である梨を渡した。
「ありがとう。虫歯でもあるの?」
「ないけど、お土産だよ」
九頭龍神に梨を供えると虫歯や歯痛にご利益があると言われている。けど、私はそのあたりには困っていない。
九頭龍は早くも梨を食べ始めていた。
「最近は忙しいの?」
「ぼちぼちかな。この間、水道事業者のえらいさんが参拝しに来て大きなお願いしていったから、高天原にそのお願いを叶えるべきか審議にかけてもらっている」
高天原とは有名な天照大御神をはじめとする八百万の神が住み、出入りする天上の世界のことである。雲の上の国なのだろうか。でも、戸隠神社の神様たちを見ていると人間らしさを感じられる時がある。
木陰の下に私たちは並んで座る。
「私、高天原へ行ってみたいなー」
「何、突拍子もないことを言ってるの?」
青空に白くて大きな雲がかかり、大きな影が社にかぶさる。
「高天原には神様がごまんといるいるんでしょ? 楽しそうじゃない」
「遊び心に任せてたらひどい目に遭うよ」
クズリュウはそう言うが私の好奇心は炎のごとく燃え上がった。昼間は無理だろうけど、私はあの世に片足をかけているのだから行けてもおかしくない! 私は行きたい。
「だめだ」
クズリュウは立ち上がって歩き出した。
「どこに行くの?」
「高天原は人の生きれるような平和なところじゃない」
下駄で石段を器用に下りていく。
「まず、神が人と深入りしてはいけない」
クズリュウは私から伸びる影を踏んで行った。
「戸隠神社で過去にあったお話してあげる」
私はクズリュウの影を探したが見つからなかった。クズリュウの周りに流れる風は違っていた。この暑さも感じていないのではないか。
来た道と違う坂道を下っていく。戸隠古道に入って、茶色の土で出来ている道は大きくない三つの碑石のようなものがあった。
「三つ並んでいるうちの端っこ二つが
私はかがんで顔を近づけた。言われれば確かにあるような気もする。
「ここには『稚児の塔』の由来となる民話があるんだよ」
「稚児の塔の由来?」
空を見上げて話だした。
「昔、幸せな一家の家庭があったんだ。しかし、母は子供を産んで死んでしまった。だからその後、母のいとこが子供を育てた。だから父は妻のいとこを嫁にした。子供は出家させられる。その後、妻のよそよそしさと不義密通を旦那は疑う。しかし旦那は戦が出来ても字は読めなかった。だから、字の読める出家した子供を呼び寄せて読ませたのだ」
私はまるでその子供になったような緊張感に包まれた。
「母への艶文に子供は驚いた。しかし、これを正直に読み上げてしまえば二人の幸せも一生来なくなる。そう悟り、内容を時候の挨拶と偽り読み聞かせた」
私は胸を撫で下ろした。
「話は終わりではない。子供は父を欺いたことから仏の教えに背いたとして、東光院住職への道を捨て、一宇の庵を建てて生涯を送った。そう言い伝えられているが、その子供は死んでしまったとも言われている」
「え、何で死んでしまったの?」
「それは人間の知らない神の事情でだよ。賢さと両親を思う優しさのあまり悲しい末路となった孝行息子のお話だと人間の間でも語られている」
私にはクズリュウが何を伝えたいのか分からない。その話をする理由もきっかけも。
「神様の事情で突然死んでしまうんだよ、人って」
私には突然死んでしまう感覚なんてさっぱり分からなかった。確かに、都合が良すぎるだろって思うけどそれが何も知らない私たちにとっての運命なのなら理不尽だなんて思わない。人の生死が無差別に振り分けられているのならともかく、戸隠神社の神様たちを見ている限りではそんなことはないように感じられる。
「それより、高天原に行きたいんだけど!」
「それよりって……」
クズリュウも諦めが悪かった。
「それにここは元々女人禁制だったんだよ、信じられるか?
私は聞いたことのない言葉に首をかしげる。
比丘尼というのは、出家得度して
クズリュウはさらに坂道を下って行った。歩く道は所々ぬかるんでいる。
「昔は女人堂という所までしか女性は入って来てはいけなかった。しかし秋日和だったある日、お供を連れた一人の比丘尼がその掟をいとも簡単に破って奥へズンズンと歩いて行った。お供は引き留めたがそれを聞き入れることはなかった。しばらくして、足を止めた比丘尼はその場に倒れみるみるうちに硬直してしまったんだ」
私はクズリュウの足を止めた先にある碑石を見た。
「女人跡地?」
「うん、ここに昔は女人堂があったと言われている」
人がこんな死に方をするのも神様たちの事情に関わっているのだろうか。
「この世の人には見えない世界が広すぎる」
「例えば?」
私は何かを見ることが出来るのではないかと、ワクワクした。それが何なのか教えてほしいと思うのは、遊び心に任せているというのだろうか。
「お祭りに来るんだろ、今年は?」
「うん、去年約束したもんね」
去年までは意地でも連れて行ってくれなかった。けれど、来年は連れて行ってと約束して別れたのだ。でも昨年、お祭りに行かなかった代わりに戸隠神社の神様たちと盛り上がったのが楽しくなかったと言えば大嘘になる。
「皆で行こうね」
「うん」
どんなお祭り何だろう。祖父の言っていたお祭りとは世界が違う。この世のお祭りではない。あの世に片足をかけた状態の私だからこそ踏み入れることが出来るのだ。
「お祭りってどんな感じなの?」
「行ってみたら分かるんじゃないのか。とにかく生身の人間はそうそういないから、幸にとったら普通ではないよな」
「お化けとか妖怪とか?」
「まあ、いるよ。あとは神様もいるし動物もいる」
私の脳内は光溢れる世界で溢れかえっていた。吊るされる提灯、屋台の賑わい、太鼓の音。
「お祭り、いつ?」
「明後日だったかな。どうせ、明日も来るんだろ?」
「お仕事、見に来ていい?」
「絵馬の願い事、見るだけだよ」
神様のお仕事なんて普通に生きてて見られるものじゃない。
「今日中に他の神社の絵馬も確認してくるかな」
「そっか、ここだけじゃないもんね」
こんなに目つきの悪い神様も人の願いを一つひとつ見ているのだな。
「一番多い神頼みって何なの?」
クズリュウは腕を組んで考える。
「学業成就、健康祈願、恋愛成就あたりがトップスリーじゃないかな」
「健康か、分かるな。本当に健康は大事だと最近改めて思う」
本当に学生の頃は分からなかったが、働くと体調は大事にしないといけないと実感する。まず、易々と休むわけにはいかない。とにかく時間が足りないから根詰めて頑張るが、結局体調が悪くなる。そしたら、さらに時間が足りなく感じられなくなっていき、結果にも出なくなる。負の連鎖の完成だ。猫の手も借りたい。どうにか乗り切っているから今ここにいるのだが、来年が遠い未来に感じる。
頭上で枝にぶら下がる葉っぱが揺れる。手を伸ばしても届かない。街中の木よりもはるかに背の高い木からは長い時の流れが見える。
もう、随分と空は暗くなっていた。でもクズリュウの姿ははっきりととらえることが出来る。クズリュウの目つきは悪いが綺麗だ。見とれていると目が合った。
「また、俺の目を見てるの?」
「だって、綺麗なんだもん」
まるで青く透き通ったダイヤモンドの結晶のようだ。その目の中に月光が入ると水面に光がさすようで、神秘的と言っても過言ではなかった。本物の水で出来ているのではないか? それを取って手に乗せれば、わずかな体温でも手のひらからこぼれていきそうだ。初めて会った時から気付いていた。毎年見ているはずなのに、慣れることは決してない。
「俺は水神だから、青なんだ」
「知ってるよー。オモイカネ様は緑色だよね」
「幸は黒か……茶色か? 光が入ったら茶色に見えなくもない」
私は褒められた気になって照れくさく感じた。
辺りには時計もなく嫌な雑音もないので時間を忘れていた。
「帰らないと」
「送るよ」
「ありがとう」
一人で歩く普通の女性の横に、誰が神様の存在があろうと考えるだろうか。
明日は他の神様にも挨拶できるといいな。高天原に行きたいという願いはクズリュウに蹴られたけど、他の神様にお願いしようと思う。なかなか、話の分かる神様も中にはいるのだ。
中社まで送ってもらうと、私はビニール袋に入れていた自分の分の梨をクズリュウにあげて、街灯の下を歩いて帰った。
喜びを頬に浮かべる。
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