一章 3 角やら武器屋ら 3
「特注品もあるわけだし、これくらいでどうかね?」
ミヤモトが用意していた電卓に、トウドウが音を響かせ数字を打ち込む。優しく机に置かれるも、エマはすぐにはそれを直視できなかった。
まがいなりにも武器屋を名乗る以上、商品には値段を設定している。相場と比べてどうなのかは分からない。ただエマなりに最大限の善処はしている。
今回はいつもの二十倍以上を買って貰うため、それ相応の金額になるはずだ。
しかし、纏めて買って貰う分、自分がここまで足を運ぶ手間賃等を、大幅に値切られてしまう可能性もある。
恐る恐る電卓を見ると、そこには、想定していたよりも、一桁多い金額が記されていた。
「……え?」
「どうかしたかね?」
もしも、こんな大金があったのなら、人生の何分の一かは、仕事もせずに生活ができるだろう。
「こ、こんなにいただけません! だって、特注だとしても、これは……」
けれど、それが明らかに異常だと、エマは気が付いていた。
彼女は狼堂会にのみ武器の作成、販売をしている。そのため、いつもお世話になっているなどという生ぬるい次元ではなく、最早、生かされていると言っても過言ではない。
つまり、裏を返せば、相手も自分の武器相場を知っているはずということである。
相手だってビジネスだ。品物が安いに越したことはない。
それなのに、相手は自ら値段設定を高くして来た。よほど羽振りが良いか、何か裏があるとしか思えない。
エマはこの場合、十中八九、後者だと考えていた。
「いいんだよ。知り合ってからもう数年だ。いつも良い物を作って貰ってるのに、私は最低限の対価しか支払えていない。たまには上乗せして払わせて貰わないとね」
優しい笑顔を浮かべるトウドウに、エマの心が早くも揺らぐ。
「……それとも、私の好意は受け取れないのかね?」
一変して、トウドウはやや悲しそうに笑って見せた。
これにはエマも、受け取らざるを得なくなる。
「本当によろしいんですか……?」
再び優しげな笑みに戻ったトウドウが、目線だけで金を用意するよう、ミヤモトに指示を飛ばした。
直ちに金庫を開けるミヤモトだったが、多額の現金を用意、確認するため、時間が掛かってしまう。
そのことを知るエマは、なし崩しで全額貰うことになったこともあってか、何処か気まずそうに、あちらこちらへ視線を移していた。そのうち、机に置かれたままのナイフが目に入り、せめてものお礼を思いつく。
「あの……。良かったら、今の内にナイフだけでも納品しましょうか?」
「できるのかね?」
「はい。柄だけですので、少しミヤモトさんをお借りできれば」
代金を用意していたミヤモトが手を止め応接スペースに戻ってくる間、エマはバッグから円柱状の物体を取り出した。
黒い半透明の素材でできており、鋭い刃物で切ったかのように、底面が綺麗な円を描いている。側面はエマの指に包み込まれているものの、底面は拳の左右からはみ出している。それはどこか宝石を思わせる物体だった。
「それは何かね?」
「そうですね……。有角種製作者限定の簡単持ち手キットですかね……」
正直なところ、この棒状の物体が何なのか、エマ自身も分かってはいない。
武器作りの師匠とも呼べる人物が、型取りや今回のような時に使用していた物を、ただそのまま仕入れているというのが現状だ。
エマは左右の手のひらを底面に当てて、棒状の物体を挟むように持つと、その円柱状の物体へエネルギー注ぎ始めた。
程なくして、黒を基調としていた物体が、次第に赤く輝き始める。まるでボトルに溶岩が入っているかのようだ。
段々と増していた輝きが一定まで落ち着くと、エマは棒を見つめたままでミヤモトを呼ぶ。
「ナイフを持つイメージで、これを握ってください。その後は離していただいて結構です……。まずはそのまま……」
言われるがまま、ミヤモトは棒を握る。固さを残したスライムかのように、ミヤモトの手が沈み込む。離せば手に付くこともなく、薄く手形が残っていた。
「次……、逆手で……」
意識を集中しているのか、エマの会話が途切れ途切れとなる。それでもミヤモトへ棒を握らせること、両手合わせて実に八回。ようやく、集中を解いたエマは、貯めていた空気を体外へと押し出した。
「お疲れ。大変なんだね」
「いえ……、これが仕事ですから……」
気遣いから始まるトウドウとの当たり障りない会話を交わしつつ、エマは落とさぬよう、慎重に棒を手のひらで挟み続けた。
そうして元の半透明な黒へ戻りきると、エマの手元には歪に変形した棒が残る。
後は筒状に中をくり抜き、現在の
バッグの中から簡易工具箱を探していると、トウドウとの会話がナイフの話題へと移る。
「それにしても魔力を消すナイフか。良いアイディアだよね」
「ありがとうございます。同居人のアイディアなんです
作業を続けながら、エマが自虐的な笑みを浮かべる。しかして、彼女は自分のことのように喜んでいた。
高額な収入に加えて、お褒めにも預かるとは、エマにとって良いことしか起きていない。
そういう時にこそ、不幸は訪れる。
「何か足りない素材とか、人手が足りないなら言ってくれよ。どんなに珍しいものでも用意してみせるからね」
相も変わらず笑みを浮かべるトウドウだったが、その表情は何処かが違い、何故だか不気味に見えた。吸い込まれたら最後、帰って来れないと直感させる夜の海の水平線のように、静かな仄暗いものを湛えている。
続けてミヤモトが、エマの目の前に今回の代金を高く積み上げていった。
そこでエマはようやく全てを理解する。
この代金はナイフへの投資なのだ。
金と素材、人材は提供する。だから、早く完成させろと暗に示す。
つい数分前の自分はなんて愚かなのだったのか。
もはや、退路は断たれ、狼に首輪をかけられている。
「……頑張ります」
今のエマは、そう言葉にするだけで、精一杯だった。
「うん。期待しているね?」
最後に、出来上がった特注品の感触を、ミヤモト本人に確認してもらう。
煙草型の魔力補給器を使ってなお獣化してしまった両手をよそに、ミヤモトは全ての持ち方を試して首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「前回より魔力を吸われる気がして。特に刃側から」
ミヤモトが示した部分は、機構の詰め込まれた柄の内部において、魔力を切ることができるよう刃に魔力を流す──いわば、機構の心臓部だった。
「ちょっと、失礼します」
慌てて特注の柄をナイフから外すと、エマの表情が次第に曇って行った。
「どうかしたのかね」
尋ねるトウドウに、エマが申し訳なさそうに口を開く。
「歯車が折れてます……」
下手な言い訳の通じる相手ではなく、今までの厚意を無碍には出来ない。
エマはナイフに起こっている全てを、正直に話す。
「この歯車が折れると、魔力を切るための機構部が、ほんの少し、逆流して来ます。それでミヤモトさんの魔力消費が多くなったのかと……」
それに対し、トウドウは立ち上がると、エマの肩に優しく手を置いた。
「そういうときもあるよ。直せるよね?」
不良品を怒るでもなく、札束を減らす訳でもなく、ただ、少しの圧とともに励まされた。
エマにはそれが一番応える。首輪がより強く絞められ、縄まで掛けられた気分だ。
「もちろん。なるべく早くお持ちします……」
「頼むよ」
一通り組み直したエマは、刃にカバーをつけて、ナイフをスーツのポケットへしまう。帰ったら直ぐにでも取り掛かるというアピールだ。
その様子に、トウドウが上を向けた手のひらを、山積みの札束へと向けた。
札束の一つ一つを確認をし、終わったものからジュラルミンケースにしまう。その都度、ケースだけでなく心も重さを増して行く。
「最近、物騒だから、気をつけてね」
「切り裂き魔ですか?」
「ああ。腹立たしいことに大活躍だからね。何だったらミヤモトに送らせようかね?」
「いえ、大丈夫です」
全ての札束をジュラルミンケースに収めると、エマは立ち上がって出口へ向かった。
今は色々な意味で一刻も早くこの場から立ち去り、少しでも二人と一緒に居たくなかった。
「では、今日はこれで。納品はまた後日」
「うん。またね」
事務所の扉が閉まる。
外は既に暗く、日が沈んだ後の薄い紫に染まっていた。
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