零章 とある少女の変化 1

 森には二種類ある。


 危険生物に遭いやすい森と遭いにくい森。迷いやすい森と迷いにくい森。安全な森と危険な森。

 要するに、入って良い森と入ってはいけない森。

 小さいころから、そう、教えられてきた。


 そんなわけあるか。

 心の中で、何度もそう悪態を吐いたか分からない。


 私は森が好きだった。好きだから色々な森を見た。入った。泊まった。少しの間、暮らもした。

 だから知っている。

 森にはそれぞれ個性があって、たったの二種類に分かれるはずがないということを。


 そう思って、私は甘え、奢り、安心しきっていた。

 それがただ運が良かっただけなどとはゆめゆめ思わずに。


 異変に気付いたのは、その日のキャンプを初めてすぐだった。


 月も見えない曇り空の下、テントを張り、食事も終えた後、たき火を見つめていた。

 いつもであれば、このままずっとたき火を見つめて、無心になるところだが、その日はどうも、落ち着かない。

 いつもなら絶対に気にならないような風の音や土の臭いが、どうしても気になって仕方なかった。


 流石に嫌なものを感じて、私は火を消し、テントの中で寝袋に体を埋めた。

 きっと、こういう日もあるのだろうと、気にしないように心掛けた。

 なのに、無心になろうとすればするほど、外の音が気になった。


 草むらの揺れる音が、次第に近づいてくるように思える。

 全てが過ぎ去ることを願って、目を強く閉じた。

 朝日が昇ったらすぐにでも家に帰ろう。

 初めてそんなことを思った。


 しかし、物音はテントを通過するどこらか、明かに目の前で止まった。

 どうか、何事もなく、去ってください。お願いします。

 私は目を閉じ、心の中で祈り続けた。


「すみません。どなたかいらっしゃいますか」


 私の恐怖とその日の空には、全く似つかわしくない声が聞こえて来た。

 薄く目を開けると、テント前に誰かがいることだけが分かった。


「警察です。近隣の方から通報がありまして……、いらっしゃいませんか?」


 拍子抜けしてしまった。

 自分が感じていた違和感は、自然に紛れた人工の気配──つまりは不自然だったのだ。


「……はい。います。今開けます」


 寝袋からでた私は、テントの出入口となるファスナーを、ゆっくり下ろし始める。

 月明かりも無い暗い森では、目の前に人影があることしか分からない。目を閉じていたのだから、なおのことだ。

 ファスナーを半分下ろしたあたりでようやく目が慣れ、交番にいるような警察官の制服を認識出来た。身長と体勢の関係で、どのような顔をしているかは伺えない。


「こんばんは。どうしたの? こんな時間にこんなところで? まだ、未成年でしょ?」


 私が年下だと分かるや否や、警察官は敬語を止めて、職務質問の定型文のような言葉を投げかけて来た。


「……キャンプと言いますか、野営と言いますか」


「この森、立ち入り禁止なんだけどね。看板、あったでしょう?」


 森へは町から歩いて入った。その道中、看板など見ていないし、注意書きも無かったはずだ。

 この森は川を挟んですぐに町があるのだから、記憶もそこまで劣化していない。

 そもそも、数日前に下見をしている。その時点でも見ていない。

 けれど、記憶が確実かと言われると、自信がないのも事実である。


「……すみません。見えませんでした」


「そう。今度からちゃんと気をつけてね。誰に聞くとかさ。とりあえず、来てくれるかな? 親御さんに連絡しなきゃいけないからさ」


「……わかりました」


 辛かった。

 別に親に反対はされていない。

 だから、きっと怒られることもないだろう。

 ただ、森にいられないことが──例え、違和感のある森だとしても、キャンプを途中でやめなければいけないことが辛かった。


 仕方なくテントを解体しようとすると、警官に手で静止された。


「大丈夫。それなら後で、うちのものが持って行くから。とりあえず来てくれる?」


「……はあ」


 ランタンを持って、警察官の後を追う。

 どう見ても一人なのに、『うちのもの』とは、どういうことだろう。後から別の警察官でも来るのだろうか。

 しかし、この暗さに加えて、森にもキャンプにも慣れているとは思えない警官たちが、果たしてテントを畳めるのか。あのテントは、かなりの高額だったため、できることなら自分の手元から離したくなかった。


「大丈夫? もう少しだよ」


 こちらを振り返った警察官が励ますように声をかけてきた。

 親切心なのだろうが、私には馬鹿にしているように思えた。

 私は何度もキャンプをしている。多少、暗かろうと、舗装されず木の根が出ている道だろうと、難なく歩くことができる。

 むしろ、警官こそ、足下を明るくして歩いた方がいいのではないか。


 と、そこで私は気付いてしまった。


 目の前を歩く警官が、照明器具を持っていないことに。

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